心の在処‐04 

リビングに降りて、たたんでいた空の段ボールを片付ける。わたしが降りてくるのを待っていたらしいお父さんの手には、布が握られていた。ハンカチくらいの大きさの、吸い込まれそうな夜空の色をした布だ。光沢があり、明かりを受けて光った部分が、天の川の様に見えた。それを、お父さんはわたしに差し出した。

「これを」
「ありがとう…これは?」
「霊界の布というもので、本来はポケモンの進化に必要なアイテムなのだが…まあ、餞別として受け取っておいてくれ」
「うん」

驚いたことに、受けとるとじんわりとした暖かさと、ひんやりと心地良いすべすべの手触りとが同時にやってきた。この布に触れていると、不思議と心が落ち着く。よく見ると、ブローチがついていて、ワイシャツの首元に丁度留められるようになっている。
身に着けると、自然と背筋が伸びた。布から力をもらっているような、そんな気がした。

玄関ではお母さんが待ってくれていた。琳太が頭を撫でてもらってうれしそうだ。わたしもつられて頬が緩む。お次にお母さんの手がのばされたのは、わたしの頭。今更、この歳で頭を撫でてもらうというのは、いささかくすぐったくて、気恥ずかしい。ワイシャツの襟とタイを整えて、お母さんの手が名残惜しげに離された。

「たまには連絡してね!あと、ちゃんとアララギ博士のところに寄ってね!あとは、えっと…」
「気を付けろよ」
「うん!行ってきます」
『いってき、ます!』
「い、いってらっしゃいっ!」

ドアを開けるとき、いつもとは違う光景が見えた。ううん、いつもと変わらない風景だけど、わたしの目に映るものが違うんだ。きらきらしてて、どれをとってもわたしをわくわくさせてくれるものばかり。琳太と一緒に踏み出した、ドアの向こう側への一歩は、とくべつ大きな一歩だった。

ふたりに手を振り返して、急ぎ足で研究所へと向かう。ベルもチェレンも待たせてしまっているから。そんなに遅れはとっていないはずだけれど、足は引っ張りたくない。

お母さんとお父さんと、旅に出る前にひとつだけ約束した。
“ポケモンと話せることを、隠すこと”
お父さんはこれを守らないと旅は許可しない、と断言したので、わたしは首をちぎれるほど縦に振った。わたしだって迷惑はごめん被りたいし。
やっと会えたお父さんと、また離れることになって、またしばらく家族で過ごせなくなってしまうことは寂しいけれど。ここはわたしの帰る場所だから。
いつか、また。
もう一度振り返った時、お父さんとお母さんが手を振っているのが見えて、目頭が熱くなった。こらえるように大きく手を振って、それからは、もう振り返らなかった。


まずは、研究所まで。
擬人化した琳太の手を引いて、歩きなれたカノコタウンの道を進む。
研究所は白く大きな建物で、田舎で大きな建物があまりないカノコタウンでは、よく目立っていた。町の出口近くにある研究所は、いざ目の前にしてみるとやはり大きい。中に入るのは初めてで、急に初めて見る建物に見えてきた。早歩きのせいだけじゃない、鼓動の速い心臓。一度深呼吸をして、扉を開いた。

「こんにちは」
「ハーイ、待ってたわリサ」

アララギ博士は、さばさばした、笑顔が爽やかな人だった。
ベルとチェレンはカノコタウンの出口であり入口でもある一番道路の手前に向かっているとのことだった。

ポケモンをもらったお礼を述べてから、ミジュマルのことを説明すると、既にチェレンから話を聴いていたようで、あまり補足することがなくて楽だった。ありがとうチェレン。
ボールから出すや否や、ずざざ、とものすごい勢いでアララギ博士の陰に隠れて首から上だけを覗かせるミジュマル。こんなこと、さっきもあった。あの時は段ボールだったけど。涙目で、命綱とばかりにひしとアララギ博士の白衣の裾を握り締めている。

「一度トレーナーについていったことがあるんだけど、臆病なせいで研究所に返されてしまって…。今度こそはって思ったんだけれど」
「そうだったんですね」

一度旅に出て、「返品」されてしまった。再び誰かの手持ちになって、外に出るのが怖いわけだ。このままわたしが連れて行くと言い張ったとしいて、送り出した側のアララギ博士はともかく、ミジュマルがすんなりついてきてくれるとは思えない。あんなに怖がっているのに。それに、きっとわたしは鈍臭くてバトルも下手くそだろうから、痛い思いをたくさんさせてしまうと思う。
ミジュマルを納得させてついて来てもらうか、アララギ博士を説得して他のポケモンをいただくか。いっそ琳太がいるのなら、はじめのうちは彼だけでいいかもしれない。でも、旅先でうまく仲間を増やせる保証はどこにもないのだ。おまけに、袖振り合うも何とやら、ということだし、せっかく仲間になれそうだったのだから、一緒に旅がしたい。

考えあぐねているわたしのわきを、とことこと琳太が通り過ぎていった。そして、あろうことか琳太はミジュマルの尻尾を掴んで引っ張ったのだ。わたしは一瞬言葉を失った。わたわたと抵抗するミジュマルと、譲らない琳太。アララギ博士は困惑して引っ張り合いを見ている。

「り、琳太、何してるの!」
『ひっ!?やだ、はなしてっ放してってば!』

白衣がぐいぐいと引っ張られているので、博士はさりげなく白衣を脱いだ。拮抗している状態がそれにより打開されて、ずるずると白衣ごと引き摺られていくミジュマル。もとより、小さな身体のミジュマルと擬人化した琳太では、勝負が見えていたのだが。
白衣を手放せば自由の身であることに気づいていないみたいだけれど、それを言うとさらにややこしくなりそうなので黙っていた。

「ん!」

力負けして全身を床に預けているミジュマルを、琳太がわたしの足元まで引きずってきた。
ほめてほめて!と言わんばかりの満面の笑みを浮かべる琳太が可愛いので、思わず頬がゆるむ。まるで投げたボールをとってきたわんこみたい。
…いけない、琳太がいきなりしたことは、ミジュマルとアララギ博士に失礼だ。気持ちを切り替えて謝ろうと顔を上げると、困ったように微笑んでいる博士の顔があった。やんちゃな子たちに翻弄されるお姉さんの顔。

「す、すみません、博士!白衣が、」
「いいわよ、そんなことよりほら、ミジュマルとお話して。アナタは一緒に行きたいんじゃないのかしら?」

わたしの葛藤を見抜くように放たれた言葉。目が大きく見開かれたのが自分でもわかった。何人もの新米トレーナーを見送ってきた博士にとって、わたしの考えることなどお見通しということだろうか。





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