the Noah's ark‐09 

「すごかった…ね…」
『ん』

どうして今まで、バトルを見ようとしなかったのだろう。
トレーナーの指示に応え、精一杯戦うポケモン。状況を把握し、ポケモンの目となり頭脳となる、トレーナー。お互いの息が噛みあってこそのポケモンバトル。目に見えるものよりも、目に見えないものの方が、ずっとずっと大きくバトルに影響している。ポケモンの強さを引き出すのは、トレーナーの役目なんだ。

あの躍動感。あの緊張感。見ているだけなのに、わたしの方がどきどきさせられてしまった。すごい、すごい。わたしもあんな風に、琳太と一緒に戦いたい。できるかな、難しそうだな、そう思っている気持ちよりも、やってみたい、やらなきゃ、という気持ちが勝った。

他の場所でも、ポケモンバトルをしているところはあるだろうか。もっと見て、学びたい。

「琳太、他のところも見てみよう?」
『ん!リサ、あっち』
「あっち?バトルやってそうなの?」
『ん!』

人混みの間からは見づらいからと、原型になっていた琳太。人間よりもはるかに耳が良い琳太は、わいわいと騒いでいる場所を感知したらしい。首をもたげて方向を示す。
琳太について歩こうとしたとき、目の前にふたり分の影が伸びた。

「ねえねえ、あなた今、ポケモンとしゃべってたの?」
「え?」

大きな緑色の帽子をかぶった少女が、話しかけてきた。今のわたしの見た目年齢と、そう変わらないくらいだろう。彼女の隣にいる少年も、同じくらいの歳のようだった。彼は眼鏡のブリッジをくい、と押し上げて、少女をたしなめる。

「ベル、いきなりそんなこと言ったら驚かれるに決まってるだろ」
「でもでも、チェレンも見たでしょ?」
「そりゃ、そうだけどさ…」

で、とふたりが同時にわたしの顔を見るものだから、思わず一歩、後退ってしまった。会話の流れで彼らの名前はわかった。ならば、流れに乗ってわたしも名乗らないといけないかな。

「あの、わたし、リサっていいます」
「リサちゃんっていうのね、よろしく!」

それで、話を戻すけど、とチェレンくんに言われて、戻さなくてもいいんだけどなあと思いつつ苦笑する。
わたしがポケモンと話せるのは、きっとお父さんがポケモンだから。だから、普通の人はまずわたしと同じように、ポケモンの言葉が理解できるわけじゃないはず。

リサちゃんは、ポケモンなの?と尋ねるベルちゃんに、わたしは首を横に振る。ここでうなずいてもすぐに嘘だってばれるだろうし、下手に誤魔化すことなんてしない方がいいだろう。かといって、事情を一から十まで話してしまうのははばかられる。別の世界から来たこととか、生い立ちとか、そういったものは非日常的な部分が多すぎて、きっと信じてもらえないだろうし。何より、そうほいほいと人に話していい内容ではないことくらい、わたしにもわかる。

「えっと、あの、ちょっと事情があって…ね」

だから、今度からは迂闊に人前で、擬人化していないポケモンと話すのはやめにしようとかたく心に誓いながら、こう言うにとどめておいた。

ふたりがどういう風に、わたしの言葉をとらえたのかはわからない。でも、いきなり尋ねたことを詫びて、深くは突っ込まないでいてくれた。たまたまわたしと琳太の会話を聞いていたのが、ベルちゃんとチェレンくんでよかった。今まで誰にも見つかっていなかったのが、逆に不思議なくらいだ。

「きみ、見かけない顔だけど…ポケモントレーナーとか?」
「違うよ、この街に、引っ越してきたばかりなの」

とてもフレンドリーな性格のベルちゃんと、知的な雰囲気のチェレンくん。そういえば、同年代の子と話すのっていつぶりだろう。つい心がふわふわと浮き足立ってしまう。これは、新しい友達をつくるチャンスだ。

まだ不慣れなわたしと琳太を、ふたりはお詫びも兼ねて快く案内してくれるという。
嬉しいことだし、とても助かるけれど、油断はできない。わたしがあまりにもこの世界にそぐわない発言をしてしまったら、と思ってしまったのだ。うっかり下手なことは言えない。

もし、この先彼らと仲良くなることができたとして、何でも話せる仲になれたとしても、異世界の話は持ち出せない。逆の立場だったら、わたしが信じてあげられるかどうか、怪しいものだ。というか、おそらく信じてあげられない。

だったら。何でも話せる仲になんて、なれっこない。冷えた、暗くどろりとした何かが、わたしの心に侵食していく。この世界のどこに行っても、何をしても、結局わたしは異端だ。それは埋まることの無い溝。お母さんもあちらの世界にいたとはいえ、もとはこの世界の住人だ。わたしはひとりぼっちでこの世界にやって来たに等しい。

ふたりの声が、どこか遠くに聞こえてくる。
彼らの歩幅に合わせるために抱え上げた琳太が、重たく感じた。けれど、その重さが、わたしをこの世界に留めてくれている。居てもいいよと、言ってくれている。そんな気がしたのだった。




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