ふと目を覚ますと、あたりは暗かった。窓から薄ぼんやりと明かりが差し込んでいて、あたりは静まり返っている。いつのまにか寝ていたようだ。深夜だろうか。時間の感覚が曖昧で、どこか夢の中にいるような感覚だ。

「あ、あー…………」

軽く声を出すと、随分頼りない音がでた。昼間よりはマシだけれど、記憶にある音と違う気がする。喉がかわいているので、どうやら夢ではないらしい。

ゆっくりと体を起こして軽く辺りを見回すと、少し離れたサイドテーブルの上に水差しがあった。中身は入っているようだ。多分、誰かが置いてくれたんだろう。昼間目が覚めた時にはなかった気がする。水を取ろうと何気なく立ち上がった途端、かくんと膝がぬけた。慌ててベットに縋り付くが、そのまま地面にへたりこんでしまう。

「お、おお……」

びっくりした。まさか立てないくらい衰えているとは。足にピリピリと小さく痺れたような痛みがあるのは、経絡系へのダメージとかいうやつなのか。力が入らないのは単に筋肉量な気もするけれど。薄い入院着越しに、床の冷たさがじわじわとしみてくる。

下手に動くと足が痛むということも分かったので、とりあえず、ベットに戻ろうと腕に力を入れて体を起こす。と、からからと音を立てて窓が開いた。

月明かりに、器用に窓枠に足をかけた人影が浮かび上がる。猫背ぎみの見覚えのあるシルエットは、中途半端な格好の私を見て露骨に固まった。

「………は?」

「……あー……ハヤテさん。お見苦しいところを」

この人は本当に月夜が似合うなとぼんやり考える。表情は影がかかっていてよく見えないけれど、大きな怪我もない。無事だったみたいだ。良かった。本当に、よかった。
安堵した拍子に、突っ張っていた腕が限界を迎えた。ぐらりと視界が傾いて、また床にへたりこみそうになる。と、片腕がぐいと引っ張られた。

「わ、」

視線をあげると、ハヤテさんは何かを言おうとして飲み込んだ。白い明かりがぼんやりと彼の表情を照らして、ただでさえ悪い顔色が、いっそう青白く見える。
ぎり、と私の腕を掴んでいる手に力が入るのがわかる。

「……あの、手を、」

「すみません」

ささやくような返事には温度がなかった。すぐに力は抜けたけれど手は離れていかない。そのままベットに座るように促される。
ハヤテさんは座った私と向かい合うように立つと、腕を掴んでいた手をゆるゆると上げ、私の頬に添えた。いつもより冷たさを感じないのは、私が冷え切っているからなのか。
顔を上げて表情を伺うと、何かを耐えているような、行き場のない顔がぼんやり見えた。
瞳の奥は隠せないほど揺らいでいるのに、眉間の皺は深い。光の加減だろうか。静かな怒りを隠しているようにも、置いて行かれた子供のようにも見える。

そんな顔をされたら、動けないじゃないか。小さく息を吸って、少しだけ声を張った。

「生きてますよ」

息を呑む音がした。励ますように、不安にさせないように、繰り返す。

「生きてますし、元気です。大丈夫ですよ」

「……よかったです。本当に」

手は離れていかない。ああ、もしかして、

「ハヤテさんのせいじゃないです」

添えられた手がひくりと動いた、気がした。

「自分を過信して、すぐに避難しませんでした。自業自得です」

「冷静さを失いました。あなたを守るほうを優先すべきだったのに」

「それは、違います。大丈夫ですよ。生きてます。お互いに。……ありがとう、ございます」

ピンピンしていて、少しなりとも動ける子どもを付きっきりで守るより、さっさと逃がして万全の状態で追っ手を阻むほうが良いはずだ。敗走戦の難しさなんて、アカデミー生でも知っている。厳密には違うけれど。あの時は、私よりも動けない人なんて山ほどいた。
守る、と言ってくれた気持ちは素直に嬉しい。それでも、足でまといになりたいわけではない。私を守るためだけに、戦力を割いて欲しくない。
ハヤテさんだって分かってるはずだ。それでも謝られているのは、少しでも恩を………あのお守りの恩を感じてくれているのかもしれない。

「恐ろしかったでしょう」

「……そりゃ、まあ」

「あなたに、あの感覚を、味わって欲しくはなかった」

手が頬をなぞる。
そうだ、この人は、1度死にかけている。そういえばあの時、ハヤテさんはバキに、本来なら自らの仇であったはずの人に勝負を挑んでいた。片手しか使えないにもかかわらず。
それでも、ここにいる。

もし、私がもう一度カブトと会ったとして、逃げ出さずにいられるだろうか。ハヤテさんのように、向かっていけるだろうか。たぶん、できない。

「ハヤテさん、あの砂の忍に、勝てました?」

彼の目が丸くなったのが、暗がりでもわかった。

「……いいえ、」

「じゃあ、またリベンジしないとですね」

「………ええ」

頬の手がゆっくりと離れていった。見上げた瞳にさっきまでの揺らぎは見えない。ひとつふたつと軽く咳き込んでいる。
………よほど、心配をかけていたらしい。申し訳ない。
申し訳ないついでに、もう1つ、

「ハヤテさん、あの」

「はい」

「水……取ってもらってもいいですか」

じとりと責めるような目で見下しつつも、しっかりコップに注いで差し出してくれたので有難く受け取る。筋肉に信頼が置けなくて、両手でそっと受け取った。

「これで、あんな体制になっていたんですか」

「まあ……はい」

「気をつけてください。………ストローでも用意してもらいますか?」

「………やめてください」

すこし皮肉っぽく、笑いを含んだ声はいつも通りだ。
ほうと息をついて喉に流し込んだ生ぬるい水は、体に染み渡るようでとても美味しかった。





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