おかえりなさい

女中の一人が、ばたばたと瑜葵の部屋に駆けこんでくる。
何事かと視線を向ければ、その女中は破顔して言った。

「御方様、お館様と真田様がお戻りになられました!」
「!」

女中の言葉に、瑜葵は目を瞠った。
もっとも、元が無表情なので僅かに目を見開いたくらいなのだが。

「帰ったのですか」
「はい、今母屋の謁見の間においでだそうです」

女中の言葉を聞くや、瑜葵はすくっと立ち上がった。
廊下へ飛び出すや、謁見の間へと急ぐ。

打掛の裾を翻しながら廊下を走る瑜葵を、女中達が慌てて追いかける。

「御方様、そのように走ってはなりませぬ!」
「はしたのうございます、御方様!」

女中の制止など、瑜葵には届かない。
帰って来た喜びだけで一杯で、早く会いたい気持ちだけで、廊下を進んでいる。

謁見の間まで少しという所で、壮絶な轟音が響いた。

「……?」

何の音か、首をかしげつつ角を曲がり、瑜葵は目を瞬かせた。

大破した襖と灯篭が枯山水の上に散らばり、漆喰壁に幸村がめり込んでいる。

粉塵立ち昇る廊下には戦装束の信玄と、いつもの装束の佐助がいる。

「諸国への目配りは当然のこと。幸村よ、あらゆることを、常に己が大将となったつもりで考えよ」

信玄の言葉に、幸村が壁から飛び出し、駆けだす。佐助は片膝をついた姿勢のまま動かない。

「うおぉぉっ!承知いたしましたお館様!しかしながら、某はお館様の元でいつの日かお館様が治める天下を」
「たわけがぁぁあ!」
「ぬおあああっ!」

幸村の言葉を遮り、信玄は返り討ちにするがごとく拳を叩きこむ。
幸村はまたしても大きく吹っ飛び、壁に激突する。
その衝撃の強さに、瑜葵は慌てて近くの柱に捕まった。

「戦国の世の武人ならば、隙あらば己が天下を望むぐらいの意気を見せい!」

壁に激突した幸村が、べしゃりと地面に落ちる。
だが、頑丈なことにむくりと起き上がる。

「幸村よ。儂も、いつかは老いるのだぞ」
「っ、お館様に限って、老いる、などと」

言いさし、幸村は目にもとまらぬ速さで信玄に飛びかかった。
佐助はただ片膝をついたまま動向を見守っている。

「ありえませぬぅう!」

幸村の拳が信玄の頬に当たり、信玄の巨躯が吹っ飛ぶ。
粉塵が立ち昇り、周囲の襖と謁見の間の床が抉られる。

「た、大将?」

心配そうに室内を覗いた佐助は、信玄の目に宿る意志の光を見てすぐ身を引いた。

「はっ、儂とて人の子、ゆめゆめ惑うでないわぁあ!ぬうりゃあぁあ!」

信玄の拳と幸村の拳が互いの顔に命中する。
二人の身体から炎が立ち昇り、二人は怒号をあげて拳を繰り出した。

「幸村ぁあ!」
「お館様ぁああ!」
「ゆぅきむるぁああ!」
「ぅおやかさまぁあ!」

恒例の殴り合い(愛)を始めた二人を、やや離れたところから見つつ、佐助は頬を掻いた。

「やれやれ……って、瑜葵ちゃん?」

ふと気配に気づいて振り返ると、そこにはぽかんとした表情で座りこむ瑜葵が居た。
殴りあう二人は気付いておらず、佐助は瑜葵の前に片膝をついて腰を下ろす。

「佐助、さん」

最初の衝撃から立ち直り、瑜葵は自らを覗きこむ忍に目を合わせた。

橙の髪に緑色の装束、いつもの優しい笑顔。
間違いなく、猿飛佐助その人だ。

「佐助さん」

瑜葵は佐助に抱きついて、その逞しい胸板に頬をすりよせた。温かい。
髪を撫でてくれる手も優しい。

「おかえりなさい、佐助さん」
「ん、ただいま。こんなとこでどうしたの?」
「凄い音に、驚きました」

未だ殴り合っている二人を一瞥し、佐助はなるほどと頷いた。
確かに、半月ぶりだと驚くかもしれない。

「大将、旦那、瑜葵ちゃんが来てますよー」

佐助が声をかけた途端に、二人がぴたっと止まる。
そして、佐助の傍で廊下に座る瑜葵を見て、目を瞬かせた。

「瑜葵殿、そこで何をしておられるのでござるか?」
「……、いや、何って」

いまさらのことを聞かれ、佐助は苦笑を浮かべた。天然素材の上司もある意味大変だ。

「お館様、幸村さん。おかえりなさい」

瑜葵の言葉に、二人はぱっと破顔した。

「うむ、ただいま帰ったぞ」
「ただいまでござる、瑜葵殿!」

一番聞きたかった言葉を聞けて、瑜葵は花が開くように微笑んだ。
それは些細な変化だが、温かさに満ちていた。

「怪我は、ありませんか」
「頑丈故、全くもって問題ないでござる」
「うむ、これしきで怪我などせぬぞ。それより、瑜葵。すまぬが、約束は少し後になる」

少し後、と聞いて、瑜葵はことりと首を傾げた。

「また、城を空けるのですか」
「うむ。今度も一カ月ほどになる」

また、一か月も一人きりなのだ。
瑜葵の顔に寂しさが滲んだのを見て、幸村と佐助はわたわたと慌てた。

「し、心配はござらぬ瑜葵殿!お館様が負ける事はありえませぬ、某と佐助も、そうやすやすと遅れをとりはしませぬ!」
「そうそう、すぐ戻ってくるからさ!大将は一カ月っていうけど、今回も十日で済んだし、ね?」
「……はい。あの、出発は、いつですか」
「明日には、出る」

城に帰ったと思えば、すぐ。これでは、長い旅でたまたま寄ったようなものだ。

「また、手合わせですか」
「う、うむ……瑜葵殿、その……っ某も尽力致します故に、その……っ」

幸村には、どう言えば寂しさを拭ってやれるのか皆目見当もつかない。
口の達者な腹心を見れば、壊れた障子の修理をしている。つまり逃げた。

いよいよ慌てる幸村の頭を掻きまわし、信玄は瑜葵の顔を覗きこんだ。

「瑜葵よ。約束は、必ず守る。暫しの間、待ってくれぬか」
「……はい。待ちます」

こくりと頷いた瑜葵の髪を、信玄はそっと撫でた。

「すまぬ、瑜葵」
「大丈夫です。ですから、早くに、帰ってきてください」
「うむ。約束しよう」

深く頷く信玄に、瑜葵は相好を緩めた。
寂しさがやや払拭されたのを見て、幸村はほっと安堵した。

そして、自分にはできないことを成し遂げる姿を、尊敬のまなざしで見つめた。



(減給だ、佐助)(ひどっ、八つ当たりしないの旦那)(ななななにが八つ当たりなものかっ)
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