少年少女亡命論
奇病が世界に蔓延して、一年が経つ。


一つ、一つ。また一つと、失われていくものがある。

ベランダに立ち、クレアは町を見渡した。
平穏を取り戻したはずのシチリアに、新たに蔓延するものがある。

原因不明の病にして、症状も治療薬も多種多様な病気だ。

社会生活に支障を来たす病が多く、薬もまた手入困難なものが多い。
ジョット達が町中を駆け回って援助しているが、自警団ではできる事にも限りがある。

「クレア?」

背後から呼ばれ、クレアはベランダから続く部屋を振り返った。
二番目の兄が、戸口で訝しげな表情で立っている。

「何をしているんだ、こんなところで」
「……町を見ていました」

兄の言いたい事を察しながら、クレアは何でもない風を装って応えた。
瞬きを装って目を伏せると、左目から真っ青な花びらが落ちる。

「クレア。自警団がどれだけ忙しいか分かっているのか?」
「わかっています」
「ならば、団員を手伝いに行け。皆ヘトヘトでも走り回ってるんだぞ」
「……わかっています」

咎め立てる声音に、クレアは同じ返事を繰り返した。

わかっている。猫の手も借りたいほど忙しく、人手が足りないことは。
団員は皆額に汗をかきながら、町中を駆けずり回っている。

少ない治療薬を、少しでも多くの人の手に行き渡るようにしようと頑張っている。
大変だろうとは思う。手伝えば、一人当たりの負担も減るだろう。

少し前ならば、何も躊躇うことなどなく助けただろう。
貧しい民が可哀想で、働き尽くめの団員が心配で、助けたに違いない。

けれど、助けようと思えないのだ。
手足の痛みに泣き咽ぶ子供を見ても、何の感情も湧かないのだ。

可哀想とも、悲しいとも、――或いは、煩い、疎ましいとも思えないのだ。

心が死んでしまったかのように、胸の中がひどく冷たい。
そのくせ、まるで岩のように重く、思考に圧し掛かる。

「クレア。どうしたんだ、一体」

叱られても動かないクレアを見て、セコーンドも違和感を感じだ。

いつものクレアなら、一も二もなく飛び出して、薬の確保のため躍起になる。
率先して動き、町と人のために身を粉にして動くだろう。

セコーンドはクレアの左目に咲く花に視線を向けた。

クレアもまた、世界に蔓延する奇病の一つに罹患している。
左目から真っ青な花が咲き、猫のひげが薬になることは判明している。

副次的症状は言動に表れないため、今までは判然としなかった。
しかし、セコーンドには分かった。クレアの副次的症状は、『感情の欠落』だ。

「クレア。最後に薬を摂取したのはいつだ?」
「……。ひげを抜くのは、可哀想でしたから……」
「摂取してないのか」

クレアは無言で頷いた。猫にとってひげは非常に大切なものだ。
ひげは周囲を探る為の器官で、無理に抜くと強いストレスを与える事になる。

最悪死なせてしまう事もあり、ひげを取るのはあまり好ましくない。
生活に支障を来たすならば止むを得ないが、そうでないなら必要最低限に留めるべきだろう。

「今すぐ持ってくる。多少在庫があるはずだ」
「必要ありません。他の方に処方してください」
「クレア」
「感情が無くなっても、問題はありません」

セコーンドは眉を寄せ、信じられないとばかりに首を横に振った。

クレアの表情や目に感情は無く、整った顔立ちも相俟って人形めいて見える。
もう少し上等なドレスを着せたら等身大のビスクドールになれそうなほど生気が感じられない。

それほど悪化するまで気付けなかった事に、セコーンドは歯を食いしばった。
忙しさに感けて、一番大事な家族を蔑ろにしてしまった事が悲しかった。

後悔からふと、セコーンドは一番上の兄を思い浮かべて眉を寄せた。
