罪魁は誰‐05 

「嘘だああ!!」

出口だと思って、明るい方へ全速力で自転車を漕いでいたのだが。出た!と思えばそこは空と同じ高さだった。
あ、鳥さん飛んでる、とか思ってる場合じゃない。嫌な汗が身体中から吹き出た。

断崖絶壁を、真っ逆さまに伝っていく自転車。ぐんぐん加速していく。こうなれば、もはやほぼ落下しているようなものだ。内臓だけが一歩置いていかれるような浮遊感がして、寒くもないのに背筋が凍る。ジェットコースターの類は好きじゃないというのに、今の状況はそれよりも酷い。安全装置がないどころか、これは無傷では済まないに違いない。
もう、わたしの力ではどうにも止まらないのだ。

それでもあがこうとしたのは、肩に食い込むショルダーバッグの重みと確かなぬくもりがあったから。必死にバランスをとりながら、右手でモノズくん入りショルダーバッグを抱える。来るべき衝撃をなるべく軽減させるように彼を庇っているため、十分なブレーキがきかない。というかブレーキもういらない気がした。

ふと前方を見れば、少女らしき人がひとり、ゆっくりと歩いていた。わたしの目指す、崖が一段落した少し平らな所を、のんびりと。人間がいたことはいい。その人が危険な思考の持ち主でなければ、尚良い。その人の髪の毛が緑色だとか、気にしている場合ではない。

しかし、問題があった。わたしの進行方向にいるということは、彼女は間違いなく巻き込まれてしまう。名も知らぬ他人を巻き添えにしてしまうのは、いくら何でも申し訳ない。
マンホールに吸い込まれて以来、いや、今まで生きてきた中で、一番大きくただひたすらに叫んだ。

「そこのあなたあああ避けてえええ!」

「ほわ?……わわわ!?」

その人もわたしの叫び声で漸く事態を理解し、こちらを向いた。それまで全く気付いていなかったらしい。少女のふわふわとした声が焦りの色をにじませつつ聞こえてきたが、時既に遅し。


その人がぎゅっと目を閉じ、反射的に両手を前につき出すのが見えたが、直後に自分も衝撃に備えて目を閉じたため、状況は全くわからなくなった。



「………ん、え?」

微かに腕の中のモノズくんが寝返りをうつ感触がして、ゆっくりと目を開けた。少し視界が歪んでいるのは、涙のせいだ。あと、コンタクトが少しずれたのかも。ぱちぱちと数回瞬きを繰り返せば、幾分か視界がクリアになった。うん、やっぱりコンタクトがずれていたせいもあったみたい。

「……え!?」

目を開けても、衝撃は来なかった。それどころか、両手を自転車から離してモノズくん入りショルダーバッグを抱きしめているというのに、バランスを崩さずちゃんと地面から垂直な視界が保たれている。ちなみに両足は地面についていない。
緑の彼女は、未だに目を閉じたまま、両手をつき出した格好でいる。
唯一、変わったことといえば、自分が浮いていること、くらい。

「いやいや有り得ないってこんなこと」

くらい、なんて言葉では済まされない。間抜けな自分にツッコミを入れる。もちろんわたしは羽ばたいてもないし、相棒にジェット噴射機が搭載されているわけでもない。頭に取り付けるプロペラも持ってないし、超能力者でもない。足をぷらぷらさせること3往復。一向に私の足が地面につく気配はない。妙な安定感で、これはこれで、と思ってしまう自分がいた。

正常な理性が漸く帰ってきた。
つまり「驚き」という感情が帰ってきたのである。

「えええええ!?」

すると、目の前の緑の人がぱちっ、と目を開いた。わたしの声が聞こえなかったはずがない。
綺麗な明るい茶色、胡桃色、というのだろうか。そんな色をした瞳の、全体的にふんわりとした雰囲気を持つ女の子だった。

「あ、わわわ、すみません!今降ろしますから…!」

おろす?
女の子がつきだしていた手をゆっくりと地面に向けると、自転車ごとわたしの身体はしっかり地に着いた。着地。地面を久方ぶりだと感じるのも変だが、そうとしか言いようのない感情に包まれた。

わたしの身体が宙ぶらりんだったのは、彼女が原因らしい。おかげで互いに命拾いした。本当に彼女がやったのか。原理はよくわからないけれど。誰かさんは口からビームを出すくらいだし、この世界ではさほど不思議なことではないのかもしれない。

女の子はわたしを降ろすなり、心配そうに駆け寄ってきた。ふわふわの淡い緑色の髪が、彼女の動きに合わせて跳ねる。うるうると潤んだその瞳を見ているだけで、何故か言い知れない罪悪感に駆られた。
無性にごめんなさい。
そんなことをわたしが思っているとは露知らず、彼女は眉をハの字に下げて、口を開いた。

「だだだ大丈夫ですか、お怪我とか、な、ないですか?」

…いやいや、こっちが訊きたい。
その言葉を飲み込み、黙ってうなずいた。彼女の口からは、ほっと安堵のため息が漏れた。
命拾いして本当に安心したけれど、何より安心したのは、人がいたこと。言葉が通じたこと。話の通じる人に、会えたこと。

「大丈夫です。…え、と、ありがとうございました」

「い、いえ!これくらい、何でもないのですっ!お怪我がなくて良かったですー」

屈託なく笑う彼女はとてもいい人だと思った。そこでふと、腕の中の存在を思い出す。

「あ、助けてもらったところ悪いんですが…」

そう言って、ショルダーバッグのモノズくんを彼女に見せた。


「あ、モノズですね」
「あ、やっぱりそうなんだ」

モノズ、で名前は合っているらしい。犬や猫、といったくくりの名前なのだろう。
女の子はこの子と知り合い、という素振りを見せないから。

「この子に洞窟で助けてもらったんですけど…疲れちゃったみたいで少し、けがもしていて…」
「ああ、ほんとですね。ちょこっと怪我してます…。わわわ、どど、どうしよう、ワタシ何にも持ってない…」

初対面で、しかも轢き殺しそうになったというのに、なんてこの人は親切なんだろう。
そしてなんてよくどもるんだろう。

「え、大丈夫ですよ、絆創膏くらいならありますからっ」

確かショルダーバッグのサブポケットに入っていた、はず。常備薬であるバファリンと一緒に。ごそごそとそこを漁ると、見慣れないスプレーのようなものが出てきた。
まったく、次から次へと見慣れないものが出てくるものだ。今度はわたしの鞄から。一体何だというのだ。




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