安心毛布の悲劇
調査兵団の活動と、訓練兵団の毎日には何ら関係はない。彼らが壁外に出た日も訓練、遠征中も訓練、帰還したその日にも訓練があった。

「痛っぅう……」

目が覚めて早々に、アルミンは体中を苛む筋肉痛に呻いた。昨日は崖に等しい急勾配の斜面を登る訓練だったので、あちこち痛くて堪らない。しかし、訓練兵団に入ってからというもの、体のどこかしらが痛む毎日だ。いい加減、筋肉痛にも慣れてくる。寝起きの痛みは、鏡を見たら寝癖が見つかるのと同じくらい普通なことだ。
アルミンは体を起こすべく、ゆっくりと横向きに姿勢を変えようとした。寝起きで体の硬い時はそうしないと、余計に筋肉を痛めてしまうのだ。しかし、腹のあたりに何かが引っ掛かっていて、寝返りが打てない。

「エレン、潜りこんでたの?」

どうせエレン辺りが寝惚けて潜り込んだのだろう。そう考え、アルミンは腹に回された腕を引き剥がそうとした。しかし、その意図を察した途端、有り得ないぐらい力強く抵抗される。

「ぐえっ、ちょっ……!?」

体を真っ二つにせんばかりの力で締め上げられ、アルミンはこれがエレンでないことを確信した。ミカサならまだしも、エレンにこんな力はない。泡を吹いて気絶する前になんとか逃れようと、アルミンは少しだけ毛布を捲った。すると、そこには思いもよらぬ人がいた。長い黒髪に白い肌、ミカサと同じ東洋人っぽい顔立ちの、――二週間前まで壁外に出ていた人が。

「トリナ、なんで君がここに……!」

問いかけても、まったく無感動な黒い瞳はぼーっと中空を見ているばかりだ。そのくせ、彼女の両腕はアルミンの腹をギリギリと締めて離さない。このまま締められたら、臓物が変形するか破裂するかもしれない。

「エレン、助けて!このままだと死んじゃうから!」
「なんだよアルミン……、まだ起床時間じゃないぞ」
「うるっせぇぞ、なに騒いでんだ!」

隣に寝ていたエレンに助けを求めると、エレンの声に反応してジャンも起きる。おかげでその隣のマルコと、その上段で寝ていたコニーが起こされる。そして、皆がアルミンの腹に張り付いたトリナを見て、吹き出した。

「何だこいつ!なんでお前の腹にくっ付いてんの?」
「寝込みを襲うとはとんだクソアマだな。記憶が無かったら貞操も無ぇのかよ」
「どうやって忍び込んだんだろう?窓には鍵が掛かってるはずだよね……」
「ミカサと間違えたのか?おい、女子寮はあっちだぞ」

四人とも寝そべったまま話すだけで、助けてくれそうもない。エレンに至っては、女子寮とは正反対の、明後日の方角を指差している始末だ。筋肉痛に軋む体を更に締め上げられて、アルミンの体力は早くも底を尽きかけているというのに。

「何でもいいから、助けて。かなり痛いんだよ……!」
「そうは言ってもなぁ、マルコみたいにボコられたくないし」

迂闊に手を出すと、痛い目に遭うかもしれない。命令が無ければ攻撃することはないらしいが、それもイルゼの一件以降は定かではない。ジャン達は口々に謝りながら、夢の世界に戻って行った。結局、他人は頼りにならないということだろう。
家族同然の幼馴染を見ると、彼はまだ夢見心地でぼーっとしていた。

「エレン、なんとかならないかな?そろそろ中身が出そうなんだけど」
「おぉ、離せばいいんだな……?任せとけ」

船をこいでいる割に、妙に自信ありげな口ぶりだ。半分眠った状態でまともに対応できるのか甚だ疑問だが、アルミンは最後の希望に取り縋った。しかしてエレンがとった行動は、ごく単純なものだった。トリナの腕を叩きながら、話しかけたのだ。

「おい、アルミンが痛いって言ってるぞ」
「……あるみん、いたい」
「そう、痛い。腕、こっちな」
「いたい、うで、……こっち……」

エレンは言いながら、トリナの腕を無造作に剥がし、アルミンの腕に誘導した。これならば、万力で締め上げられても腕一本で済む。アルミンは彼の無造作な処置に驚き、常ならぬ緊張状態に取り残された。昨日の崖登りでも、ここまで神経が張り詰めることはない。
トリナが癇癪を起したら、真っ先に血の色を見るのは自分だ。こっそり目だけ動かして様子を窺うと、彼女は中空を見つめたまま呆然としている。エレンの言葉を繰り返していたが、どこまで意味を理解しているのか。永遠にも思われる数十秒の末、トリナの手は腹に戻らず、素直に腕を選んでくれた。先程と違い、明らかに力加減がなされている。おかげで、骨がギシギシ軋むこともなく、荒れた硬い手が擦れるくらいで済んでいる。

「エレン、僕は今、初めて君が救世主に見えたよ……」

いじめを止めに来てくれた時は、一度たりともそう見えなかったのに。アルミンは感動しながら、起床時間まで一睡もせず、身動ぎもしないよう頑張った。



ガンガンと起床時間を告げる鐘が鳴ると、男子達は寝惚け眼を擦りながら体を起こした。そして、いつも通りに寝間着を脱ぎ、隊服に着替えようとする。

「待って、皆!この子を外に出すまで待って!」

ジャンがズボンに手を掛けたのを見て、アルミンは思わず声を張り上げた。いくら記憶や感情が無くとも、トリナはれっきとした女の子だ。後々にどんな風に成長するかわからないのだから、迂闊な真似はしないに限る。

「そういや居たな、そいつ。でも別にいいだろ、覚えられねぇんだから」
「教育によくないよ。ほら、トリナ、起きて。こっちおいで」

アルミンはトリナを起こそうして、ぴしりと凍りついた。さっきは全く気付かなかったが、彼女は何も身につけていなかったのだ。正真正銘の素っ裸で、夜――たぶん夜――に、男子寮のベッドに忍び込む。それがどれほどの問題行為で、色々な誤解を生む危険なことか、賢い頭は即座に理解した。発覚すれば刑罰待ったなし、冤罪で御縄になる――彼女ではなく、アルミンが。
アルミンは素早くトリナを毛布で巻き、その上からベルトで縛り上げた。こうすれば、移動中に毛布が脱げることはない。肩から腰まで縛ったので、トリナの両手も拘束で来ている。もし癇癪を起こしても、誰かが傷付くことはないだろう。

「アルミン?どうしたんだよ」
「何でもないよ、何でもない。気にしないで」
「気になるだろ。なんで毛布で包んでんだよ?ベルトで縛る必要なくね?」
「コニーは黙って!生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ!」

真っ青な顔で訴えられ、コニーはなんとなく頷いた。事情はまったく分からないが、彼が追い詰められていることはなんとなく理解できる。訓練でフラフラになっている時でさえ、彼がここまで危機迫ったことはない。

「わかった、よくわかんねーけど。頑張れ!」
「ありがとう!この子、ミカサに預けてくるね!」

そう言って、アルミンはトリナの背を押しながら男子寮を飛び出した。この奇妙な行動が、後に厄介なことに繋がるとも知らずに。
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