試練を、望まずとも
一夜明けて、ハンジが来る前に。リヴァイは医療研究棟にあるトリナの部屋を訪れた。
昨日と違い、トリナは大人しく寝台で眠っていた。両手と両足を包帯で拘束され、胎児のように背を丸めている。
リヴァイは寝台に腰掛け、手の甲でトリナの頬を撫でた。何も知らない、何もわからない幼い子供。その子供に、ハンジは愛情を与えるという。知識を、自我を、感情を与えるという。

そんなものは、ただトリナを苦しめるものでしかない。戦場では、何も知らない方が幸せだ。何も知らず、何も思わずにただ命令に従っている方が楽だ。知れば傷つく。思えば臆する。だから教官は新兵の自我をへし折るのだ。例え今のトリナが、見るに耐え難いほど痛々しくとも。それが戦場で一番幸せなのだから、それでいい。
どうせトリナには、戦場以外で生きる場所などありはしないのだから。

「起きろ、トリナ」

命じれば、トリナはぱちりと目を覚ました。眠っていようと反応するのは、骨の髄までリヴァイに忠実だからだ。その反応に満足し、リヴァイはつとめて優しく髪を撫でてやった。満足したからではない。それが命令に従った『ご褒美』だからだ。
廊下側から、バタバタと走る足音が聞こえる。ハンジが起こしに来たのだ。それもいつものハイテンションで。リヴァイは手を引き、そして大音声に備えて両耳を覆った。ハンジが扉を蹴破るまで、後三秒。


団長に呼ばれたハンジとリヴァイは、廊下でトリナに待機命令を与えて執務室に入った。

「今回の事件と双方の意見を聞いた上で、トリナの処分に関する決定を伝える」

エルヴィンを前に、ハンジはぐっと唇を引き結んだ。一晩置いた上での決定は、昨晩のように覆すことは出来ない。今出来るのは、願うことだけだ。せめて目線だけは逸らすまいと、ハンジは覚悟を決めて目を見つめ返した。

「トリナはリヴァイの管理下に戻す」
「……っ」
「ただし、それは壁外調査、平常訓練、制御不能時のみに限定する」

リヴァイの眉間に皺が寄る。逆にハンジは胸を撫で下ろし、安堵のため息をついた。エルヴィンの発言から察するに、全てが奪われる訳ではないのだ。しかし、最も重要な部分が不明のままだ。リヴァイとハンジ二人から視線で促され、エルヴィンが説明を続ける。

「これらの時以外だが、トリナを一○四期に編入させることにした」
「「は?」」

予想外の決定に、リヴァイ達は思わず間抜けな声を上げた。話の流れではハンジの担当と思われた部分が、――予想だにしない方向に走っている。

「幾らなんでも無理があるだろ。何考えてんだ」
「既に決めた事だ。編入手続きも済ませてある」
「いつの間に!」
「昨晩の間に」

ハンジの叫びにも冷静に応じ、エルヴィンは二人の前に編入届けの控えを出した。ハンジが素早く奪い取り、上から下までじっくり三度も読み返す。そして、それが冗談や偽物でないことを確認し、がくっと方を落とした。

「一○四期との訓練中における管理はハンジの隊に任せる。ただし、監視には最低一人班長クラスを入れるようにしてくれ」

これは教官がトリナの編入を認めるにあたり提示した条件の一つだ。トリナの対人格闘術は、拾った段階で既に相当のものだった。現在のところ、本気で暴れるトリナを押さえ込めるのはリヴァイしかいない。
班長クラスならば、押さえ込むことは出来ずとも麻酔銃を撃ち込むことくらいは出来るはずだ。

「なお、壁外調査前の集団訓練や治療実験を最優先とし、共同訓練はそれらの無いときのみに限定する」

つまるところ、トリナの日常は以下のように変更される。まずトリナは午前中の平常訓練を早朝に行い、朝から一○四期生と共同訓練をすることになる。このとき管理はハンジの隊に任される。また壁外調査前の集団訓練や壁外調査が入ったときはそちらに専念し、この間はリヴァイの隊の管理下におかれる。

そしてハンジが投薬及び発達研究を行いたい場合、共同訓練よりそちらが優先される。もちろん管理はハンジの隊だ。最後にトリナが制御不能になった場合、即座にリヴァイの管理下にて暴力を伴う教育を施すこととなる。

「じゃあ、現段階でトリナの成長を止めることは?」
「無しだ」
「やった!流石エルヴィン、話がわかる!」

ぱああっと顔を輝かせ、ハンジは机をばしばし叩いた。本当はエルヴィンの背を叩きたい所なのだが、手が届かない。小躍りしそうなハンジを他所に、リヴァイは心底不満げに舌打ちした。

「納得がいかないか、リヴァイ」
「……てめぇが決めたことだ。従うが」
「ならばいい。壁外調査のときは任せたよ」

トリナが問題を起こすかどうかは、リヴァイに委ねられる。それだけでも、万一の危険は減る。リヴァイが彼女を制御し損なったことはただの一度とて無い。自我がなかったためでもあるが、トリナはリヴァイの命令だけは決して聞き漏らさない。
どれだけ遠く離れていても、姿が見えなくても。リヴァイの命令は必ず届き、そして必ず遂行される。実際の戦場ではリヴァイとトリナの配置は大抵離れている。双方実力があるため、要となる場所に別々に配置されるからだ。
しかし、今後は監視できる位置におく必要がある。必然兵力のバランスが偏るため、色々変更しなければならないだろう。

「ハンジはこれからトリナを訓練兵団に連れて行ってくれ。リヴァイは隊列の配置について相談がある」
「平常訓練は?」
「今日は無しだ。明日からは起床時間を三時間早めて、共同訓練前に終えるようにしてくれ」
「わかった。じゃ、私はこれで」

スキップしながら去るハンジを見送り、リヴァイはため息をついた。そしてふと、次の壁外調査の日程を思い出して顔を歪めた。

「おい、エルヴィン。次の壁外調査は確か」
「二十日後だ。ちなみに集団訓練は十四日後から予定している」
「……今編入させる意味があるのか、それは」

トリナは人を個人として認識しておらず、個人を殆ど覚えない。興味を持った人か、よほど頻繁に接する人ならば辛うじて、一ヶ月ほどで覚えるが。十四日以内にトリナが同期を覚える確立はゼロに等しい。壁外調査から帰ってきたら、全て忘れているだろう。
兵士ですら受け入れられないその現象を、十二かそこらの少年少女はどう受け止めるのか。

「辛いことは、一番最初に突き付けておくべきだろう?」
「……性格悪ィな、クソが」
「お褒めの言葉をありがとう」
「褒めてねぇ」

この腹黒タヌキめ。心中で罵りながら、リヴァイもまた執務室を後にした。
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