退院の日が訪れた。
入院費はなにやら里が負担してくれるようなので、身体も心も軽やかだ。福利厚生が思ったよりちゃんとしている。すごい。木の葉なめてた。
着の身着のまま入院していたので、荷物もいのとサクラに持ってきてもらった服が数着あるだけ。2人には今度何らかのお礼をしようと思う。
さて、意気揚々と病院を出たのはいいのだが
「よ、退院おめでと」
何故ここにゲンマさんがいるのか。
「……ありがとう、ございます?」
「荷物それだけか?持つぞ」
「え、いや、軽いですし」
「いーから」
私のなけなしの荷物を奪って、ゲンマさんは歩を進めた。方向は里外れ、つまり私の家の方向だ。送ってくれるつもりなんだろうか。忙しいだろうに、わざわざ。
「……すみません」
「いいっての。まだ万全じゃないだろ」
確かに万全ではないけれど、そもそも1人で帰るつもりだったのだ。わざわざ来てもらうほどのことじゃないのに。
そう思って黙り込んでいると、半歩先を歩いていたゲンマさんがちらりとこちらを見た。
「あんまり意地張ると担いで飛ぶからな」
「……はい」
意地というか、本当に大丈夫なんだけど。でもこの人なら本当にやりかねない。そう思って口を噤んだ。ゲンマさんは少し満足気に前を向く。歩幅はいつもより狭くて、ゆっくりだ。きっと合わせてもらっている。
……ああ、だったら、
「運んで、貰った方がいいですか?」
「あー?」
「その方が早いでしょうし…… 重いかもしれないですけど」
「……なるほどなあ」
一体何がなるほどなのか。こちらを見おろすゲンマさんの目が、どこか面白そうに細まった。
「よし、前言撤回だ。意地張ると抱えて歩くぞ。ゆっくり」
「……なんで?」
「なんとなく?」
疑問を疑問で返さないで欲しい。
飛ばれるのもまあまあ嫌だけれど、里のはずれとはいえ、街中を抱えられて移動するのはもっと勘弁だ。ゆっくりなんて念押しされたら尚更。お互いなんのメリットもないのだから、黙るしかない。
小さくため息をついて、まだ少し重く感じる足を動かすことに集中した。
「なあ」
しばらく黙って歩いていると、ゲンマさんは静かに口を開いた。あまりひと気の無い道に、平坦な声がよく通る。
「言いたいことが、だいぶあるんだが」
「……あ、はい。どうぞ」
「まず1つ目。嘘ついたろ」
「……えっと?」
……いや、どれの事だ。嘘っていう嘘は、そんなについてないはずだけれど。隠し事がある身としては、痛い質問というか。
いやまあ物理的に体もなんとなく痛いんだけれど、そういうことではなく。
「心当たりが……とくに……」
そう言いつつも目を合わせられずにいると、ゲンマさんは言葉を重ねた。
「試験前、怪しいヤツと接触してないか聞いただろ。お前が、火影宛てのお守りを届けに来た時だ」
「……あー」
「カブトと会ったのは、あの直前だった。違うか?」
「あーー……」
言い当てられて、遠くに目線をやった。
一瞬どうして知っているのかと思ったけれど、アスマさんにカブトと接触したことは話している。たぶん、私の話はちゃんと回っている。さすが忍者。こわい。
「なんで、言わなかった?」
「いや……あの、その時は、別に怪しくはなくて。木の葉の忍びで、額当てもしてて…… 確かに札は売りたくなかったんですけど、これもなんとなくで…… 」
「あー、いや、違う。そうじゃなくてな」
言い訳がましく聞こえないよう、ゆっくり慎重に紡いでいた言葉は、予想より軽い声色で打ち切られた。がしがしと頭をかいて、ゲンマさんは言う。
「あー、怖かったんだろ。そういうことは、ちゃんと言えって、そんだけだ」
「すみま、せん……?」
このひとも、こんな言い方をするのかと思った。面倒見はいいけど、もっと、飄々としているような、そんなイメージだったのに。
とりあえず謝ったけれど、言葉に疑問が混ざったのが自分でもわかる。息がいまいち整っていないのも原因のひとつではあるんだけれど。ただでさえない体力が、入院生活で地に落ちてる。つらい。
「次、2つ目。俺こそ悪かったな」
続いた言葉に、なんの話だろうと内心首を傾げた。顔は見えるが視線は交ざらないので、ゲンマさんが何を謝ろうとしているのか、まるで読み取れない。
「まあ、色々あるんだが…… 一応、避難と誘導を命じたのは俺だからな。上司でもなんでもないのに、つい、」
ほんの少し、歯がゆそうに目を細めた横顔を見つめる。
ハヤテさんといい、アスマさんといい、今といい、謝られてばかりだ。誰も悪くないのに、私が責めた訳でもないのに、謝らせてしまっている。
確かに、私は忍者じゃない。彼らの部下でもなんでもない。でも、
「でも、私は嬉しかった、ですよ」
こちらを向いたゲンマさんと、目が合った。息を整えて、笑ってみせる。
「私にも出来ることがあって、なんというか、役に立てて。嬉しかった、です」
千本の先がわずかに上を向いて、ゲンマさんは「そうか」と言った。
また、沈黙が落ちる。
家まではあと少し。歩きなれた道がこんなに遠く感じるなんて、本格的に体力が落ちている。
歩き方が変なのか、心做しかあちこちが痛い。治ったら、修行的なことをやらなくてはいけないなあとぼんやり考える。
ふ、と大きく息を整えると、ゲンマさんの足が止まった。
「なあ」
返事を待っている声色に、すこしだけ嫌な予感がした。
「な、んです……?」
息を整えつつ、うつむいたまま答えると、背中と膝裏に手が差し込まれた。竦んで固まった瞬間、体が浮き上がり、思わず両手で彼の胸元を掴む。
「ちょ……!」
「俺はな、有言は実行するタイプなんだ」
「は!?」
抱きかかえられている。
すぐに我に返って、抵抗した。軽く身体をひねっても脚をばたつかせても腕は離れない。
挙句、頭を胸に押し当てられて、動けなくなってしまう。こ、れは、
「あ、の」
「だから意地張るなって。体力落ちてんだし、退院っつっても自宅療養だろ」
「や、もう少しで家着きますし、大丈夫」
「じゃない」
ぐ、言葉が詰まる。取り付く島もない。
「……一旦、降りて休憩」
「しない」
「せめて、おんぶに……」
「断る」
ぐ、と押し黙っていると、上からが声がした。先程までのからかいを含んだものではなくて、もっとやさしい、
「よくやったな、ユズ」
俯いていた頭を、反射的にあげた。よくやった、なんて、
「なんで、」
「子供を守ったらしいな。よくやった」
「いえ、……ありがとう、ございます」
「姉弟二人、元気だとよ。体力戻ったら会いに行ってやりな」
「…………はい」
ゲンマさんは余裕たっぷりにゆっくり歩いていて、抵抗する気はゆるゆる削がれていく。
自分で思っていたよりしんどかったようで、こうしているのは、なんというか、結構楽だ。
諦めて伝わってくる温かさに身体を預けると、足にピリピリとした痺れが戻ってきた。塞がったはずのお腹も、じくじくと痛む気がして、詰めていた息をゆっくり吐いた。ああもう、貧弱で嫌になる。
「寝てていいぞ」
「だいじょうぶ、ですよ」
頑固者め、なんて笑う言葉が聞こえた気がした。