心の在処‐05 

ほめてくれないのかと拗ねそうになっている琳太の頭をなでなでしてから、ミジュマルの視線に合わせるべく膝を折った。

「わたしと一緒に行くのは、いやかな。わたしは、あなたがついて来てくれたら、とっても助、かるなあって」
『たす…かる?ぼくが、ついていって、助かる…?』
「うん。にぎやかな方が、楽しいって思うし。でも、わたしバトルは下手くそだから、痛い思いをたくさんさせてしまうかもしれない…」

自分で言っていて、ミジュマルを納得させる要素を自分が何一つ持ち合わせていないことに気付いた。トレーナーズスクールを卒業した、もっと実力のあるトレーナーのもとで旅をした方が、幸せだと思う。
アララギ博士の白衣に包まるようにして立ちあがったミジュマルの目は、揺れていた。

『あの、』
「…?」

ミジュマルが小さな両手をぱたぱたと上下させてこちらを見ている。可愛い仕草だが、いまいち伝えたいことがわからない。首をかしげて見せると、消え入りそうな声で、立ってと言われた。わたしがその言葉に従うと動作は止み、ミジュマルの身体が淡い光に包まれた。琳太の時にも見た、あの光。

からりと下駄の音がして、光が収束した。切りそろえられた真っ白な髪に、うるんだ黒い瞳。手には、アララギ博士の白衣が握られている。もしかして彼は、何かを握っていると、落ち着くのだろうか。そう、今まではミジュマルの性別の判断材料が声だけだったため、何とも言えなかったのだが、視覚的に男の子らしいことが見て取れた。とはいえ可愛らしい顔立ちをしているから、ぱっと見では女の子に見えなくもない。

「ぼくは、とっても臆病で。他の仲間たちと同じようにここで育ったのに、他の仲間たちと同じように外に出るのが、こわかった。旅に出てみて、やっぱりこわかった。でも、どうしてだか、ここに戻されたことの方が、ずっとこわいと、思った」

そばかすのある顔を俯かせて、ミジュマルは言葉を零す。ひとつひとつ、どれをとっても飾らない言葉が、すっと心に届く。表情が見えなくても、言葉の色で、声の色で、ミジュマルが何を想い、伝えたがっているのかが見えた。

「でも、いざもう一度旅に、となるとやっぱりこわくて。なさけないって、おもってるけど、でも、でも、」
「わたしも、こわいよ」

ゆっくりと、ミジュマルがわたしの言葉に反応して顔を上げた。さらりとかすかな音を立てて、雪のように白い髪が揺れる。
わたしだって、目の前で琳太がぼろぼろになったとき、すごく怖かった。自分自身にも命の危険が迫っていたけれど、それを差し引いても十分に恐ろしかった。わたしのせいで知り合って間もなかった他者を傷つけてしまったその事実が。だから、あんな事がまたあるかもしれないというのにバトルをするとなると、怖くないはずがない。
だらだらと話しても仕方のないことだから、口では「バトルでポケモンを傷つけてしまうことが怖い」と言うに留めた。

「あなたは人一倍、臆病なんだろうけど、でも、外に出たい気持ちがないわけじゃ、ないんだよね?」
「それは、そうだけど…」
「じゃあ、一緒に来てもらえないかな。せっかく会えたんだから。あなたがここに帰りたいって言うまで、私と琳太は、一緒にいるよ」
「ぼくが、かえりたいって…。じゃあ、あなたがかえってほしいって、思ったときは、いや、きっとそんなときがくるから、ぼく、ひっ!?」

それまで黙っていた琳太が、むんずとミジュマルの腕をつかんだ。突然のことに目を白黒させているミジュマル。両手でいいように握った手を揺らしている琳太は、口をむっと引き結んでご機嫌ななめだった。

「リサ、そんなことしない」

少し背の高いミジュマルの目をのぞき込んで、琳太は淡々と言い放った。物言いが普通の言葉よりも少々物足りないせいで、感情のこもっていない響きをしているが、その分は表情が補っていた。

「外に出たいなら、出たいって、言えばいい。おれはリサについていきたいって言った。そしたら、リサはいいよって言った。あんたも、同じ。言えば、いい」

そう、結局は単純なことなのだ。それをややこしくしていたのは、一体何。
経験の浅さ故に強く出られないわたしの臆病さ、ためらい、それから、傷つけたくないという恐怖。
過去の経験にとらわれて、一歩踏み出しきれないミジュマルの臆病さ、ためらい、それから足を引っ張りたくないという尻込み。

でも、琳太からしてみれば、そんなものはどうでもよくて、ただ、何がしたいのか言えばいいという単純な理屈しかそこにはなかったのだ。あまりにお互いの歩み寄る速度が遅いから、単純なことを見落としていた。
何だか今までの悩んでいたものがすべて杞憂になって、肩の力が抜けた。表情筋も張り詰めることをやめたせいか、自然と笑みが零れて、琳太がきょとんとした顔を向けられた。何か変なことを言ったかと問いたげな琳太に、何でもないよとつぶやいて、わたしはミジュマルの目をしっかりと見た。

「うじうじいってごめんね。琳太の言う通りだ。あなたはどうしたいと思っているの?“でも”はいらないから、聞かせてほしい。わたしに叶えられるものなら、わたしが叶えたい。だって、あなたのボールはここにある」

そうして握りしめていた空のボールをかざして見せれば、ミジュマルが大きく目を見開いた。そこに、ほんの一瞬だけ、輝きをぎゅっと凝縮した光が宿ったのを見逃さなかった。錯覚なんかじゃない。
ミジュマルが、息を吸う音がした。

「ぼくは、旅がしたい」

シンプルな言葉を紡いだミジュマルの顔は、晴れやかだった。

「臆病だけれど、こんなぼくでよければ」
「わたしこそ、不慣れで迷惑ばかりかけるけれど」

それでもやっぱり、自分に自信が持てなくて付け足してしまう言葉もあった。
よろしくね。自分より少し小さな手のひらは、握ればしっとりと汗ばんでいた。わたしたちの手の上に、琳太の手が重ねられる。あたたかい。
ためらいがちに小さく笑ったミジュマルの笑顔は、彼にぴったりだと思った。




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