作為的な痕跡
ハンジが現場に着いた時、既に集まるべき面子は集まっていた。訓練兵団の二等兵が二人、憲兵団トロスト区支部から派遣された兵士が数名、そしてミケとゲルガーの六人だ。
彼らは遺体を囲み、早くも互いの腹を探ろうとしていた。

「誰か現状を説明してくれる?」
「はい。殺害されたのは、カスパル・ヴェンデ。俺と同じ隊に所属する兵士で、昨晩は調査兵団の夜警をしていたはず、なんですが……」

ゲルガーは早口にまくしたて、遺体を見下ろして口をつぐんだ。同僚の死を悼んだからではない。彼には遺体がどうして訓練兵団の敷地内にあるのか、わからなかったからだ。
現場は訓練兵団の本部とその他の施設を結ぶ道の途中で、一番近くには訓練兵たちの兵舎がある。カスパルが夜警を担当していた場所からは、徒歩で四十分ほど離れている。任務中に持ち場を離れる筈がないので、普通は犯人が遺体を移動させたと考えるだろう。

しかし、現場の状況はそれを否定している。被害者は頸動脈を切断されており、血だまりの中に倒れている。血痕はほとんど遺体の周りに集中しており、引きずった形跡は見当たらない。つまり、被害者は殺される直前、何らかの理由で持ち場を離れ、訓練兵団の敷地内にいたことになる。

「彼はどうして訓練兵団に?」
「それが妙なんです。記録の上では、彼は訓練兵団本部に来ていないんです」
「敷地に入る許可を得ず、こっそり侵入したってこと?それは妙だね、なんだって彼はそんな真似を?」
「……わかりません」

ハンジの問いに、訓練兵団の二等兵が答えた。彼も事態をよく把握できていないようで、視線が落ち着きなく彷徨っている。門を通る際は必ず、所属と氏名と用件を記録する。その記録がないということは、門番を買収したか、門以外の場所から侵入したかのどちらかだ。どちらにしても、カスパルが何らかの不正を働いたことに違いはない。

「最後に会った時、彼は立体機動装置を装備していた?」
「いいえ。夜警の時は必要ないので……」
「では、彼は君と別れた後、わざわざ装備してここに来たことになる。何のために?」

状況から判断するに、殺害に使われた凶器はカスパルの装備するスナップブレードだ。犯人は一度カスパルに接近し、刀身ボックスからブレードを奪いとった。そして、八十センチ弱のそれを振るうために少し離れ、一振りで致命傷を負わせた。争った形跡はないため、カスパルは状況を理解する前に殺されたとみていいだろう。
スナップブレードの扱いはとても難しく、素人が使えば肉を切る前に折れてしまう。しかし、犯人は柄を装着していない状態で、刃を折ることなく肉を切っている。犯人はスナップブレードの扱いを学んだ人物、特に兵士である可能性が高そうだ。

「侵入経路を探す必要があるね。それに、彼の目的も突き止めないと」
「そんなことはどうでもいい。今は犯人の足取りを追うべきだ」
「犯人を捕まえるには、全てを解明する必要があると思うけれど?」
「いいや。犯人を捕まえればそれで終わり、他はどうでもいい」

憲兵に拒否され、ハンジは戸惑った。彼らのことだから、真面目に捜査する気などさらさら無いのは予想していた。しかし、ここまで強硬に突っぱねるのは少し不自然だ。面倒を嫌っているというより、そこに触れられたくない事情があるかのようだ。

「それより、どうして君がここに?被害者はミケ分隊長の部下で、君には関係ないはずだが?」
「いやぁ、調査兵団の兵士が死んだとしか聞かされなくてね。私の部下かと思って、すっ飛んできたんだよ」
「そうか。違うと分かったなら、部外者は首を突っ込まんでくれ」

ぐうの音も出ない正論に、ハンジは必死に頭を回転させた。トリナのためにも何とかして捜査に関わりたいが、首を突っ込む口実がない。下手に留まろうとすれば、もしトリナの脱走が発覚したら勘繰られかねない。此処は引くしかないのかと観念した時、それまで沈黙を貫いていたミケが口を開いた。

「今、俺の隊は休暇を取っている。人手が足りない」
「それは大変だ、私の隊から人員を回してあげよう!ニファ、皆を呼んで来てくれるかい」
「はい、ただちに!」

調査兵団には、壁外調査の後、生き残った兵士たちに休暇を与える決まりがある。家族と過ごすことで壁外の恐怖を忘れ、生き残ったことを喜び、そして戦う覚悟を新たにするためのリフレッシュ休暇である。ミケの隊は現在、仕事を回すための少人数を残して、ほとんどが休暇に入っている。一方、ハンジの分隊は今回の調査で得た情報を分析するために兵団に詰めている。事件に介入する口実として、これ以上に自然かつ都合のいいものはない。

ハンジ隊が森の中を捜索できるなら、万一トリナの関与を示す証拠を見つけても安心だ。憲兵はもちろん、エルヴィンにも知られることなく、それを握り潰せる。殺人の罪は看過できないが、トリナの中に芽生えた可能性の芽を摘みたくはない。
犯人から滴り落ちたと思しき血痕は、道を逸れて森へと続いている。ハンジはそれを指さして、憲兵たちににっこりと笑いかけた。

「森の中は私達が捜索するよ。憲兵兵団の隊服を藪で汚すわけにはいけないからね」
「ふん、貴様らにまともな捜査ができるとは思えんが……まあいい、こちらは聞き込みに回ろう」
「きちんと探してくれると良いんだが。そちらの不手際で捜査が行き詰まると困るな」

