ぶかぶかの服
報告書に埋まったハンジを掘り起こし、モブリットは思案した。くたびれきった今の彼女には黙っておくか、叩き起こして報告するか。できれば、巨人で頭いっぱいの彼女はそっとしておきたい。しかし、そうもいかない事情がある。モブリットは溜息をつき、ハンジの肩を強く叩いた。うざったそうに唸られたが、構わず叩き続ける。それでも抵抗するので、モブリットは最終手段を使うことにした。

「分隊長、トリナが居ません」
「なんで!?」

途端に覚醒した彼女に、モブリットは溜息をついた。なんでと言われても、彼にも事情は分からない。彼女の世話係であるドナートという衛生兵から、彼女がベッドにいないと報告を受けただけだ。そして、彼女は協力してくれる同僚と一緒に、身柄を確保するためすっ飛んで行ってしまった。

「まだ微熱あったよね?なんで居なくなるの?どこに行ったの?!」
「落ち着いてください。たぶん、訓練兵団の所に行ったんですよ」

段々とヒートアップしてくるハンジを宥めようと、モブリットはそう言ってみた。しかし、それは火に油を注ぐ行為でしかなかった。カッと目を見開いた彼女は、モブリットの持つカルテを放り投げた。

「トリナが覚えてるわけないじゃん!最後に行ってから何日経ったと思ってるのさ!」
「忘れたっていうんですか?」
「確証はないけど、たぶん。とにかく、見つけないと……」

ハンジの管理下に戻されて以降、トリナには定期的に麻酔薬を投与していた。それに、徘徊する動機を覚えているはずがないからと、手足を拘束していなかった。こんなことになるならば、鎖とまでいかずとも、せめて拘束帯で繋いでおけばよかった。
何らかのきっかけで攻撃性が増したら、大変なことになる。彼女は人殺しを躊躇わないし、殺す相手を選んだりもしない。最悪の場合、遭遇する人全てを手当たり次第に殺すかもしれないのだ。

「大変です、分隊長!」

言いあうハンジ達の部屋に、ニファが飛び込んでくる。顔面蒼白で今にも吐きそうな顔をして、蹴り開けた扉にしがみつくようにして立っている。その様子を見て、ハンジは天を仰いだ。彼女が言うまでも無く、トリナが人を殺したのだとわかった。

「調査兵団の兵士が一人、殺されてました!」
「トリナは?近くにいた?」
「え?いえ、居ませんでしたが……彼女がどうかしたんですか?」

ハンジの問いに、ニファは首を横に振った。トリナの行方不明を全く知らないようで、なぜそんなことを聞くのかと首を傾げている。その様子を見た瞬間、ハンジの賢い頭は最善の受け答えを導き出した。

「いつもの徘徊だよ。訓練兵団の方へふらふらっとね」
「そうなんですか。もう保護しましたか?」
「いや?これから行こうと思ってたんだけど、後に回すよ。あっちに居る時は大人しいから、ちょっとくらい放っておいても大丈夫だろうし」

すらすらとそれっぽい事を言いながら、ハンジはモブリットに目配せした。自分が殺人事件の方を見るから、君はトリナを発見・回収しておいてくれと。分隊長という立場は――当人の強烈な個性を差し引いても――良く目立つ。トリナを探してその辺の藪をつついて回っていたら、いろんな人に見られてしまう。

副官の彼の方が、トリナを探してもそれほど目立たないだろう。モブリットも軽く顎を引いて応えた。事件の全貌が見えない今、トリナの不在を憲兵団に知られるわけにはいかない。事なかれ主義の彼らのことだ、自己弁護のできない存在をこれ幸いと犯人に仕立て上げるに決まっている。
それに、もし彼女が犯人であっても、憲兵団に引き渡すことはできない。彼女は兵団が持つ貴重な戦力であり、エルヴィンの作戦立案に必要な駒の一つなのだ。彼女が使い物にならないと分かるまでは、失うわけにはいかないのだ。

「ニファ、殺人現場へ案内してくれるかい」
「はい。こっちです」

ニファと一緒に出て行く分隊長の背を、モブリットは何食わぬ顔で見送った。そして、足音が遠ざかったあと、頭を抱えて呻いた。

「探して回収しておけって、無茶ですよ、分隊長……っ」



不憫な苦労人が上司の無茶ぶりに嘆いている頃、トリナはミカサに服を着せてもらっていた。そういっても、ミカサの服を着せてもらったわけではない。ウォールローゼ出身の、ミーナの服だ。
避難民にして孤児であるミカサの服は、どれも着古していて擦り切れている。解れたところは繕い、穴が空いたところは裏から布を当てている。ミカサ自身はそうした服を着ても恥ずかしく思わないが、他人に着せるとなると抵抗がある。

相手が調査兵団の兵士で、上層部と関わりの深い人となれば尚更だ。あんまりみすぼらしい服を着せて、兵士達ににあれこれ言われるのは癪だ。トリナ自身は何も分からないだろうから、尚更にそうした事が気になった。
ミーナはローゼ出身で、両親も健在だ。ミカサより手持ちの数も多く、頼むと快く貸してくれた。実家は農家だと言っていたが、それほど食うに困っていないのだろう。

「どう、サイズ合ってる?」
「手足がだいぶ余っている。でも、折れば問題ない」
「そっか〜、確かにあたしの服じゃ大きすぎたね」

三回も折り返したシャツの袖を見やり、ミーナは苦笑した。片方がずり下がっていたので、直してあげようと手を伸ばす。マルコをボコボコにした時のことが脳裏をかすめたが、構わず袖を折り直してあげる。幸い、彼女は着せ替え人形のように大人しく、されるがままだった。

「そういえば、なんで裸だったのかな。いつもは服着てたじゃん、裸足だったけど」
「例の不審者に何かされたんじゃないの?」
「ユミル!」

ユミルの軽口に、部屋に残っていた女子の間にピリッと緊張感が走る。このところ、女子寮の周辺で不審な人物が目撃されており、皆が警戒しているところなのだ。クリスタは大慌てでユミルに駆け寄り、目を三角にして怒った。

「憶測でひどいことを言ったらダメだよ、ユミル」
「下劣な噂話はお気に召さないか?さすが女神さま、おキレイなこって」
「ユミル!」

クリスタが頬を膨らませて怒っても、ユミルはヘラヘラと笑うばかりで気にも留めない。お小言を聞き流しながら、何食わぬ顔で部屋を出て行ってしまう。残された者は、奇妙な空気に居たたまれず、数人で固まりながら後に続く。ミーナもハンナ達と固まりながら、ミカサに声を掛けた。

「ミカサ、預けに行くんでしょ?朝ご飯は確保しておくけど、急いでね」
「ありがとう」

サシャの前で食料を死守するのは、巨人から逃げることや空腹で訓練に参加することと同じくらい難しい。ミーナやクリスタが頑張ってくれても、それは時間稼ぎにしかならないだろう。
最も早く食堂に行く手段を考えた末、ミカサはトリナを肩に担ぎ上げた。フラフラ歩く彼女に付き合うより、自分が運んだ方が早い。幸い、彼女は小麦袋よりは重いが、運べないほどではなかった。

「行ってくる」
「え、ええ……いってらっしゃい」

トリナは殺意のスイッチが不安定な、クレイジーキラーのようなものだ。拘束されていない彼女を平然と肩に担ぎ、物理的な重量にも揺らぐことなく歩き出す。恐れを知らぬ強者然としたミカサを、ミーナを始め多くの女子は愕然として見送った。
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