未知なる英断‐03 

鈍い音がしたが、わたしの腕から鮮血があふれだすことはなかった。ゆっくり開いた視界に飛び込んできたのは、倒れている九十九の姿。そして、先ほど琳太に攻撃していたミネズミが、今度はわたしの方へと突っ込んでくる姿。
しかし、そのミネズミの小さな影はわたしに届く前に、それ自身の小さな鳴き声と共に掻き消えた。バチバチという鋭く弾ける音と閃光をまとった素早い影が、ミネズミを横から吹き飛ばしたのだ。

実際はほんの一瞬の出来事だったはすなのに、全てがスローモーションのようで、わたしは一部始終をまばたきできないまま見つめて、全部を視界に収めていた。
目の覚めるような眩しい光が収束すると、そこにいたのは、突っ込んだ勢いを持て余して蹄で固い地面を掻いているシママ。どうしてここに。いや、それよりも今は。

「九十九、琳太、大丈夫!?」
『おれ、平気!やっつけてくる!』
『うう、何とか、大丈夫……』

まだ終わっていない。
九十九を抱き起したわたしの脇を琳太がすり抜け、立ちはだかるようにして四足で踏ん張る。かっと開いた口から漏れ出しているのは、不思議な色の炎。タイミングを合わせて口を開く。

「琳太、竜の怒り!」

わたしと琳太の怒りを乗せて、放たれた炎はミネズミを包んだ。
ミネズミは至近距離で技を受けて、ぱたりと倒れた。起き上がる気配はなく、目を回している。シママがスパークで吹き飛ばしたミネズミも、戦闘不能だ。

「ちっ……撤退だ!」

プラズマ団の男たちは、慌ててポケモンを各々のボールに戻して穴の外へと走り去っていった。ほっとして肩の力が抜けたが、九十九のことを思い出して腕に再度力を込める。

「おい、大丈夫か」

ぱっと擬人化したシママが、座り込んだままのわたしに声を掛けてきた。

「九十九が……そうだキズぐすり!」

ミネズミに噛まれた箇所に、いいキズぐすりを吹きかける。お腹にあった硬いホタチのおかげで、急所は免れたようだ。傷に染みるのかひいひい言いながらも、すぐに九十九は起き上がってくれた。ふるふると首を振って、真っ直ぐな瞳がわたしを映す。

「ありがとね、九十九」

傷に触らないよう、そっと頭を撫でると、しょぼくれた笑みが返ってきた。そんなに申し訳なさそうにしなくてもいいのに。申し訳ないのはこっちの方だ。かばってもらったんだから。
琳太が気遣うように鼻づらで九十九のお腹をつつく。こら、傷口に障るでしょ。

チェレンはポケモンを女の子に返すため、先に洞窟を出ていった。へたり込んでいるわたしのことを心配していたけれど、わたしが女の子に早く届けてあげてと言えばしぶしぶ納得してくれた。
残されたのはわたしたちだけ。先ほどまで騒がしかったこの空間には、今や水の滴るごくわずかな音と、わたしたちの声しか響いていない。

「琳太も、それからシママも、ありがとう。どうしてここに?」

わたしの質問に対してシママは、あーだとかうーだとか、言葉にならないことをもごもごと呟いている。口ごもっている様子を怪訝に思っていると、じろじろ見るなと怒られてしまった。気になるんだからしょうがないじゃないか。

「……」
「……何だよ、じろじろ見るなっつったろ」
「……」
「……あーもう!気になったからこっそりつけてたんだよ!!これでいいか!?あ?」

逆切れされたような気がする。思いっきりぶちまけて気が済んだのかそれとも後悔しているのか、シママはがしがしと頭を掻きながら出口へと歩き出した。
バトルしてくれた琳太と九十九をボールに戻し、速足で追いついてシママの隣を歩く。ずんずんと歩幅を変えずに歩くシママについていくのは、わたしの足では一苦労。コンパスのせいだからどうにもやるせない。

「ねえ、しつこいかもしれないけれど……」

ちらりとわたしを見下ろしたシママの顔が「はい面倒臭いです」と語っていたが、構わず続けさせてもらう。ここで引いてしまっては、もう二度と訊けない気がしたのだ。

「どうしてわたしのことが、気になったの?」

彼は今朝、見送りをしてくれた人たちの中にはいなかった。わたしたちのことなんて気にかけていないからそうしたのだと思っていたのに、さっきのシママの発言は、わたしの予想と全く逆のものだった。だから、気になったのだ。育て屋を出てまでついて来てくれたことが。

シママの、黙々と動かされていた足が止まった。きょろきょろと落ち着かない様子で視線をあっちへやりこっちへやり。また口ごもってしまっている。何をそんなに言い淀んでいるのだろう。

「リサ、リサ!」

いつのまにか結構歩いていて、保育園の前まで差しかかっていた。園児たちのはしゃぎ声の中から、わたしの名前を呼ぶベルの声がする。シママが行って来いと手をひらひら動かした。このまま育て屋まで帰られてしまったら、うやむやになってしまう。そう思って逃げないでねと釘を刺すと、そんなわけあるかと言われた。本当かなあ。シッシッと追い払われるような手つきを尻目に、わたしは保育園への階段を駆け上がる。

「リサ、本当にありがとうね!」
「おねえちゃん、ありがとう!」

プラズマ団にポケモンを取られていた女の子が、わたしを見上げて大声でお礼を口にする。
両手でしっかりとモンスターボールを包み込むようにして持っているその姿に、自然と頬が緩んだ。よかった、取り戻せて。奪われたのはポケモンだけではない、と思う。人とポケモンが築き上げたものも、笑顔も、あるべき場所に返せたのだ。

「はい、これ!ポケモンをとりもどしてくれたお礼!」

小さな手から差し出されたのは、ピンク色の可愛らしいデザインが施されているボール。ヒールボールといって、捕まえたポケモンの体力を回復させる効果があるのだという。ここは素直に、ありがたく頂戴しておく。
チェレンはもう先に次の街へと行ってしまったようで、ここにはいなかった。今頃は、大分先に進んでしまっていることだろう。

ベルたちと手を振って別れ、階段を降りる。ふと下に向けていた視線を上げたときにシママが腕組みをして立っているのが見えて、また少し、わたしの頬はゆるむのだった。




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