the Noah's ark‐04 

お父さんは苦虫を噛み潰したような顔で、口を開いた。お父さんも、お父さんと呼ぶには若すぎる。その理由も、今から説明してくれるのかな。

「今はお前がこの世界に慣れる方を優先したい。だから、あまり多くを教えることはできない。混乱させてしまうからな」

言葉はわたしを気遣うものなのに、どうしてお父さんもお母さんも、申し訳なさそうな顔をしているのだろう。何か、言いたくないことでもあるのだろうか。
だったら、言えるようになるまで待った方が、お互いのためにいいのかもしれない。
確かに、全部全部教えてほしいという気持ちはある。でも、今ここで全部話されても、混乱してしまうのは目に見えている。この世界のことなんて、全く知らないに等しいのだから。
わたしの頷きを見て、ふたりは色々とこの世界のことを教えてくれた。

まず、わたしが生まれたのは、この世界だということ。物心つく前に、泉雅さんの力でお母さんと共にあちらの世界へ飛ばされ、わたしは成長する。わたしが17歳になるまでの間に、この世界の時間は2年しか進んでいないらしい。だから、こちらの世界にやってきてから、わたしもお母さんもこっちの時間軸に引きずられて、若返ったのだ。特に、お母さんはこちらの世界で生きた期間の方が長いから、わたしより大きく影響を受けたらしい。
SF小説みたいな話だけれど、わたしが実感していることだから納得せざるを得ない。

「これが、イッシュ地方の地図だ。といっても、さほど俺たちも土地勘があるわけじゃないが…」

この世界は、ポケモンと人間が共生している。前に暮らしていた世界よりも、ずっと自然が豊かだ。ポケモンが生きていくためには、広大な土地や自然が欠かせないからだろう。人間の住む町はぽつぽつと点在しており、あまり数が多くない道路で結ばれている。お父さんが指さしたのは、わたしたちがいるカノコタウン。地図の右下、海沿いにある街だ。そして、手袋をした長い指がするすると地図上を滑り、ある一点で止まる。

「そこが、チャンピオンロード?」

地図の上部にある場所が、初めにわたしが落ちたところ。そこからさらに指が動いて、セッカシティへ。山脈のふもとにある街だから、寒かったのも無理はない。
龍卉さんや泰奈と連絡は取れるかと訊いてみたが、首を横に振られてしまった。直接連絡する手段は持っていないのだという。残念だったが仕方ない。今そのことについて話してしまうと話が逸れるので、彼らのことは一旦置いておこう。焦っても仕方ない。わたしは右も左もわからない世界で、これから生きていくのだから。

「ごめんなさいね、いきなりで、とても怖かったでしょう?それに、向こうでできたお友達にも会えないし…」

そうだ。放課後にカラオケの誘いを断ったのが、わたしと友達との最後の会話だったんだ。朝ごはんをかきこんで、自転車に乗って学校に行って、友達と他愛ない話をして。授業を聞き流して資料集を眺めることも、階段を全力で駆け降りることも、…もう、この制服を着て学校に行くことも、二度と、ない。

この世界では高校や大学といった教育機関に行くことが当たり前ではないという。それはあくまでたくさんある選択肢のひとつであって、多くの子どもたちはトレーナーズスクールに通う程度だとのこと。それからは、さらに学びを深めるために、教育機関や研究機関に身を置いたり、家の仕事の手伝いをしたり。そして、もっとも多くの子どもたちが選ぶ進路は、ポケモントレーナーになって、各地を旅すること。
10歳で独り立ちして旅に出るなど、元の世界からすれば考えられないくらい危なっかしいことだ。ポケモンがいるからこそできることなのだろう。

つまりは、勉強しなくていいという選択肢が、この世界にはあるのだ。それはそれで嬉しいけれど、高校生ライフがぷっつりと絶たれてしまったのは寂しい。でも。

「ショックだけど、わたしは、お父さんに会えてうれしいよ」

こう言うにとどめた。寂しい気持ちが解消されたわけじゃないけれど、でも、お父さんに会えたことが嬉しいのは間違いない。

『お父さん、』
「お父さん言うな」
『父上』
「……」

寝ていたと思っていた琳太がいきなり喋りだした。お父さんにぴしゃりと突っ込まれたのにも関わらず喋り続ける。呼び方を変えたらいいってものでもないと思うけど…。

『人、違う、何で言わないの?』
「…!」
「人?違うって…」

お父さんとお母さんが息を呑んだ。それから逡巡して、お父さんが目の前に手をかざした。そこから黒い球体がもやもやと現れる。ぐっと手を握れば、それは霧散して消えた。

…擬人化していても、ポケモンは技を使える。
わたしが知っている、数少ないこちらの世界の知識に、ピタリと当てはまった今の現象。

「もっと後になってから、お互い心の整理ができてから、言うつもりだったのだが…。仕方ない」

やっぱり隠し事はよくないわね、とお母さんが力なく笑う。ふたりの表情に、きゅっと胸が締め付けられた。琳太も何となく空気を察して、おろおろと落ち着きがない。でも、ふたりは琳太を責めなかった。

「その子が何も言わなければ、わたしたち、あなたに黙ったままだったかもしれない。…ありがとうね、琳太くん」

琳太は尻尾をふってお母さんに応えた。
お父さんの顔を見ると、決意を込めた緋色の瞳と目があった。わたしも背筋を伸ばして、ふたり分の色を持つ瞳で見つめ返す。

「リサ、お前は、ユウと俺の間に産まれた、人とポケモンの間に産まれた混血の、狭間の仔だ」

----そんなことで、ワタシたちはリサさんのことをどうこうしようなんて、思ってませんよ?----
----……来るがよい、リサ。狭間の仔よ----

知ってたんだ。泰奈も龍卉さんも、泉雅さんも。

「琳太は、知ってた?」
『知らなかった、けど、気にならない、から、気にしてない』

つまりわたしがどんな奴であっても、そんなことはどうでもいい、ということか。

『リサは、リサ、なの』
「…うん、そうだね」

お父さんとお母さんが、正直に話してくれたんだ。だから、わたしも正直に、今の気持ちを言おう。

「聞いた時は驚いたけど、嫌じゃなかった。人から励まされて受け入れたとか、そんなんじゃなくて、ただ単純に、わたしは、お父さんとお母さんに会えてよかったと思う。受け入れてくれる人もいるって、知ってるから。その…気持ちの整理には、まだ時間がかかりそうだけど…」

本当に、嫌だなんて思ってない。それどころか、嬉しいの。お母さんの青い目と、お父さんの紅い目。ふたりの中間の髪の色。ポケモンと話せること。
わたしの身体は欲張りだ。文句のつけようがないくらい、良いとこ取り。
…まあ、お母さんとお父さんの方が明らかに顔立ちが整っているけれど、それは置いといて。

「…そうか」
「受け入れてくれてありがとう。…あと、黙っててごめんなさいね」
「ううん、いいの。結果としてわかったわけだし」

見るからにほっとした様子のふたりを見て、思わず笑みがこぼれた。
わたしだってほっとした。自分が何者かもわかったし、お父さんにもようやく会えた。
だから、今度は、包み隠さず全部聞かせてほしい。ゆっくりでいいから。





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