罪魁は誰‐03 

くつくつと笑いながら、男はダン!とわたしの頭のすぐ横の岩壁に片手をつく。もう逃げ場はない。パラパラと細かい岩の破片が飛び散り、顔にかかる。

互いの息がかかるほどに近い距離まで追い詰められてしまった。
薄暗い洞窟の中で、ちろり、八重歯の間から覗く彼の赤い舌は何よりも鮮やかだった。血のように赤く、本能的な恐怖を喚起させる動き。
そして、愉悦に歪んだ心無い笑み。
何もかもがただひたすらに怖くて、ただもうぎゅっと瞳を閉じることしかできなかった。これから何をされるのか、どうなってしまうのかなんて考えたくなくて、どうしてこんなことに、それだけが頭の中でぐるぐると渦巻いていた。

「もっと怯えた顔見せてみいや?…ほら、」

「……ッ」

つうっ、と首筋を彼の指先が撫でる。尖った爪が触れるか触れないかのギリギリのラインを辿る。背筋が粟立ち反射的に身を捩った。爪が食い込んでしまうかもしれない恐怖よりも、反射が優ってしまったのだ。けれど、痛みはなかった。男は首から手を離していたようだ。

くつり、くつり、反応がお気に召したのか、男は笑ってわざとらしく丁寧に、今度は閉じた瞼を撫でてくる。

「エエ顔してはるけど…もっと、怯えさせてみたいわぁ…」

「……ッ!」

目を開けば、バチリ、と再び強烈なマゼンタに絡めとられる。底冷えのする瞳に、これ以上ないくらいの鳥肌が立った。向けられたことがない感情だけれど、そうか、これが殺気というものか。あるいは、それに似た何か。嗜虐、加虐、愉悦。およそ今まで生きてきた中では縁のない感情で、自分が抱くことも相手に向けられることも、この先ほとんどないと見て間違いないであろう感情。それを、真っ向から突き付けられている。

「なに、するんですか…?」

無駄だとわかっていながらも、時間稼ぎをしてしまう自分がいた。何か、誰か、助けて…!
男は愉しげな笑みを浮かべつつ、わたしの言葉を何度か反芻している。形の良い唇は、動いているのに作り物にしか見えなかった。淡い色の髪に覆われた輪郭も、同じ色の長い睫も、何もかも。

「一生癒えない傷いうのをつけてやろう思てなあ…」

少し熱に浮かされたようにつぶやかれたそれは、とても物騒な言葉ではあったが、そこで初めて、無感情だと思っていた彼の瞳の中に、微かに感情を見いだした。つい、言葉が漏れる。

「…苦しい、の…?」

「……」

男は瞠目したのち目を細めた。
ああ、また彼の綺麗な顔が綺麗に綺麗に歪んだ。

「黙って怯えとれば可愛いんに。アンタ可愛くないわあ…」

地雷を踏んだらしい。ああもうわたしのばか。助けを呼びたいのに悲鳴は出なくて、そのくせ余計なことを言って怒らせてしまった。

「やっぱり…オイトマしてもらいましょか、」

低い声で吐き捨てるように呟いた男が、壁についていない方の手を振り上げた。

『しゃがんで!』

反射的にわたしが膝を折ったのと、チッという舌打ちが聞こえたのは、ほぼ同時だった。言葉通りに動けたのは奇跡に近い。ただ恐怖で膝が笑って足の力が抜けてしまっただけかもしれないし、本能だったのかもしれない。結果としては正解だったのだから、もうどちらでも構わない。

青白い閃光が迸り、わたしの頭上を駆け抜けた。背後から爆発音がして、一瞬遅れてからまばゆい日の光が鋭くさし込む。
ビームのようなものが、洞窟の壁を突き抜けたらしい。

呆けていると、土埃舞う中で、ぐい、と手首を強く掴まれた。それは助け起こしてくれる救いの手なんかじゃなくて、ひたすらに冷たく重たい枷のような言葉だった。

「…次に会うたら、」

いつの間にこんなに近くにいたのだろう。
モノズくんの攻撃を避けたらしい男が、耳元でそう言い捨て、再び土埃の中へと消えていった。言葉の続きを言わないままに。

やがて土埃がおさまると、頭上にわたしが引き摺りこまれたマンホールくらいの大きさの穴がポッカリと空いていた。

モノズくんが発射したらしいビームは破壊力抜群のようだ。おかげで助かったけど、ちょっとやりすぎなんじゃないかとも思った。彼の小さな身体から、一体どれだけのエネルギー量が…いや、考えるのはよそう。ここでは何が起きてもおかしくないと、モノズくんに出会った時点でいい加減悟るべきだったのだから。

「…モノズくん、大丈夫?」

ふらふらとした足取りで、こちらに歩いてきたモノズくん。殴られ、ふき飛ばされたダメージが尾を引いているらしい。
擦り寄ってきて、ぺたんと座り込んでいるわたしの膝の上に頭をこてっ、と置き、ずるずると倒れ込んでしまった。モノズくんの温もりと重さが、ゆっくりと伝わってくる。
いたわるべくその命の恩人の頭を優しく撫でた。

「ありがとう」

『…ん』

頭のふさふさがなんとも気持ち良い。アホ毛のようなものを優しく撫でると、嬉しそうに低く喉を鳴らしている。あまりに可愛いので、しばらくの間、撫でることに没頭してしまっていた。
唐突に、モノズくんが口を開く。

『ついていく』

「わたしに?いいの?」

わたしとしては、願ったり叶ったりのボディーガードだ。…今はぐったりしてるからなんとも言えないんだけれども。
返事が聞こえないなと思っていたら、いつの間にやら、モノズくんは穏やかな寝息を立てて眠っているようだった。



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