まともに捜査する気なんてないくせに、憲兵たちは早くも責任を押し付けようと考えているらしい。灌木の茂みに蹴り飛ばしたくなる態度だが、今回はこちらも腹を探られたくない事情がある。ハンジは笑顔の裏で苛々しながら、詰め所へ歩いていく憲兵たちに手を振った。
しばらく待っていると、ニファが部下を連れてくる。揃いも揃って寝不足が顔に出ており、日差しの下を歩く姿は幽鬼のようだ。

「みんな、事情は聞いたかな?」
「殺人事件の捜査で、森で犯人を探すんですよね」
「うん、そんなとこ。よし、捜査開始だ!犯人の痕跡を逃すなよ!」」
「はい!」

元気な返事はニファだけで、あとは墓場から聞こえてきそうな呻き声だ。ハンジは気にせず、めいめいに杖を渡して森へと追い立てた。ミケは部下と共にその光景を眺め、さてどう考えたものかと思考を巡らせた。
カスパルはミケの分隊に属している兵士だったから、彼のことはそれなりに知っている。彼は常に冷静に判断を下せる人であり、喧嘩一つしない穏やかな性格だった。なにより、壁外遠征で生き残れるくらいには腕が立つ。不意を突かれない限り、彼を殺すのは容易ではないはずだ。知人か、それとも警戒するに値しない人物だったか。

憲兵のいやに不自然な振る舞いも気にかかる。ハンジの主張を退けた時の彼らは、カスパルの行動を調べられたくないように見えた。憲兵がカスパルに命じて侵入させたのならば、その辺を揉み消したいのは分かる。しかし、調査兵団の兵士を訓練兵団の敷地に侵入させて、憲兵兵団に何の利益があるのだろう。
ミケはカスパルの胸に下げられた、金色の首飾りを一瞥した。彼がウォール教の信者だったとは知らなかったが、それも事件の原因かもしれない。ウォール教の過激さを嫌うものは、兵団内に少なくはない。権力闘争に長けたエルヴィンならば、何か知っているかもしれない。ミケは傍らのトーマに一つ頷いてみせ、その場を離れた。

一方、犯人の痕跡を探すハンジたちは、すぐに犯人が只者ではないことに気付いた。犯人の足跡には、明らかに正体を知られまいとする作為があった。まず、犯人は足のサイズを特定されないよう、爪先を浮かせて踵だけで歩いている。点々と落ちている返り血の中に、丸く小さな踵の跡だけが残っているのだ。下草をかき分けるだけでも大変なのに、目印が小さな窪みではさらに難しくなる。
さらに、犯人は頻繁に自分の足跡を踏むようにして少し戻り、大きくジャンプして別の地点から歩き出している。これは止め足と呼ばれる行動で、追跡者に足跡が消えたと錯覚させるために行う。多くは動物にみられる行動だが、犯人はそれを実に巧みに多用している。おかげで、現場から幾らも離れない内に、ハンジたちは犯人の痕跡を見失ってしまった。

「分隊長、この犯人……相当、手慣れてますよ」
「ああ。これは衝動的に人を殺めて、慌てて逃げた人間の行動じゃない」

凶器が被害者の持ち物だったため、ハンジは当初、場当たり的な犯行だと考えていた。犯人はここでカスパルと揉め、カッとなって殺してしまったのだと思ったのだ。しかし、衝動的な殺人であれば、犯人は大慌てで逃げるはずだ。
しかし、この犯人は至極冷静に、手の込んだ逃げ方をしている。誰かかが通りかかるかもしれないのに、わざわざ時間と手間をかけているのだ。これは計画的な殺人であり、カスパルの所持品を使ったのは、自分に繋がる証拠を残さないためだろう。

こんな犯行は、自分のことさえまともに認識できないトリナには不可能だ。ハンジは胸を撫で下ろし、部下達が灌木を切り倒すのを眺めた。彼女に関係がないのなら、これ以上首を突っ込む必要はない。明らかにトーンダウンした熱量で、ハンジはこの事件のことを考えた。
なぜパスカルは立体機動装置を装備し、深夜の訓練兵団に忍び込んだのか。なぜプロの人殺しに命を狙われたのか。犯人はなぜこの場所で凶行に及んだのか。まだ捜査が始まった段階であることを差し引いても、分からない事ばかりだ。

「まあその辺は、憲兵さんの仕事かなぁ」

ぐっと伸びをして、ハンジはふとミケが居ないことに気付いた。エルヴィンと同じくらい体格がいいくせに、彼の動きはとても静かで目立ちにくい。音を立てずにのそのそと動くところは野生の熊みたいだと、ハンジは密かに思っている。

「ミケはどこ行ったの?」
「さあ……臭いを追いかけて行ったんじゃないですか」
「あはは、確かにそうかもね」

ゲルガーの投げやりな返事に笑い、ハンジは遠くから歩いてくるモブリットに視線を移した。ハンジにだけ伝わるよう、小さくガッツポーズした彼の姿に、笑みがこぼれる。憲兵隊に知られる前に、無事にトリナを回収できたのだ。これで、彼女と事件を結びつけられることはない――柔軟な発想ができて、広い情報網を持っていて、やたら頭の切れるエルヴィンみたいな男が出てこない限りは。フラグじみた考えを頭の隅に追いやり、ハンジは何でもない風を装って頼もしい副官を迎えた。
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