罪魁は誰‐06 

「え、何コレ…“キズぐすり”……?」

なんてそのまんまな名前なんだ。だいたい、どうして見覚えのないこんなものがわたしのバッグの中に。サブポケットは確認していなかったから、さっきは気づかなかった。

突っ込みたいところは山ほどあったが、わたしの手にしているものを見て、女の子がにっこり微笑んだ。そういえばまだ名前聞いてないや。彼女はこのキズぐすりという物体を知っているらしい。


「わわ、持ってたんですね!」
「…え、これ使えばいいの?」
『それ、かけて』
「あーはいはい。…って、いつの間に起きてたの!?」


いきなりモノズくんが喋ったので、危うく“キズぐすり”を取り落としそうになった。
冷や汗をたっぷりかいた手のひらで、つるりと滑ってしまいそうなそれを、しっかりと握る。ノズルを押せば使えそうだが、何せ初めて見るもので、仕様がわからない。今まで使ってきた制汗剤などとはまた使い方が違うかもしれない。


「えーと…どのくらい使えば…すみません、あの、……?」


使い方を尋ねようと、ふと顔をあげれば、彼女の表情は驚き一色に塗り替えられていた。


「わわ…そうは見え、見えませんでしたです!そんな気配はありません、でした…もしかすると、お、お母さまと同じなのですかね…」
「お母さま?」


わたしはちょこっとばかしオカルトな体験を現在進行形でしている凡人なので、あなたのお母さまは存じ上げません…。という返事は心の中にとどめておくとして、彼女はどうして驚いたのだろう。わたしとモノズくんのやり取りに、何か不審な点があったのだろうか。
わたしの怪訝な表情にハッとした彼女は、ふるふると首を横に振った。淡い、透き通るような若葉色の髪が、それに合わせて揺れる。くせっ毛なのに、それがうまいこと可愛く見えるのがうらやましい。わたしにとっては梅雨の時期のくせっ毛は大敵だから。


「…あ、いえ!ま、まずはモノズを回復させましょう?」
「回復、ですか?」
「そそそれを患部に吹き掛ければいいですよ…って……ご存知ないんですか?」
「すみません無知なものでして…」


誤魔化すように無理やり口を弧の字にひん曲げた。わたしの顔は今、貼り付けたような笑みを浮かべているに違いない。
地面にショルダーバッグを優しく降ろし、そこからモノズくんを抱きかかえて出してやった。若干のふらつきは見られるものの、しっかりと自分の足で立ってくれているので、安心した。


「…えーと、ここ?」
『多分……あ、そこ違う、』
「…こっちかな」
『ん、』


なんて言いながら治療していたら、きれいに“キズぐすり”を使いきってしまった。
驚いたことに、モノズくんの受けた傷は、スプレーを吹き掛ければみるみる完治してしまう。
モノズくんの生命力がすごいのか、このスプレーがすごいのか。さっきからありえないことだらけで驚いていて、もういっぱいいっぱいだって思っていたのに、驚いてしまった。


「よし終わり!」
「じゃあ、あの、ね、念のため、ポケモンセンターで診てもらいましょう!」
「うんそうだね?」


何も考えずに相づちを打とうとしたために、相づち半ばで彼女の言葉を噛み砕いた。
おかげで語尾が疑問形だ。


「さ、先ほどのご様子からして、やっぱりポケモンセンターもご存知ないんで、ですね…」

落ち込む様子の彼女に、あわてて否定の言葉を投げる。それもとっさに口をついて出た言葉で、中身もなければすぐさま訂正せざるを得ないようなものだった。


「い、いやわかるよ!……ごめんなさい嘘つきましたわかんないです」


ポケモンってあのポケモンだよね。うちはゲームなんて買う余裕がなかったから、ほとんど知らないんだけれど。みんながやっているのを横目で見たり、CMで流れていたりするくらいは知っている。でも、まさか。そんあことが、ゲームやアニメの世界に入ってしまうなんて、そんなことが、果たして本当にあるのだろうか。まだそうと決まったわけじゃないけれど、いよいよ自分が元いた場所とは全く違うところに居るのだと認めざるを得ない。


