少しばかり重い鞄を肩にかけ、毎日のように通る校門を潜ればふと見えた見覚えのある後ろ姿。
男子にしては長く、女子にしては短めの髪。歩く度に短めの、少しだけ跳ねた髪の毛先が揺れる。見間違えるはずがない。あの後姿は紛れも無く悠だ。
駆け足で彼女の元へと駆け寄り、肩をトントンと叩けば彼女はこちらに視線を送り、ぱちくりと瞬きをした。
「悠、おはよ!」
「雪詠か…おはよ。」
女子にしては低い、中性的なテノールの声は眠そうにそう答えた。
 女子なのに男子制服である学ランを着ているのは毎度のこと。突っ掛かりたい言葉をグッと抑え、悠にバレない程度に小さく溜め息をつく。
彼女の"ソレ"は、最近始まったことではない。毎回突っ込んでいたらきりが無いことを雪詠は十分に理解していた。

 靴箱に向かう悠の隣に慌てて急げば、歩くスピードが雪詠に合わせて遅くなる。少しだけ狭くなった悠の歩幅に感謝しながら、雪詠はその隣を歩いた。
くありと欠伸を溢す悠に、少しだけ呆れた口調で「また夜更かししたの?」と尋ねれば曖昧な返事。悠なりの抜が悪いときの肯定だ。
いつものことだから別に気にしないでいいことはすでに承知の上なのだが、気になってしまうのは仕方がない。
「昨日はなにしてたの?」
自分より背の高い悠を見上げれば別に、と素っ気ない返事が返ってきた。
なにをしていたやら…と小さく呟けばなんだよと軽く睨まれたが、本人が手加減しているため全くと言って怖くなど無かった。
そんなことを考えていれば悠のあ、と零された言葉。
そういえば、と言うよな顔をした悠はやんわりと作った左の握り拳を口元の前に持ってきた。他の指より僅かに浮かせた人差し指が唇に宛がわれる。悠の考えるときの癖だ。
うんうんと喉を鳴らしながらも僅かに伏せられた目から、何かを思い出そうとしていることが分かる。
「どうしたの?」
「いや、また"あの夢"みたな、って」
「あの夢…あぁ、あれね。」
悠の言葉になるほど、と雪詠は頷いた。
なぜ、"あの夢"という言葉だけで夢の内容が分かるのか、と問われれば答えは簡単である。2人を繋げたか唯一無二の共通点だ。
「うちもまた見たよ」
「雪詠もか…。」
やっぱり同じなんだな、と不思議そうな顔をする悠に雪詠は頷く。
同じような夢で、同じぐらいの時期で始まり、そして同じタイミングで見る"あの夢"は不思議なのだから仕方がない。いや、不思議というより、異様という言葉があっているのだろう。
「でさ、今回は何か違ったんだよなあ…」
「あ!うちも!言い方は変だけどなんか…迫ってきてる感じ?」
「なんとなくだけど分かるよ。まぁ、言ってることは同じような言葉ばっかりだったけど。」
雪詠は?
そう尋ねられて雪詠は思わず答えることに躊躇した。
「うちは…、」
"あの夢"の"彼"が、頭の中でフラッシュバックした気がした。
「……違った。」
「…なんて?」
悠の言葉に雪詠は一瞬だけ足を止めた。
昇降口に入り、いつものように上履きに履き変えて廊下に出れば、いつものように騒がしい廊下。色んなところから聞こえてくる、沢山の混ざり合った喋り声。いつもは騒がしいと感じる喋り声が、なぜか少しだけ遠くに聞こえた。
「……なんて言ってたんだ?」
同じく上履きに履き替えた悠が雪詠を見詰める。
ゆっくりと足を踏み出して見たものの、なぜか、動かない。いや、動かせるには動かせるのだが、足が異常に重く感じて足が中々進まないのだ。
 いつもだったらサラリといえる夢の話が、口から出てこない。答えることへの不安と恐怖。言ってしまえば何かが変わってしまう気がして、雪詠の心臓がドクリと音を立てた。
「…かえに、」
自分が飲み込んだ唾の音が大きく聞こえた。
「迎えに…、来るって、」
言ってた。
ゴクリ、と悠が後ろで息を呑むのが分かった。
 窓から入ってくる太陽の光。窓同士の間にある隔てられたコンクリート製の壁の、細めの影が、雪詠の爪先を暗くさせた。
窓から空を見上げればゆっくりと流れる、綺麗な青の空と、青空の中を悠々と浮かぶ雲。
そこでふと、何となくポケットに手を入れてみれば熱から冷まされた冷たい物に指先がかちりとそれに触れられた。
 ポケットの中から姿を見せたのは不思議な形をした黒に近い青色の石が付いた、シルバーの指輪だった。
いつからだったか、思えば"あの夢"を見始めたときからだったかもしれない。夢から覚めた雪詠の手にこの指輪がしっかりと握られていたのは。
この指輪が夢と関連していることは考えても分かりようのないことだった。ましてや、夢は現実ではないのだからむしろ関連性があることのほうがおかしい。
それでも、心のどこか奥に突っ掛かるような感覚が、その突っ掛かりは夢の突っ掛かり方とよく酷似していて関連している、むしろ繋いでいるような気がしてならなかった。
 窓から見える青空とは異なる、深い、深い、青。黒にも近いその青は、あの青空とは違う…この青空がもし大空というのなら、この指輪の石の色は夜…夜空、と言ったところだろうか。
ならば、この石の中で浮くこの大きな金色の丸いものは?中に散りばめられたラメは?
答えは簡単。
この指輪が"夜"を意味するのならば、月と星に違いない。
(…全く、馬鹿馬鹿しい。うちらしくないなぁ)
指輪一つにこんなにも悩むなんて。
リングの内側と外側に書かれた見覚えの無い単語の並び。
それらの意味が分かるわけもなく、雪詠は静かに目を閉じた。その姿を見た悠が右手でゆっくりと雪詠の肩を押す。
「教室、行くぞ」
「…ん。」
服の上から押し当てられた悠の指にはいつもの硬い、金属の感覚。
"vento"と書かれた悠のその指輪は、この指輪は、なにを意味するというのだろうか。
「急ぐぞ、そろそろ予鈴が鳴る。」
「うん…。そう」
だね、と言い掛けたとき、雪詠は目を見開いた。

「――よ」
「じ…んだ…、」
「 時 間 だ よ 」

くらりと、まるで突然立ち眩みが起こったような感覚に身体が傾く。
なにかに引っ張られるような謎の浮遊感と同時に目の前が真っ暗に染められた。自分が、今立っているかですら分からない。
段々大きくなっていく耳鳴りの奥で、悠の声が聞こえた気がした。

始まりは
(突然やってくる)

 
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