the Noah's ark‐10 

晩ごはんの時に、今日あった出来事を吐露すると、今度から琳太としゃべるときは気を付けるように、と言われた。わたしもそれは思っていたことだったから、異論はないし、もっと気をつけなきゃって思えた。

それから、わたしが今日知り合ったベルちゃんとチェレンくんは、ご近所さんだってことがわかった。お父さんもお母さんも、引っ越しの時に近所に挨拶をして回ったとき、顔見知りになったのだという。
また、街を案内してもらえるかな。一緒に遊んでくれるかな。次に散歩するときの楽しみが、ちょっぴり増えた。

でも、楽しいことは話題に出来ても、ひとりぼっちの寂しさは口に出せなくて、どっかりと胃もたれしそうだった。お腹が空いているはずなのに、何だか食欲がわかなくて、晩ごはんは少しだけ残してしまった。
心配されると分かってはいたけれど、笑って誤魔化して自室にこもった。ひとりになりたかった。


ごろりとベッドに転がる。食べてすぐに寝ると牛になる、なんていうけれど、この世界では牛なんているのかな。それとも、牛の姿をしたポケモンがいるのかな。どうでもいいや。だって、食べたら眠たくなるし、眠たくなったらベッドに転がりたくなるというものだ。
琳太がおもむろに、わたしののばされた腕の上に顎を乗せてきた。ひとりになりたいと思っていたけれど、琳太はついてきてしまった。

でも、琳太の温もりは、わたしをここにつなぎとめてくれている気がして。ひとりじゃないって思わせてくれている。

「ありがとね、琳太」
『ん?』

何を藪から棒に、と琳太は少しだけ頭をもたげた。
わたしが言いたかっただけだから、わかってもらわなくてもいいんだ。わしゃわしゃと撫でまわせば、低くのどが鳴った。それで満足したらしい琳太は、すぐにうとうとと舟を漕ぎ始める。
もう片方の腕も使ってギュッと抱きしめると、穏やかな鼓動が伝わってきた。

寂しい。その気持ちが心を染め上げる。どうしてそう思ってしまうんだろう。お母さんにも、お父さんにも会えたのに。すぐそばに、琳太だっているのに。毎日家族で過ごせているっていうのに。

「泰奈、龍卉さん、」

ここにはない色。新緑と深緑が脳裏をよぎる。わたしのことを助けてくれて、家族以外で、わたしがどこからやって来たのかを知っている人たち。知っていて、それでもなお、無条件に手助けしてくれた、優しい人たち。不可抗力であるとはいえ、彼らには大した挨拶をする暇もなく、わたしは彼らの前からいなくなってしまった。
世界は繋がっている。次元も時空も越えなくていい。だから、いつかまた会える、なんて考えるのは楽観的すぎるだろうか。だって、世界は広い。

たとえばわたしが北海道にいるとして、四国に会いたい人がいるとして。その人のことは、名前と容姿しかわからないとして。探しに、行けるだろうか。考えるまでもない。土台無理だ。

家族に会えたのに、新しい友達もできたのに、それでもやっぱり、会いたいものは会いたい。寂しい。わたしってわがままだろうか。欲張りなのかな。

そもそも、家族でこのまま暮らしても何不自由ないはずなのに、わたしはどうして旅に出てみたいって思ってるんだろう。
楽しそうだから?もっとこの世界を見てみたいから?泰奈たちに、会いたいから?どれも正しいはずなのに、どれも当てはまりはしない。微妙に、ピースの形が、色が、違うのだ。

「…琳太、」

どうしてだか、わかる?何となく、問いかけたくなって声をかけると、何を勘違いしたのか琳太は擬人化して、お腹でわたしの枕を陣取った。琳太と寝具の間にサンドされている腕を抜いて、ぼさぼさと降りかかる前髪を、払いのけてやる。
そして、見つけた。旅の目的。どうして世界を見ることに惹かれたのか。その理由を。

琳太の瞳を通して見えた、凍てつく瞳。同じ色をしたそれは、孤独で、飢えていて、真っ暗だ。鋭利で、マゼンタ色をしたピースが、かちりとはまる音がした。
わたしはもう一度、あの瞳を見たいのだ。今度は、奥の奥まで。単なる好奇心とか、怖いもの好きとか、そんなものじゃなくて、ただ純粋に、凍てついた瞳に光を当てたいだけ。陽だまりの中で、あの瞳の温度がどうなるのかを、見届けたい。理屈じゃないけれど、あの人は助けてほしいと言っているように、わたしの目には映ったの。おせっかいかな。わたしの思い込みかな。でも、それでいいんだ。わたしは、あの場所に、行く。もう一度。今度は、8つのバッジを集めて、この世界の理に則って、正面から堂々と。そうしてそれまでに見てきた世界の温度を、彼に知ってほしい。

恐怖の記憶やトラウマとして残ってもおかしくないはずのあの男の存在が、わたしの中では、旅の一番の目的になっていた。目的を、与えられたのだ。あの笛の音を聴いた瞬間に。
あの笛の音が、わたしと似ていると思ったから。寂しいと言っていたから。

音にだって感情はあらわれる、それは、奏者が思っている以上に。自分も楽器を扱っていたのだから、それがわかっている。

「琳太、」
「ん?」
「わたし、旅に出たい理由が、やっとわかったの」

互いの手を合わせ、指を絡め合う。
大変な道のりだって、わかってる。だから、一緒に強くなろう。琳太だってきっと、わたしに会うまではひなたの世界を知らなかったはず。だから、琳太にも、世界の、人のつながりのあたたかさを知ってほしい。そしてわたしに、琳太の持つあたたかみを、伝えてほしい。

想いをこめて、ギュッと手に力を込めれば、同じ強さでそれが返ってきた。




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