「そ、曽良くん…芭蕉もう疲れたよー…」
後ろから聞こえる息の上がった声。さっき弱音を吐いたときより少し遠くから聞こえるから、多分相当遅れが出ているのだろう。
「芭蕉さん。貴方が言ったから行くんですよ?」
「そ、そうだけど…」
後ろから聞こえるその弱々しい声に少々苛立ちながら、そういえば、小さな声がさらに小さくなった。
「で、でも!もう少しくらいゆっくり…」
ちらりと後ろを伺えば、杖に寄りかかった芭蕉さんの姿。いつもはふざけているが、今日は本当に疲れているらしい。
だから年寄りってやつは…
「5分」
「へ?」
「5分だけです。それ以上休むようなら僕だけ先に行きますから」
「やったぁ!曽良くんやっさすぃー!」
満面の笑みで喜ぶ芭蕉さんにため息をつきながら、鞄から水筒を取り出す。
「はい」
自分よりも下にいる芭蕉さんの元まで階段を下りて行き、水筒を手渡す。
「そ、曽良くん…!」
「勘違いしないでください。重たいから持てと言ってるんです。」
「あ、あんまりドゥ…」
僕はずしりと重たい水筒を手渡した。
今僕らは村の人から聞いた流星群の話を元に山を登っている。
流れ星に願い事を言うと叶う。そんな迷信に心を踊らせた芭蕉さんが、一番空に近いところで流れ星が見たいと言ったのだ。
はっきりいって面倒だが、芭蕉さんが渋っていた僕を前に「そこでなら良い句が詠めそうな気がする!っていうか詠める!」と言ったのだ。
それならば従う他に道はない。詠めなかった場合はどうなるかわかっていますよね?と言ったら冷や汗をだらだらと流していたが、本人が詠むと言ったのだから信じることにした。
「じゃあ芭蕉さん。そろそろ出発しますよ。」
「はーい」
少しはからだが休まったのだろう。先程よりも調子の良さそうな芭蕉さんは良いペースで歩みを進めていく。
それから少したって、やっとの思いで山頂に着いた僕らは荷物を置いて草原に腰かけた。
「流れ星見えるかなぁ…」
隣で嬉々として喋る芭蕉さん。
長時間の歩みで足は少し痛かったが、何故だか少しだけ心地がよかった。
「見えなかったら村人に温泉代でも払わせますか。」
「こ、この弟子はほんと恐ろしいな!」
ふふ、と笑い空を見上げる。
小さく明るい星が沢山煌めいている。
「曽良くんは、なにをお願いする?」
「信じてるんですか?あんな迷信」
静かに問いかけてきた芭蕉さんに小さく返す。
「こら、馬鹿にしないの。こういうのは信じてないとダメなんだから」
「はぁ、」
いつもとは少し違い静かに微笑む芭蕉さん。何でか少し胸が苦しくなった。
「で、曽良くんはなにをお願いする?」
「…」
願い事。
かなってほしい願いはいくらでもある。良い句を詠みたい。良い句を聴きたい。旅をずっと続けていたい。
ずっと隣に…
「そうですね、その迷信が本当なら、僕の願いが全て叶うようにと願ってみましょうか。」
「ちょ、曽良くんずるい!」
お願い事は一人1つなの!と騒ぐ芭蕉さんを横目に、もう一度空を仰ぐ。
「芭蕉さんは何をお願いするんですか?」
「ん?私?そうだなぁ…」
目を瞑り嬉しそうに想像する芭蕉さん。この人は何を望んでここに来たのだろうか。
「芭蕉さんは…、」
「やっぱり内緒!」
「…、はい?」
内緒と言って無邪気に笑うこの人は本当に子供のようだ。
少しイラっとしたが、今日だけは抑える事にした。
「お願い事はね、人に話すと力がなくなっちゃうんだよ」
「あぁ、そうですか…、って」
「ん?」
「じゃあなんで僕に願い事聞いたんですか…」
「え…?あっ!!」
「ほう、そういうことですか…。僕の願いが叶わないように先手を打ったんですね?」
ニヤリと笑って芭蕉さんににじりよると、芭蕉さんは面白いほどに怯えてみせた。
「ち、ちが…!」
ぶんぶんと首をふる芭蕉さんの側による。
しかし、あと少しとなったところで芭蕉さんが驚いた表情で空を指差した。
「流れ星!」
その声を合図に後ろをそっと振り返る。
「─…」
まるで星が降ってきているかのような光景だった。
キラリと金色が走った後に、そのとなりの金色がまた走る。
次々と走り出す星達が、空に金のラインをひいて行く。
「すごい、」
芭蕉さんのその声以外、何も音がしなかった。
芭蕉さんはこの星達に何を望むのだろうか、
僕に芭蕉さんの願いは分からないが、出来ることなら同じ思いでいられたら、とただひたすら思った。
いつか、この出来事を酒の肴に、静かな土地で同じときを過ごせたらどんなに幸せだろうか、
きっとそれは、
「よし、お願い事終了」
後ろから聞こえた芭蕉さんの声にふと我に返る。馬鹿なことを考えてしまった。
「で?芭蕉さん、何を願ったんですか」
「まだ聞くの!?」
「もちろんですよ」
一人だけ悠々と願い事をするだなんてしゃくにさわるから、
だから
「じゃあいつか願い事が叶ったときに、お酒でも飲みながら曽良くんだけに教えてあげるよ。」
「─…」
「え、ダメなの!?やっぱりそんなんじゃ…っ?」
「約束ですよ」
「え?」
芭蕉さんの表情がポカンと固まる。
「その約束、絶対ですから」
忘れないでいて欲しい。その時がいつになろうとも、忘れないでいて。
「うん、もちろん」
綻んだ表情のその背景に、キラリと1つ流れ星が走った
願い事を一つ君にあげる
(だからどうか、叶えて)