「いっ、てぇ…」
悠はズキズキと痛む頭を抑えながらも重く感じる身体をゆっくりと持ち上げた。
重力に逆らえず前髪がさらりと流れるのを感じながらも目に力を入れ、髪の隙間から奥を覗く。
 そこにあったのは見慣れない部屋と、横たわる見覚えのある人物――雪詠であり、一瞬にして身体全身から血の気が引いていくのが分かった。
鏡で見なくとも分かるのは、悠自身の顔が真っ青だと言う事だけだった。
「雪詠ッ!!」
慌てて雪詠に近づき、体を起してやれば雪詠が呼吸をしていることが分かり悠はほっ胸を撫で下ろす。大きく脈打つ心臓を押しつかせるために数回深呼吸をし、悠は恐る恐るも周囲へと目を配らせた。
見覚えのない部屋だったが、近くにソファーがあったので雪詠を抱き上げソファーに横たわらせる。自分の着ていた学ランの上着を被せてやり再び周囲を見回してみれば先ほどまでの危機感はなんだったのだろうか、と尋ねたくなるほど普通の部屋だった。
 ソファーに、机、絨毯、テレビ、こじんまりとした本棚。
ゆっくりとした動きで窓に近付き、明るめの色でデザインされたレースカーテンを片手で払いながらも中央の鍵に触れる。動かないと思っていたそれは、まるで何事もないかのようにカチャリと音を立て鍵が外された。
静かに動かされる窓とカラカラと音をたてる網戸。真上から輝く太陽の光があまりにも眩しく感じ、悠は眩しさに目を細めながらも背を向けた。
どう見てもリビングとしか言いようのないほど平凡で有り触れた空間。
まさか誘拐されたのでは、とも考えてはみたものの、自分達を縛るものも無ければカーテンで隠されていた窓も簡単に開く。
本当にここはどこだと言うのだろうか。
 雪詠を1人残すのはどこか心苦しい気もしたが、人の気配は感じられない。
悠は恐る恐るもリビングから玄関に通じるドアを開き、慎重に足を進める。玄関付近には二階に通じる階段と、リビングとダイニングルームと通じる廊下、そしてバスルームがあるだけでどこもおかしくない、本当に平凡な、どこにでもあるような一軒家。
足音を忍ばせ、二階に足を進めれば二、三部屋に通じる廊下ぐらいのものだった。
一番手前にある部屋のドアをゆっくりと開けば本の山、という言葉がピッタリなほど本が並べられた部屋だった。小窓に寄せられた少しばかり広い机の上には数台のパソコンが佇んでおり、部屋の奥に入れば小さな冷蔵庫があるのに気がつく。
(生活観は…ある、よな…。なら、やっぱり…)
そう思考を巡らせようとして悠は止める。他の部屋も見てから考えたほうが効率も良いだろう。何より今考えても切りがなさそうだ。
本が詰め込まれた部屋を出、二つ目の部屋の前で足を止めた悠はドアを開こうとして――思わず手を引っ込めた。
ドアに掛かっている、シンプルなネームプレート。その名前にギョッとした悠は一旦放したドアノブに手を掛け、慌ててドアを開いた。
 "悠"と書かれた、ネームプレートに悠の中で恐怖と焦りの感情が、心の中でぐるぐると渦巻く。
部屋は本当にどこもおかしくない部屋――だが、まるでその部屋は悠の趣味に合わせられているような――黒の広い勉強机の上には、1台のパソコン。大きな本棚。黒を強調した、シンプルなシングルベット。
明らかに、黒を強調された到底女だとは思えない部屋。
 まさか、と一つの答えに行き着いた悠は駆け足で隣の部屋へと向かう。
答えであっていいはずが無い。答えなど…。
そこには"雪詠"と書かれたネームプレート。
悠は青い顔をし、どういうことだよと呟いた。

不安
(あるのは恐怖のみ)

 
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