「むむむ…これは、ど、どういうことなのでしょうか……」


彼女はずっと何かが歯に詰まったような、複雑な表情をしている。
どうしよう、不審者扱いされて、警察に突き出すぞ!なんてことになったら。
というか、普通、彼女から見ればわたしは十分すぎるくらいに不審者なのだ。
自転車で洞窟から飛び出しておきながらここはどこ?と言っている制服を来た女。
客観的に考えてみたら笑えるくらいに滑稽な不審者だった。

ああここでもカツ丼はあるんだろうか。拷問とかあるのかな、痛いのはやだな。
まあそれはおいといて。


わたしが今一番優先したいのは、命の恩人であるモノズくんをゆっくり休ませること。もちろん、もとの世界に帰りたいって気持ちも、それと同じくらいに強いけれど、モノズくんを放っておくことなんてできない。
彼を休ませるためには、目の前の彼女の協力が必要だ。わたしはポケモンにそこまで詳しくないのであって…しかもここがどこかわからない、ときた。頼れるのは、彼女だけなのだ。


「…えーと、ポケモンセンターは病院、みたいな、もの、なのです。とととりあえずそこに行きましょう」
「お、お願い、します」


ついつい彼女の口調につられてか、どもりがちな受け答えになってしまった。
不審者の域を出ていないような気はするが、なんとか協力はしてもらえるみたい、だ。
とりあえず状況把握をしよう。場所とか、あとは、何を聞いたらいいかな。わたしも知っていることがもしかしたらあるかもしれない。意思疎通のための言葉が通じることを、これほど痛切にありがたく思ったのは、今日が初めてだった。

「…つかぬことをお伺いしますが、ここはどこですか?」
「チャンピオンロードです」

今までで一番淀みなく彼女は答えた。

「…ちなみに国的規模でいきますと、どのように……?」
「い、イッシュ地方の北方に位置します、よ」

「……」


なんてファンタジー。返す言葉すら出てこない。わたしは海外渡航経験ゼロだし、カタカナが付く場所の名前といったら自分が暮らしていたアパートくらいのものだ。だというのに、まったくわからない地名ばかりで、少しでも知っていることがあればいいのに、なんていうわたしの考えは、脆くも粉々に砕け散ったのだった。心の中を一陣の風が通り過ぎていって、あとには何も残らなかった。


「…あああの、これはワタシの憶測なのですが…」

今度は彼女が遠慮がちに口を開いた。そこで上目遣いをするのは反則だと思う。
こんな状況にもかかわらず、きゅんとしちゃったじゃないか。


「この世界の方では…ない、ですよ、ね?」
「…おう、ビンゴ」


現実からひたすら逃げたくて、バカバカしいような返答になった。こんなことしても、何の解決にもならないっていうのに。変なところであがきたくなってしまう。
再び身体中から冷や汗が吹き出てきた。

…もう何なの。わたしの誕生日返して。誰も異世界に飛ばして、なんて頼んでない。
それも、わりと知っているようであまり知らない世界に、ひとりぼっち。


「詳しい話も訊きたいところですが…えと、まず、お、お名前は?」
「…はい。あの、わたしリサっていうんですけど…」


とりあえず自己紹介だけはしておこう。
確か、ポケモンの世界だとだと名前しかいらなかった、気がする。それくらいならなんとなく、知っている。


「リサさんですね?……わわっ、申し遅れました、ワタシは泰奈といいますっ!」
「たいなさん、」
「あ、いやっ、呼び捨てで気軽に呼んでくださいっ!ワタシの敬語はその…その、ひょ、標準装備なのでっ」
「…わかった!よろしくね、泰奈」


まあ敬語が口癖、みたいなものなのだろう。本人もあまり気にしていないようだし、わりかし歳も近そう。
どちらかというとわたしの方が歳上かも。


「はいっ。…あの、ワタシ…リサさんの言ったこと、しし信じますからっ」


真剣な目で断言してくれた泰奈。
さっき出会ったばかりのわたしを、こんなにも信頼してくれて。どうしてこんなに、まっすぐな瞳で、わたしのことを信じると言ってくれるのだろう。何か裏があるのでは、とすら思わせないくらいにひたむきさが伝わってきて、胸が震えた。今、口を開けてしまえば、きっと変な声が出てしまう。涙も一緒に、出てしまう。ぐっとこらえて、たくさんの温かい気持ちを目一杯こめて、うなずいた。

ありがとう。この世界でできた、初めてのお友達。ありがとう。




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