ジョットはクレアの異変に気付いていないのだろうか。

気付いていない筈が無い。
ジョットは末の妹を傍目にも奇異なほど偏愛しているのだから。

「ジョットはどこだ?」
「一時間ほど休むと言って、隣に」
「そう、か……」

ジョットは右目から身体を覆う蔦が伸びる病気に罹患している。
進行すると幻覚が見え、雪解けの水が治療薬となる。

しかし、雪解けの水は遠くエトナ山まで行かなければ手に入らない。
そのため、ジョットは必要最低限しか薬を摂っていない。

セコーンドも右目から紫色の花が咲く病気に罹っている。
副次的な症状は言葉の忘却、治療薬は果実の種だ。

三人の中では比較的入手しやすい薬のため、セコーンドだけがちゃんと治療している。
目に咲く花も、クレアのものに比べれば花弁が一回り少ない。

不意に、一続きの隣室からガタガタと家捜しするような音がする。
クレアとセコーンドは同時に扉を見て、顔を見合わせた。

「任せていいか」
「はい。薬を飲ませたら、二人で手伝いに行きます」
「頼む。西区がかなり辛いんだ」
「わかりました」

セコーンドがそそくさと部屋を去るのと反対に、クレアは隣室に向かった。
前に立った瞬間、扉が反対側から勢いよく開かれる。

右目から蔦を生やしたジョットが、すぐ目の前に立っていた。
酷く青褪めた肌に冷や汗を浮かべ、全力疾走した後のように肩で息をしている。

「クレア?何処だ?何処に、行くんだ?」
「お兄様。私は此処にいます」
「クレア!なんで返事しないんだ!なんで、何も言わないんだ……っ!」

目の前に立つクレアに気付かず、ジョットはふらふらと左右に彷徨う。
霞を追うような不安定な動きを見るに、幻覚症状が出たのだろう。

クレアは少し考え、五ミリリットルほどの水が入った小瓶を取り出した。
そして、蓋を開け、彷徨うジョットの顎を掴んで中身を口の中に流し込む。

「ごふっ、な、なんだ?」

ややおいて、ジョットの瞳が徐々に光を取り戻す。
方々に散っていた焦点が、すぐ目の前に立つクレアに合う。

「クレア?お前今あっちに……。いや、幻覚、か……」
「はい、幻覚です。おはようございます、お兄様」
「ああ。おはよう」

雪解けの水で症状を抑えたのだと判り、ジョットは気恥ずかしさ半分で溜息を付いた。

「また迷惑をかけたな。すまない」
「構いません。もう少しお飲みになりますか」
「いや、いい。もう幻覚はない」

幻覚はないが、動悸は依然激しいままだ。疲労感も拭えない。
ジョットは縋るものを求めて、棒立ちする妹を抱き締めた。

「もう少し、こうさせてくれ」

幻覚に見たクレアは、ジョットの呼びかけに振り向かず歩き去ろうとした。
捕まえようとすれば消え、背後に現れてまた去ろうとした。

恐ろしくもおぞましくも無い幻だ。ただそれだけなのに、心臓を掴まれたような心地になる。
身を引き裂かれるような悲しみと、例えようもない寂寞が胸を刺す。

「クレア。何処にも、行くな」
「はい。私は何処にも行きません。ずっとお兄様のお傍に居ります」

返される言葉に安堵して、ジョットはほっと安堵の溜息を付いた。
その言葉が、ただ何の感情も伴わずに発せられたものとも知らずに。


***
診断結果
プリーモは右目から体を覆う蔦が伸びてくる病気です。進行すると幻覚が見え始めます。雪解けの水が薬になります。

クレアは左目から真っ青な花が咲く病気です。進行すると感情がなくなってゆきます。猫のひげが薬になります。

セコーンドは右目から紫色の花が咲く病気です。進行するとひとつひとつ言葉を忘れてゆきます。果実の種が薬になります。
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