確かに愛されていた
世界に原因不明の奇病が蔓延してから、半年が経つ。


ソファで微睡んでいたクレアは、短い舌打ちの音に瞬いた。
覚めやらぬ頭を揺り起こし、音のした方を振り返る。

その先に、本棚の前に立つザンザスを見つけて、再度瞬く。
眠気から零れた涙が流れ落ち、視界が明瞭になった。

そして、彼の手にアルバムがあるのを見た瞬間、急速に頭が冴える。

「また、なの」
「……ああ」

問い掛けると、ザンザスはアルバムを持ったままクレアの傍に来た。
そして、無造作にクレアを抱き上げて自らの膝に座らせる。

包み込む腕の温かさに眠気を誘われるが、クレアは気力でそれを追いやった。
兄と居られる少ない時間を寝過ごすことだけは、避けたかった。

「今度は、どの記録?」
「俺が九歳の時の、ボンゴレ式誕生日パーティーだ」

ザンザスが示した記録には、当時の事が記されている。

どうやらその時、ザンザスは二位になったらしい。
一位になればどんな願い――十代目になること――も叶っただけに、悔しさは一入だっただろう。

「大事な思い出なのに、消えてしまったのね」

ザンザスは現在、『記憶障害を伴う結晶化皮膚疾患』に罹患している。
指先から結晶化していき、時を経るごとに記憶が欠落していくというものだ。

この奇病は愛する者の皮膚を摂取することで改善される。
しかし、ザンザスは発症して以降ただの一度も薬を摂取していない。

自らのために愛する人の皮を剥ぐなど、マフィアの男がすることではない。
そう言って、誰よりも誇り高い彼は治療を拒み続けている。

結晶化は二の腕まで広がり、炎を手に灯すことが出来なくなった。
欠けた記憶も判明しているだけで十を越え、昔話も迂闊に出来ない。

それでも、ザンザスは頑として治療を受け付けない。

「やっぱり、薬は、嫌かしら」

クレアは少しばかりの懇願を込めて問いかけた。
ザンザスはふいとそっぽを向き、無言で拒否する。

その横顔を残された右目で盗み見ながら、クレアは思案した。

クレアは基本、ザンザスのする事に口を挟まない。

彼の言動は一見非道に見えるが、マフィア的なタブーには触れていない。
そのため、クレアが見咎める事はなく、むしろ心安く見ていられる。

なにより、彼の傲岸な振る舞いは見ていて心地良い。
彼が心赴くままに行動するならば、それを止める理由は無いのだ、本来ならば。

けれど、今回だけは、看過できない。出来ない理由がある。

クレアは自らの左目に咲く花に触れた。
ザンザスが奇病に罹患したように、クレアもまた奇病に罹っている。

クレアの病気は左目から真っ赤な花が咲くもので、進行すると酷い眠気に襲われる。
果実の種が薬になるため、クレアはより多く摂取するよう求められている。

しかし、果実の種は苦かったり固かったりと、あまり美味しくない。
毒性を持つものもあり、多量の摂取は臓器に負担がかかる。

なにより、クレアには種を得るための方策が気に食わなかった。

ボンゴレはクレアのために、持ちうる財と権力で大量の果実を買い占めた。
種を得るために果実を割り、山ほど余った果肉は消費しきれず廃棄している。

そうして供せられた種を、どうして気安く消費できるだろうか。
果実を作った農家にも、それを市場へ運ぶ人にも申し訳なくて堪らない。

出来るなら果肉も一緒に食べてやりたかったが、それでは効果がないのだという。
山と詰まれた種を前に、クレアもまた薬の摂取に躊躇している。

ザンザスのように記憶が無くなっていくものだったなら、クレアは迷う事無く種を食んだ。

しかし、罹った病気は左目が見えず、ただ眠気が増すだけのもの。
仕事に差し支えがないならば、徒に種を消費する必要も無い。

それなのに躊躇するのは、眠ると大好きな兄と過ごす時間が減ってしまうからだ。

クレアの身体は、何もしなくてもトゥリニセッテによって壊れていく。
九代目の娘である今の身体も、あと一年か二年で生体機能を維持できなくなる。

そうなると次の転生まで、クレアはザンザスと離れ離れになる。
それが嫌で、一分一秒でも共にありたいと願い、傍に居るのに。

なのに、奇病による強烈な眠気が、その貴重な時間を削っていく。
悔しくて、辛くて、堪らなく奇病が憎い。

クレアは机の上に置かれた、果実の種が詰まった瓶を手に取った。
そして、いきおい瓶の中身を口の中に流し込んだ。

頭上で兄が息を呑む気配がしたが、クレアは構わず全ての種を咀嚼し飲み込んだ。
そして、ザンザスではなく、空になった瓶に視線を落とした。

「兄様。いつか、私の事も、忘れてしまうの」

クレアの言葉に、ザンザスの身体がぴくりと揺れる。

「私と兄様が出会ったのは、私が五歳のとき。もし、その出会いを忘れてしまったら」

ザンザスは当時と違い、九代目に実子が居ないことを知っている。
クレアは九代目の娘ではなく、そして自分の妹でもない。

そう思い、遠ざけるようになってしまったら。
兄妹として過ごした他の記憶を、交わした約束を、信じなくなったら。

そして、いつの日か、それらを忘れてしまったならば。

揺りかごの日の記憶や、指輪争奪戦の記憶だけが残って。
クレアのことを、憎みすらするようになったら。

「いやよ。また、失うのは、いや。せっかく、見つけたのに」

百五十年も昔に失った、兄という大事な存在。
今になって取り戻せたのに、また失うことになる。

それも、兄は生きているのに、兄妹の関係性だけが失われてしまう。
死別よりももっと辛く、酷く、切ない終わりを、受け入れなければいけない。

「お願い。薬を、摂って。私も、頑張るわ。苦くたって、不味くたって、固くたって」

透明な瓶の表面に、涙が零れ落ちる。
雨粒のようなその雫は、止む事無くパタパタと落ちていく。

「失うくらいなら、苦しんだほうが、ましだもの」
「……クレア」

それまで無言だったザンザスが、静かに名を呼ぶ。
詫びともつかぬ弱々しい声音に、クレアは目を閉じた。

「大丈夫、……私、平気よ。痛みには、慣れてるの」
「そうか」

ザンザスは手を伸ばし、クレアの喉を掴んで引き寄せた。
空いた手で髪をまとめ、露になった首筋に歯を立てる。

横目に見たクレアは、痛みに備えて目を固く閉じている。
その面差しに覚悟を見とめ、ザンザスも目を閉じた。




後日、首に包帯を巻いたクレアに、香港より取り寄せられた菓子が贈られた。
それはスイカの種を使った、塩味の美味しいお菓子だったという。

***
診断結果
クレアは左目から真っ赤な花が咲く病気です。進行すると一日を殆ど眠って過ごすようになります。果実の種が薬になります。

XANXASは体が指先から結晶化してゆく病気です。進行するとひとつひとつ記憶をなくしてゆきます。愛する者の皮膚が薬になります。
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