the Noah's ark‐03 

どうにもしっくりこないのは、お母さんがあまりに若く見えるから。普段から、とても美人で自慢のお母さんだとは思っていたけれど、化粧や若作りだと言い訳できるようなものではないほど、若い。とお姉ちゃんだと言う方が、違和感がないくらいだ。

「なんか…若い?」
「そーなの!でもほら、リサも若返ったでしょう?」
「まあ……」

若返ったというか、わたしの場合は縮んだといったほうが正しい。

「よくわからないけれど、あっちとこっちでは時間の流れが違うみたいなのよ」
「2年も待たされたがな」
「う、わっ!」

いつの間にか背後に、腕組みをして冥斗さんが立っていた。ぱっと顔を明るくさせて、少しだけ頬を染めたお母さんは軽く冥斗さんに頭を下げた。

「冥斗、ありがとう」
「ああ」

茶を淹れる、そう呟き冥斗さんはキッチンへと向かった。すれ違いざまに、わたしとお母さんの頭をくしゃりと撫でてから。
冥斗さんがキッチンへと消えたのを確認してから、わたしはこっそりとお母さんに尋ねた。

「あの人…えと、めい…とさん?って、誰?」
『冥斗、じゃ、ないの?』
「いや名前じゃなくて、その…ポジション?」

まあまあ座って、と言われ、テーブルを挟んでお母さんと向かい合わせに腰掛ける。いつもふたり分しかなかった椅子が、ここでは3つある。

「冥斗を見て、何か思わなかった?」
「…えーと、」

わたしの左目はお母さん譲りの青い色。日本人にはあり得ない色だからカラコンで隠してきた。右目も同様に。でも右目は、お母さんではない誰かの色。
誰か、というかそれはきっと、赤い目をした人。今現在、キッチンで、お茶を淹れてくれている人。

「冥斗さんって、わたしの、…お父、さん…?」
「呼んだか?」

湯気のたったマグカップを持った冥斗さんがひょこりとリビングに現れた。わたしのちょっとくすんだ黒髪も、もしかしたらお母さんの黒髪とお父さんの灰色の髪の両方がまざっているからかもしれない。そう考えると納得がいく。

同時に、どうしようもなく恥ずかしくなってきた。
わたし、さっき冥斗さんに抱きしめられてすごくどきどきしたけど…それって、お父さんに、どきどき、しちゃったって、こと、です、か……!!
カノコに飛ばされたところからやり直したいというかむしろ人生やり直したい!もういっそ母なる海に還りたいです。

『顔、赤い…?』
「……」

琳太の質問には答えず、ただ黙って頭を撫でた。それだけで満足したようで、琳太はわたしの膝の上で猫のように丸くなった。
俯いたわたしの前に、ことりとマグカップが置かれた。

「さて、どこから話そうか」

冥斗さ…お父さんが淹れてくれた紅茶は、今まで飲んできたもののと比べ物にならないくらい、美味しかった。お母さんも、久しぶりに飲む味に嬉しそう。
まずはこの世界のことを教えてもらう前に、どうやってここまでたどり着いたのかを話すように言われた。順を追って、なるべく簡単に経緯を説明する。学校からの帰り道、マンホールに吸い込まれたこと、洞窟に落ちて、そこで琳太と出会ったこと。それから人の助けを借りて、ポケモンセンターまで行ったこと。今度は鏡に吸い込まれて、気が付けばこの町のそばにいたこと。

「は?チャンピオンロード?」
「え、は、はい…」

素直に答えた結果が、お父さんの眉間のしわである。目が完全に据わっている。初めて遠目に見たときと同じくらい怖い。「あの野郎いっぺん送る」とかぶつぶつ言ってるけど何のことだろう。わたし何かまずいこと言ったかな?
お父さんの隣にいるお母さんも、心配そうな表情だ。余談だけどお父さんって言い慣れない。
はやく慣れていきたいな。

「チャンピオンロードがどんなところか、わかってる?」
「うん、イッシュ地方?だっけ、そこのバッジを全部集めたポケモントレーナーだけが入れる、らしいよ」
「らしい?」

泰奈と龍卉に会ったことを説明すると、2人ともすんなりと納得した上に、お母さんは「元気そうで何より」とまで言い出した。知り合いみたいだ。世の中って狭いな。

チャンピオンロードをどうやって抜けたのかを訊かれて、一瞬言葉に詰まった。
チャンピオンロードはポケモンなしで入るなんて自殺行為。ただでさえ危険な場所だと泰奈も言っていたし、その単語を出しただけで、ふたりはとても心配そうな顔になった。
…あの男のことを話すべきだろうか。しかしチャンピオンロードに放り込まれたというだけでお父さんのこの眉間のしわ、だ。話せばチャンピオンロードに殴り込みに行きかねない。いやほんと。

「まあ、適当に歩いて、琳太に会って、自転車こいで、泰奈に会ったの」

ものすごく簡略化した回答しか作れなかった。取り繕う嘘なんかつけない。わたしはそんなに器用じゃない。
泉雅さんのことを説明しなきゃ、と思っていたら、お父さんとお母さんは泉雅さんのことも知っていたらしい。本当に世界って狭いなぁ。
泉雅さんはお父さんとお母さんの昔からの知り合いで、凄いポケモン、らしい。それでわたしとお母さんをあっちからこっち、と往き来させたそうだ。
ひと通り話して、紅茶を飲む。さっきミックスオレを飲んだばかりなのに、話してばっかりで口の中がもう乾いている。冷めても美味しい。

「まあ…とりあえず帰ってこれて良かった」

今度は俺たちが話さないとな。そう呟いたお父さんの表情は、少しだけ悲しそうだった。

「俺もユウも、もちろんリサ、お前もこの世界の住人だ。ただ…とある事情があって、お前の安全のためには、別の世界へ飛ばしてしまうことが最善だった」

一体、どんな事情があったというのだろう。




back/しおりを挟む
- ナノ -