守ろうとしたこと

夢の中で誰かが囁いた。

お前、知っているだろう。
あの者達が言う『手合わせ』は戦のことだよ、と。

彼らは戦に出たのかと問うと、その誰かはそうだと答えた。
彼らは戦で人を殺している。

けれど、彼らは望んで殺した訳ではない。だから、彼らを責めてはいけない。

お前にできること、していいことは一つだけ。
命を哀れんで祈ることだよと、その誰かは続けた。

誰とも知らぬその声に、瑜葵はただこくりと頷いた。




信玄たちが城を空けて二日目。
曇り空を眺めていた瑜葵は、心臓に痛みを感じて胸を押さえた。

「……っ!」

痛みは一瞬で引くが、どく、どくと、心の臓が強く脈打ち始める。
冷や汗が頬を伝い、頭にずきりと痛みが走る。

「い……っ!」

割れるような痛みに、瑜葵は頭を抱えた。
瞬間、脳裏に何らかの光景が浮かぶ。

刀で切り合い、血しぶきを散らして倒れる姿。
地を焼く鮮烈な炎と、駆け抜ける紅蓮の装束の青年。雷を纏い六本の刀を操る青い装束の青年。見上げた丘の先、蠢く闇の気配。

殴り飛ばされる黒衣の忍。大鉾を振りかざす巨躯の武将。老将が炎に巻かれ、悲鳴を――。

「……駄目……!」

その凄惨な光景に耐え切れず、瑜葵は叫び声を上げた。
途端に、異変を察知したくの一が屋根から降りて駆け寄ってくる。

「御方様、どうかなさいましたか?」

くの一は瑜葵の顔を覗き込み、狼狽した。

瑜葵の顔は苦しげに歪み、その額には汗が玉のように浮かんでいる。
声も届かないようで、頭を抱えて必死に耐えている。

そのただならぬ様子に、くの一は焦った。
城主たちは瑜葵をとても大切にしているのだ。
万が一留守に何かあろうものなら、ただではすまない。

「誰か薬師を!御方様が!」
「何事です!」

くの一の声に、志乃が反応して駆けつけてくる。
一目で瑜葵のただならぬ様子に気づき、さっと顔色を変えた。

「瑜葵様、どうしたのですか」

呼び掛け、志乃は瑜葵の肩に触れた。
その瞬間、瑜葵を苛んでいた頭痛がふっと消える。

「……志乃、さん……?」

すぐ至近距離にある顔に気付き、瑜葵は目を瞬かせた。
そして、その目に光が戻ったことに、くの一と志乃はほっと安堵した。

「どうかなさいましたか、瑜葵様」

志乃に問われて、瑜葵は目を見開いた。

先程頭に浮かんだ光景のどれ一つとして、瑜葵には見た覚えがない。
だが、それらは余りにも鮮明に、生々しく、瑜葵の頭の中に浮かんだ。

その中で、最後に頭に浮かんだのは、青い光を纏った老将だ。
信玄が戦斧に炎を纏わせ、その老将を凪ぎ払おうとしていた。

「志乃、さん」

瑜葵の声が震える。志乃を見つめる目が、固く凍り付いている。

「前に行っていた『手合せ』は、戦なのですか」

瑜葵の問に、志乃の顔から血の気が引く。
言い繕わねばと思うが、言葉が出てこない。

傍らのくの一も同じで、真っ青になって黙っている。

その様子を見て、瑜葵は確信した。

「戦……だったのですね」
「……はい」

なんとか声を絞り出して肯定し、志乃は顔をくしゃくしゃに歪めた。
そして、言い訳のように、口を開いた。

「戦が何なのか、……ご存じだったのですね」志乃の言葉に、瑜葵は頷いた。戦が何のために行われ、何をもたらすのかは、知らない。

ただ、沢山の人が死ぬ。恐怖と悲しみのうちに死んでいく。
戦とはそういうものだと、知っていた。

なぜ知っているのかは、瑜葵自身にもわからない。
わかるのは、失われた過去のいつかで知ったのだろうということだけだ。

「嘘をついて、申し訳ありません……!不安にさせずお伝えする方法が思い浮かばず、このような真似を……っ」

平伏して肩を震わせる志乃の肩に、瑜葵はそっと手を乗せた。
そして、恐る恐る見上げてくる瞳を見つめ返し、ゆるゆると首を横に振る。

「志乃さん。ありがとうございます」
「瑜葵様……」
「心配だから言えなかったのだと、聞きました。……戦は、怖いものだから」

聞いた。夢の中で、誰かがそう教えてくれた。
それは優しさだと。

「ありがとうございます、志乃さん」
「……っ、私は、瑜葵様に隠し事をしました」
「でも、……嬉しかったのです」

怖いものから遠ざけようとしてくれたことが。
その心遣いが、瑜葵は嬉しかった。

信玄の掌のような。幸村の笑顔のような。佐助の言葉のような暖かさが心地よかった。

瑜葵は琴の弦に手を置いた。

幸村や佐助は瑜葵よりたくさんの言葉を話し、巧みに意思を伝える。

だが、瑜葵はどう言えば伝わるのかわからない。
言葉を並べても伝わらないような気がして、的確に端的に伝える言葉を探して。

見つからなくて困っていたら、佐助が教えてくれた。
言葉よりも雄弁に語るものはあると。

それは雰囲気や表情やしぐさといった、声ではない言葉。
見ればわかるし、触れ合えば伝わるし、声を聴けば気付くよと、佐助は言ってくれた。

だから、瑜葵は琴を弾いた。この音が志乃に伝わることを願って。



琴を弾いていた瑜葵は、ふと手を止めて庭を見た。

「……どうかなさいましたか?」
「雨が、降ります」

そっと伸ばした手に、ぽつりと雨粒が落ちてくる。
次いで、堰を切ったように雨が降り出す。

「雨が、降るの……」
「瑜葵様?」
「人が、死んだから……雨が降るの」


――場所は桶狭間、幸村たちは緊迫した雰囲気の中にいた。

重く渦巻く雲を背に、魔王と明智光秀、濃姫、森蘭丸が雨でも濯げぬ血塗れた崖の上に立っている。

不意に明智が、傷を負ってぐったりとした今川義元を鎌の先に引っ掛けて魔王に差し出した。
魔王が銃を抜き、その銃口を今川の頭に向ける。

「……」

政宗の手が剣に伸びる、だが、圧倒的な気迫――気迫というには邪悪な威圧が、崖下に集う双龍と真田主従にかかる。

誰もが手を出せずに見つめるなか、――銃声が静寂を破った。

「……っ」

非情に響き渡る銃背に、政宗が目を瞠る。

その眼前に、撃たれた今川の体が、どしゃっと音を立てて落ちてくる。

ぐしゃぐしゃになった死体を見て、政宗は歯を食いしばった。
今にも剣を抜いてしまいそうな腕を必死に抑える。

魔王を見上げ、そこに底知れぬ闇を感じて幸村は戦慄した。

魔王は興が失せたとばかりに銃をおろし、踵を返した。
その背を睨み、幸村と政宗は緊張で乾いたのどを震わせた。

「……っ第六点魔王」
「織田、信長……!」
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