攻守の選択
愛情で人を拘束する、それは世界で一番残酷な方法だ。暴力や痛みは望まずして与えられるものだ。大抵の人はそれらを疎んじ、与えられないように努力する。
しかし、愛情は望んで求めるものだ。人は誰しもそれを求め、与えられようと努力する。

愛情を欲する子供に、欲しければ努力しろと命令する。命を賭けさせ、怖い思いをさせて。命令に従えば愛してやると。従わなければ愛してなどやらないと。そう言って、過酷な戦地へ駆り立てる。
それがどれだけ惨いことなのか、ハンジはわかっている。体の傷より心の傷のほうがずっと痛く辛いことも、わかっている。それでも、そうでも言わなければエルヴィン達は動かない。動かないのだ。

違う。私は本当に、大切に思っているんだよ。打算で愛しているわけじゃない、大切にしているわけじゃない。本当に、心から大切に、大切に思っているんだ。けれど、それとこれとは話が別なのだ。
ハンジは奥歯を食いしばり、対峙するエルヴィンを睨み返した。


「理性をもたない子供を痛みで従えようとしても、反発するだけだ。それなら、理性を持つまでは愛情で拘束した方がいい」

幼年期の子供には、叱る教育より褒める教育が適している。間違えたときは叱らねばならないが、手をあげ大声で怒鳴り散らしてはいけない。そんなことをすれば、子供の積極性や独自性を摘み取ってしまう。

「可愛がれば懐く。懐けば、進んで命令に従うようになるよ。悪くない話じゃないかな」
「……はっ、くだらねぇ。てめぇにしては確実性に欠ける提案だ」
「そりゃあ、確実ではないよ。でも、絶対に反発を招いたりはしないと思うな」

第一次反抗期を迎えると、子供は何かと反発したがるようになる。暴力で押さえつけようとすれば、全力で刃向かってくる。拙いのは、その時の苛立ちをトリナが覚えてしまうことだ。もし『命令』に嫌悪感を覚えたならば、トリナは『命令』を『きらい』になる。
トリナは『きらい』な事をとにかく嫌がる。万一『命令』を『きらい』になったら、聞かなくなるかもしれない。

「トリナは私の管理下に置く。リヴァイには任せられない」
「ふざけんな。今のうちに上下関係を叩き込まねぇと後々面倒になるだろうが」
「その面倒を乗り越えたら、もっと有能になるかもしれないのに」
「面倒で終わったら意味がねぇだろ」
「だから私が面倒見るってば」

やいやい言い合い始めた二人を他所に、エルヴィンは思案した。トリナが自我を持ち始めたと聞いたとき、エルヴィンとリヴァイは危機感を覚えた。彼女が自分達に反発する可能性を考えたからだ。
しかし、可能性を摘めば現状維持は出来ても現状以上のものは出せない。賭けるか守るか、どちらを選ぶか。エルヴィンは溜息をつき、ぎゃんぎゃん言い争う二人に聞こえるよう大きく咳払いした。

「何だエルヴィン」
「何なのエルヴィン」
「……今日はこれで解散しよう。明日、決定を伝える」


二人を追い出した後、エルヴィンは知人のもとを訪れた。かつては同じ戦場を駆けたこともある男で、今は教官を務めている。あの日、ウォール・マリアが陥落した日。彼は巨人に対する恐怖に負けて、一線を退いた。

「頼みがある。聞いてもらえないだろうか」

エルヴィンの言葉に、男はぴくりと眉を動かした。そして、髪を掻き毟るように禿げた頭を撫でて、目線を逸らした。

「将来への見込みはあるのか」
「わからない。しかし、私は賭けてみようと思う」

賭けはどう転ぶかわからない。それを承知で、エルヴィンは選択した。トリナ。謎多き手駒。全てを持たない可哀想な人。その彼女に多くを与えた所で、大半は戻ってこないだろう。
だが、たった一つでもいい。彼女が何かを返してくれるならば、賭けに出るだけの価値はあるのだ。

「……良いだろう。具体的に説明しろ」

旧友の返答に安堵し、エルヴィンは道中で考えていた案を提示した。



翌朝、訓練場に整列した一○四期生はトリナを見てぎょっと目を剥いた。正確には、トリナが教官の隣に立っていることに驚いたのだが。ただ、その立ち位置を見れば、一目で今までとは違うことがわかる。今日の彼女は、教官に認められて此処にいるのだ。

「既に知っているだろうが、紹介しておこう。これは調査兵団所属のトリナ兵卒だ」

これ、といって教官はトリナを一瞥した。肝心のトリナは、いつもの無表情でぼうっとしている。

「これは調査兵団長の要請で、本日より一○四期生と共に訓練を受ける事になった。各員、彼女を参考に訓練に励むように」

一○四期生がビキッと音を立てて凍りつく。今教官が何を言ったのか、即座に理解できない。理解が追いつかない。驚きで反応が鈍ったおかげで、情けない叫び声をあげずに済んだのだが。それでも、理解するに従って混乱が広がっていく。

「訓練兵に逆戻りなんてあるのか?」
「さあ……でももしそうなら、大した腕じゃないんだな」
「でも教官が参考に、とかって言ったぞ?」

ひそひそとあちこちから会話が聞こえてくる。しかし、教官はそれ以上の説明をするつもりはなく、思考は本日の訓練内容にシフトした。

「それでは、本日は立体起動の適正を確認する。総員、付いて来い!」
prev Index next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -