事後処分
トリナとハンジによる大騒動は、全ての部屋の掃除が終わった夕方に片付いた。そして、日も落ちた夜中、ハンジはトリナの処遇について話があると呼び出された。

「ハンジ。落ち着いて聞いてほしい」

ハンジを呼び出したエルヴィンは、一言前置きして述べた。

「トリナに関する全権をリヴァイに戻す事にした」
「……っ?!」

ハンジに雷に打たれたような衝撃が走る。一瞬魂が抜けかけるが、背後からリヴァイがハタキをぶつけた事で我に帰る。

「トリナが、ええ、と、なんて……?全権、戻す?」
「そうだ。リヴァイの管理下に戻そうと思ってね」

ハンジの脳内を、トリナ、リヴァイの管理下、戻す、という言葉がぐるぐる駆け巡る。それらを三拍おいてようやく飲み込み、ハンジはバンッと机を叩いて立ち上がった。

「却下!断固拒否、絶対駄目!」
「これは決定事項だ、ハンジ。駄目も拒否も却下もない」
「そんな!」

にべも無い返事に、ハンジは悲鳴を上げた。無言でコーヒーを啜っていたリヴァイが眉間に皺を寄せる。

「監督不十分だったことは認めるよ。でも、今のトリナをリヴァイに預けるのは絶対駄目」
「一応、そう主張する理由を聞いておこうか」
「トリナはようやく成長段階に踏み出したんだ。私の手元で適切な環境に置くのが一番だよ」

トリナはイルゼに叩かれて、癇癪を起こした。癇癪とは子供の生育過程において一番最初に見られる自立心、自我の芽生えだ。それらが芽生えるためには、中長期的な記憶を持つことが必要となる。
つまり、トリナは何らかの中長期的な記憶を保持できた事になる。ひいては今後、覚えられる記憶が増える事は勿論、大幅な精神的成長が期待できる。
精神的に成長すれば、今までより複雑な命令を与えることも出来る。感情を持つことで仲間を慮ることが出来るようになるかもしれない。

「俺は、あいつを成長させる必要はないと思っている」

それまで沈黙してきたリヴァイが吐き捨てるように言う。その言葉に、ハンジはゆらりとリヴァイを振り返った。

「それは、どういう意味?リヴァイ」
「あいつの利用価値は命令に忠実で在る事だけだ。自我なんぞ要らねぇ」
「な……っ」

あまりの物言いに、ハンジは愕然とした。成長させるために努力してきた事を、全て無駄だと言われたも同じなのだ。意見を求めてエルヴィンを一瞥したが、表情からは動揺の類は見られない。リヴァイの考えを知っていての決定だったのだ。
しかし、それならばなおのこと、ハンジには受け入れ難い。トリナの成長性を潰すだろうリヴァイに、トリナを渡す訳にはいかない。表情を引き締め、ハンジは椅子に腰を下ろした。一度深呼吸して冷静さを引き戻し、改めてエルヴィンに向き直る。

「エルヴィン。どうしてリヴァイにトリナを委ねると決めたのか教えてほしい」

冷静に反対され、エルヴィンは少しばかりの沈黙を置いて答えた。

「先ほどリヴァイも言ったが、トリナが自我を持つ事にはある種の危険が伴う」

今までのトリナは、リヴァイやエルヴィンに命じられるままに戦ってきた。他の兵士なら尻込みするような数の巨人を相手に戦わせた事もある。作業が終わるまでの間、十時間以上ぶっ通しで戦わせた事も少なくない。
しかも通常班行動するところを、トリナはたった一人でしてきた。班行動が出来ないせいなのだが、一人の戦士に課す仕事量としては余りにも多すぎる。

それらの命令に、トリナは唯々諾々と従ってきた。自我がないから、不満を持つことも疑問を持つことすらも出来ずにいたからだ。もしトリナが自我を持ち始めれば、まず恐怖を知るだろう。恐怖は確実に彼女の刃を鈍らせる。それは彼女の戦士としての働きを著しく低下させる。

リヴァイと並んで戦力に数えられている彼女が機能しなければ、壁外調査自体に支障が出る。被害も今以上に出るだろう。最悪、トリナ自身が戦闘不能になる恐れがある。恐怖を知った後、自ら戦う意思を持つまでどれくらい時間がかかるのか。そもそも、自我をもって戦い以外の事を知ったとき、彼女は戦いを選択するだろうか。
トリナの精神的な成長は、不確定要素が大きすぎるのだ。

「私は、トリナの語彙を増やすことには賛成だ。そうすれば、複雑な命令を与える事が出来ると考えたからね」

命令の『対象』と『すべき行動』さえ伝わればいい。トリナが命令に対する感情や思考、独自の判断をもつ必要は無い。そう考えたからこそ、エルヴィンはトリナをハンジに預け、今またリヴァイの元に戻そうとしているのだ。

「エルヴィンは、トリナが命令を聞かなくなる事を恐れてるの?」
「ああ。壁内ならともかく、調査時に反抗されては困る」
「ならば猶更、トリナをリヴァイに預けては駄目だよ」

言い差して、ハンジは一呼吸置いた。これから言うことは、とても非情な理論だ。言うだけでも心が苦しい。けれど、これしかエルヴィン達を説得できない。言ったところで説得できるかもわからないが、言わなければ決定を覆すことは出来ない。膝の上で拳を握り締め、ハンジはすっと深呼吸した。

「エルヴィン。私はトリナを拘束する鎖は、痛みと暴力だけじゃなくても良いと思うんだ」
「……というと?」
「エルヴィンとリヴァイは、トリナに痛みと暴力で鎖を掛けたね。恐怖を枷に、命令で繋いできたね」

痛みを与え暴力を振るったのは、リヴァイだ。だが、その痛みのなかで教訓を与えたのはエルヴィンも同じ。ハンジとミケは、当時トリナの事を知らされてもいなかった。出会ったときには、既にトリナには二人の『命令』という首輪が嵌められていた。

「愛情は時に、何より断ち切りがたい鎖になる。私は、トリナを愛情で拘束したいと思う」
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