偶然の積み重ね
人目を避けながら、モブリットは訓練兵団へと急いだ。殺人事件の捜査が始まる前に、なんとしてもトリナを回収しなければならない。できれば、訓練兵団にも知られることなく、彼女を取り戻したかった。今のトリナには、常にはなかった瑕疵がある。勤務態度のよろしくない憲兵兵団がそれを知ったら、彼女を犯人に仕立て上げ、捜査を切り上げるに違いない。

「こんなことになるなら、分隊長に味方すれば良かった……」

壁外調査が終わってから半月あまり、トリナの身柄はリヴァイの管理下にあった。勿論、ハンジは即座に抗議し、何が何でも自分の手元に留めようとした。しかし、トリナは手負いの獣よろしく凶暴化して、リヴァイでなければ管理できない状態だった。
高熱で意識が朦朧とした彼女はとにかく攻撃的で、落ち着きがなかった。夜も眠れず、水も飲めず、不機嫌になったかと思えば苦痛を訴えて泣き喚く。誰かが近付けば唸り声を上げ、触れようものならすぐさま攻撃しようとする。縛ると這ってでも逃げようとし、ベッドに縛り付けると体力が尽きるまで暴れた。

一時はひどく錯乱し、エルヴィンやリヴァイの姿を目で判別できなくもなった。声による命令は有効だったから治療できたものの、それさえ効かなければ彼女は死んでいただろう。とてもではないが、ハンジの手に負えるものではなかった。モブリットも一目見てそう判断し、ハンジをどうにか宥めすかした。
熱が下がり、エルヴィン達の姿を視覚的に判別できるようになって、薄汚れたマントさえ与えておけば大人しくなると分かって――それでようやく、ハンジ隊へ戻されたのだ。それが三日前のことだった。

今回の件で、発熱時のトリナは制御が難しく、極めて凶暴なことが分かった。そして、微熱とはいえ彼女は未だ発熱しており、事件があった時間帯は管理下から脱走していた。
これら二つの情報を聞けば、誰だって同じ結論に至る。深夜、凶暴になったトリナは部屋を抜け出し、たまたま遭遇した兵士に襲いかかった――と。トリナが軍法会議にかけられたら、ハンジも監督責任を問われる。これまでの深夜徘徊を看過していたことにも、何らかの処罰が下るかもしれない。

しかし、ハンジは調査兵団に必要不可欠な参謀で、兵団にとってその損失はトリナよりも大きい。事の次第によっては、エルヴィンはこの件でかなり厳しい選択を迫られるだろう。そして、考え得る最悪の状況を回避するためには、今この場でトリナを確保するしかないのだ。
モブリットはとりあえず、訓練兵の女子寮へと向かった。これまでの記録によると、トリナはいつも其処で確保されている。今回もここで見つかりますように。そう祈りながら建物を見ていると、ちょうど一人の訓練兵が出てくるところだった。

訓練兵はトリナと同じ東洋人で、無表情でモブリットに会釈した。東洋人というのは表情がないのだろうか。顔立ちはかなり綺麗だというのに、にこりともしないので薄気味悪く見えてしまう。
人を担いでいれば重いだろうに、少しも大変そうに見えない。力持ちなのだろうかと思ったところで、モブリットは立ち止まった。

「……ん?人を担いで?」

慌てて振り返り、モブリットは思わずヒッと小さく悲鳴を上げた。訓練兵の背後に、彼女のものではない長い黒髪がぼさぼさと広がっている。
もつれた髪の中には白い手も二つ見えるし、夜中に遭遇したらトラウマ必須の光景だ。

「君!待ってくれないか!」

呼びとめられ、トリナを担いだ訓練兵――ミカサは振り返った。ちょうどエレン達と合流したところで、彼らも一緒に振り返る。男は金色の髪、背は高く筋肉質で、兵士のような格好をしているが、所属のわかる上着は着ていない。このごろよく聞く不審者の特徴と、ぴったり一致している。

「それ、トリナだよね。迎えに来たんだけど、渡してくれるかい?」
「……誰ですか?」

トリナを確りと担ぎ直しながら、ミカサは怪訝さを隠しもせず問い返した。それとなく距離を取ろうと後ずさり、万一の時の為に右手を空けておく。エレン達もすぐに同じ疑問を覚え、ミカサの傍でそれとなく構える。エレンは戦うために、アルミンはミカサからトリナを受け取れるように。

「怪しい者じゃない!ほら、調査兵団の兵士だ」

不審者だと思われている事に気付き、モブリットは慌てて脇に抱えていた上着を広げて見せた。自由の翼が刺繍されたそれは、調査兵団の兵士でなければ持ちえないものだ。これならば、トリナを渡してくれるはず――しかし、淡い期待は、あえなく裏切られた。

「帰って来た人の中に、こんな奴いたか?」
「不審者は金髪の、体格のいい男らしい。特徴が一致している」
「闇市では、隊服が売られているんだって。兵団の敷地内だから、まさかとは思うけど……」

ひそひそと交わされる遣り取りに、モブリットはショックを受けた。疑われている。本当に兵士なのか疑われている。確かに、モブリットは兵士にしては珍しく物静かで、あまり目立つタイプではない。ハンジ隊は分隊長を筆頭に自己主張が強く、相対的に存在感が薄くなるのも仕方ない。
しかし、初対面の訓練兵に疑われるのは心外だ。ここはきっちり叱って、トリナを連れてずらかろう。モブリットがそう心に決めた時、アルミンがすっと手を挙げた。

「あの、訓練兵団の詰め所まで、一緒に行ってもらえますか。この子が来たことを報告したいので」
「えっ、と、それは……」

思わぬ提案に、モブリットは顔を引きつらせた。今頃、訓練兵団の詰め所では殺人事件の捜査が始まっているだろう。そこにトリナを連れて行くなんて、最悪の事態へ全力疾走しているようなものだ。
しかし、ここで断れば、ますます不審がられるに違いない。事情を知らない彼らからすれば、疾しい所があるから行けないに決まっている。研究者としての優れた頭を回転させ、モブリットは必死に言い訳を考えた。

「分隊長に急いで連れて来るように言われてるから、回り道はできない。その子を早く医者に診せないといけないんだ」
「医者に?どうしてですか?」
「熱を出したからだよ。触ったら分かるだろう?さあ、渡してくれ」

エレンはミカサの後ろに回り、未だ担がれたままのトリナの額に触れた。これでも医者の息子なので、平熱かどうかくらいは判断できる。エレンが首を横に振ると、ミカサは明らかに軽蔑を込めた一瞥をモブリットにくれた。

「平熱だそうですが」
「昨日まで発熱していたんだよ。熱が下がったなら、尚のこと医者に診てもらわないと」
「どうして、訓練兵団の詰め所に行けないんですか。理由を説明してください」
「だから!分隊長に急いで連れて来いって言われてるんだよ!」

時間がないというのに、会話は堂々巡り。訓練兵との距離は遠くなる一方で、トリナを回収できないまま時間が過ぎる。モブリットは女子寮周辺の不審者情報を知らなかった。そのため、なぜこうも不審者扱いされるのか理解できないし、事情が事情だけに説明することもできない。

しかし、訓練兵――ミカサ達からすると、モブリットはいかにも怪しい。特に、ユミルの軽口を聞いていたミカサの目には、トリナを裸にひん剥いた輩に見える。そんな輩に、無抵抗で大人しいトリナを預けるわけにはいかない。結局、キース教官がたまたま通りかかるまで、両者の睨み合いは続いた。
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