the Noah's ark‐07 

わたしがこの世界に来てから、というか帰ってきてから、日々は飛ぶように過ぎた。
家族そろって出掛けて、ご飯を食べて。その些細なことひとつひとつがとても楽しかった。
琳太は最初に話したとき以来ずっと、お父さんとお母さんのことを父上、母上と呼んでなついているようなので、弟ができたような気分。お父さんはどうしてだか、その呼び方にまだ納得していないようだけれど。

毎日、朝起きたらご飯を食べて、琳太と散歩をして、時には家族で出かけて、買い物をする。隣町まで行くときもあって、そういうときは、見慣れない施設を説明してもらうこともある。毎日が勉強だし、毎日が発見。夜、寝る前には布団に入ってから絵本を読む。もちろん、琳太とふたりで、だ。
朝の散歩は、学校通学がなくなったので、部活も体育の授業もないから、運動不足を解消するためっていうのもあるけれど、自分の足で歩いて、自分の目でこの世界を見たいという意図もある。

泉雅さんにカノコタウンの前まで飛ばされたときよりも、わたしの身体は少し縮んでいた。今は落ち着いてきたけれど、これでは中学生にも見られないかもしれない。中身は十代後半だというのに。また背が伸び始めるのは、いったいいつなのだろうか。

「琳太、散歩行こう!」
『ん!』

階段を下りて、リビングのお母さんに一声かける。いつものように、お昼までには帰ってきてね、という声を背中に受けながら、わたしと琳太は家を出た。

縮んでも、歩幅はわたしの方が大きい。だから、わたしは琳太に合わせてゆっくり、歩く。それを嫌だとか、面倒だとか思ったことは、一度もない。でも、もし、もしも、同じ歩幅で歩けたら。素敵なことだなあって、思う。

いつも通り街をぐるりと一周するコースを歩いていたら、目の前の道路でポケモンバトルが繰り広げられていた。そう珍しいことでもない。
まっすぐ通って邪魔をするわけにもいかなかったので、琳太と小走りに回り道をしてその場を通り抜けると、わたしと琳太の距離は大分開いていた。少し早足で歩きすぎたかなと思い、疲れたのかと聞くと、琳太は首を横に振った。

『ヒトになったら、歩幅、広がる?』
「ヒトに?」
『ん、ヒトに』

あ、擬人化のことね。
確かに歩幅は広がるだろう。琳太は種族柄小型だし、その種族の中でも殊更小さい方、らしい。まだ子どもだっていうから。
お父さんによると、ポケモンが擬人化するのはヒトに対する信頼や繋がりの証だという。
もし、琳太がそうなりたいと望むのであれば、きっとそれは、叶うはず。

「琳太は、擬人化したいと思うの?」
『ん!』
「そっか。わたしも、琳太と手を繋いで歩けたらいいなって、思ってるよ」


琳太はわたしの言葉を聞いて、にぱっと笑った。

『ん!つなぎたい!』

一緒に、歩きたい。
ふわり、と琳太は青くて優しい光に包まれた。それはみるみるうちに長く伸びて、驚いて立ち上がったわたしの肩下あたりで止まった。光が収束すると、そこには黒髪にポンチョを着た少年がいた。琳太が、擬人化した。

「お、おめでと!」
「へへー!」

擬人化は、少なからず人間との繋がりを感じているポケモンがすることだから、琳太のそれは、わたしのことを信頼してくれていることの証と受け取っても、いいのだろうか。うぬぼれかもしれないし、お調子者かもしれないけれど、それでもいい。だって、嬉しいんだもの。

ふと、琳太が差し出したのは自分の左腕につけていた赤い玉。受け取って引っ張ると、玉をつなぐ紐が伸びたので、ゴム製とわかる。それから琳太は自分の前髪をつまんだ。結んで、ということらしい。確かにのれんのようになっていて、ちっとも表情が見えない。

「じゃあちょっと目を瞑ってて?」
「ん」

前髪を手櫛ですきながらひとつに纏めた。きれいな顔に思わずちょっと見とれてしまう。すべすべでやわらかそうな肌。あとでほっぺたをもちもちさせてもらってもいいだろうか。

「はい、できた」
「ん…」

ぱち、と開かれた双眸がマゼンタだったことに、わたしの心臓がトクン、とわずかに跳ねた。
でも、このマゼンタはあの男の冷たいそれとは違う。凍えきって陰のある、何も見えないあれとは違う。琳太のは温かい、きらきらしたマゼンタだ。

「……まぶしい」

目を繰り返ししばしばさせたり擦ったりする琳太。やがて視界が高くなっていることに気がついたらしく、物珍しそうに辺りを見て、わたしの顔を見て、にこっと笑った。

「リサが、近い!」

そう言ってくれるから。手を握ってくれるから。もう我慢できない。抱きしめてもいいですか。

「琳太ー!」
「リサー!」

互いに頬をすりすりさせてぎゅっとハグ。わあ、やっぱりもちもちな肌で気持ちいい!そして気が済んだころにハッとする。ここ外だよ!
周りを見ると、通りすがりの人たちがほほえましそうにわたしたちを見ていた。羞恥心を抱え、はしゃぐ琳太の手をひいて、こそこそと家に帰ったのもいい思い出だ。

家に帰ると、お昼ご飯の良い匂いがしていた。
お父さんとお母さんに、琳太が擬人化してくれたんだよ、と報告して、その姿を見せたら、ふたりとも優しい顔をしておめでとう、と言ってくれた。

お昼寝して、目が覚めた時にはもとの姿の琳太がいて、この頭を撫でる感触も、やっぱり悪くないな、と思った。


 

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