心の在処‐03 

礼儀正しく、ツタージャはチェレンに向かって一礼してみせた。そのおかげで、ポケモンの言葉がわからないチェレンにも、ツタージャの言わんとすることは通じたようだ。

「よろしくな、ツタージャ」
『はい、マスター』

丸く大きな瞳は、きりりとした光をたたえていた。
チェレンとツタージャの様子を見ていたベルが、うずうずしているのを視界の端にとらえる。彼女はボールを放り投げかねないので、先に釘を刺しておこうと思ったが、わたしが口を開くよりも、ベルの腕が動く方が早かった。

「あたしもー!えいっ」

ベルがボールを宙に放る。部屋の壁にぶつからないか、内心ひやりとした。
ベルのボールから現れたのは、黒と鮮やかなオレンジのツートンカラーをしたポケモンだった。

「よろしくねぇ、ポカブ!」
『おう!』

ポカブは、任せとけ、とばかりに鼻を鳴らした。
ふたりとも、自分にぴったりのパートナーに出会えたような気がする。冷静なチェレンには凛とした目を持つツタージャが。天真爛漫なベルには、はつらつとした雰囲気のポカブが。じゃあ、わたしのポケモンは、どんな子なんだろう。

「リサもポケモンを出してみなよ。確か…そう、ミジュマルが入っているはずだ」

ボールが入っていた段ボール箱に同封されていた説明書を見ながら、チェレンが促してきた。ベルも期待に満ちた目で、わたしの手の中にあるボールを見つめている。

「え、うん、…それっ」

カチリ。
その場にいた誰もが、確かに開閉ボタンの音を耳にした。しかしボールはだんまりを決め込んでいる。

『引きこもり』
「え、そうかな…引きこもりかな…」

さっきまでカタカタと震えていたのだから、中身は入っているはずなのに。部屋の明かりにかざしてみても、中の様子が見えるなんてことはなかった。もう一度開閉ボタンに触ってみたが、中から塞がれているのか開くことはなかった。モンスターボールに籠城されちゃった。

「うーん…」

お次にボールを宙に放ってみた。と言っても、ベルのように勢いよくではなく、ほんの少し、手から離す程度の優しいもの。でも、それで十分だったらしい。

『ひいッ!』

浮遊感に耐えられなかったのか、ボールが押し出したのか。遂にミジュマルは姿を現した。

『も、もうやだ…』

泣き言を言いながら段ボールの陰にすばやく隠れてしまったミジュマル。お陰で、どんな容姿をしているのかほとんど見られなかった。真っ白な毛並みをした顔だけこっそり覗かせているが、瞳を潤ませて今にも泣きだしそうだ。何も悪いことはしていないつもりだったが、どうしようもなく罪悪感に苛まれてしまう。

『どうしてぼくなの、他のミジュマルじゃないの…』
「間違えられたの…?」
『ひっ、ち、ちがう、けど、でも…』

話し掛けただけで、完全にミジュマルの姿は段ボールの向こう側。涙のにじんだ声が、弱々しく返ってくる。事情を説明してもらうためには、どう声を掛けたものかと首をひねる。話すだけで怖がらせてしまったのだから、これ以上近づけばパニック状態にさせてしまうかもしれない。

ぽん、と肩に置かれた手の先を見ると、チェレンがいた。ツタージャはすでにボールの中にいるようで、彼のボールホルダーにはひとつだけモンスターボールがついていた。

「リサ、アララギ博士の研究所に行こう。ポケモンを頂いたお礼も言いたいし、何より、このミジュマル、ちょっと様子がおかしくないか?」
「うん、その方がいいみたい」

旅立ちの第一歩は、草むらではなくアララギ研究所で決まりである。


「そうと決まったら早く行こう」
「うん。あ、わたし荷造りがもうちょっとかかるから…ごめんけど、先に行ってて?」
「はーい!じゃあまた研究所でね」

ふたりが部屋を出た直後に、ミジュマルは段ボールの陰からそろり、と姿を現した。
荷造りというのは、半分嘘だ。ミジュマルが臆病だと分かっている以上、あまり大人数がいるところには出てきたがらないだろうと踏んでのこと。だから、ミジュマルが顔を見せてくれたときは、ほっと息を漏らした。無意識のうちに緊張していたらしい。

「聞いてただろうけど、今からアララギ博士のところに行くの。ボールに戻ってもらえる?」
『うん』

ボールをかざすと小さく悲鳴を上げたミジュマルだったが、光となって吸い込まれてからは、もうボールが小刻みに震えることはなかった。

「よし、行こうか」
『ん』

体格が向こうの世界にいたときとはまるっきり違うので、洋服はこっちに来てから買い換えた。ぶかぶかの制服は、わたしの部屋のクローゼットに仕舞われている。扉の向こうのそれを、ほんの少しだけ名残惜しいと思いながらも、わたしは空っぽの段ボールを抱えあげた。

「いってきます」

ぽつりと、誰に行ったのかもわからない別れの言葉を残して、当分帰って来ない部屋のドアを閉めた。




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