罪魁は誰‐02 

倒れた自転車を再び起こす。正確にはよつあしくんに倒された、だけれど。
やはり外傷なし。

「ありがとね。えっと…わたし、リサっていうんだ」

よつあしくんの目線に合わせようとしゃがみこんで、お礼を言う。
嬉しそうに、尻尾が左右に揺れた。よく見ると口が弧を描いている。喜んで笑っているみたいだ。やっぱり可愛い。と、「かもしれない」が取れた瞬間だった。自己紹介をすると、驚いたことに返事が返ってきた。

『…ん、…モノズ……?』
「何で疑問形なの」
『んー……』

首を捻られても、わたしのもわからないよ。仕方がないので話題を変えることにした。声質からしてまだ幼い男の子のようだった。オスだと仮定することに。ついでに名前も、よつあしくんからモノズくんへと変更することにした。

「モノズくんは、ここに住んでるの?」

少し間があってから、首が縦に振られる。尻尾がひょこひょこ。だんだんと子の生物が子犬みたいに思えてきた。青い体色はかなり不自然だけれど、それも許容範囲だと思えるくらいには。

「うわー持ち帰りたい。可愛いなあ…」

思わず口をついて出た言葉だったが、それを聞いたモノズくんは、ピタリ、と一切動かなくなった。ちょうどゼンマイの切れたオモチャのように、ピッタリと。
口は半開き、尻尾は中途半端な位置。首も微妙な角度。

「…え、え?大丈夫?え、何かわたし、変なこと言っちゃった?」

その瞬間、過去最高に首が横に振られた。ついでに尻尾も。千切れんばかりに、ブンブンと振られているそれらがどこかへ飛んでいきはしないかと、少々心配になった。しかし、これはどうしたものかと反応に困る。何か、モノズくんにそこまで激しい反応をさせるような何かを、わたしはしたのだろうか。心当たりがない。

しかも、ものすごく嬉しそう。
この短時間でわかったこと。それは、モノズくんの尻尾は、嬉しいと大きく揺れる、ということ。逆に言えば、それしか収穫がない。

さて、一体全体、何が原因なのだろう。さっきの言葉だろうか。
考えあぐねている間にも、モノズくんはスキップしそうなくらいに縦に横に揺れている。わたしがさっき言った言葉の中で、彼がこの反応を示す直前に言ったものと言えば。

「……もしかして、持ち帰りたい、が嬉しかったの?」

こくり、とうなずいたモノズくんに、なんだか心がじんわりと暖かくなった。少なくとも、彼はわたしのことを受け入れてくれたようだ。それが嬉しくてたまらない。わたしにも尻尾があったら、モノズくんみたいにゆらゆらと振られていることだろう。

ふと、モノズくんが洞窟の天井を仰いだ。
つられて仰ぐも、ごつごつした岩肌が見えるだけの天井。なんら異変はない。

『…聴こえる』
「え?……あ、」

本当だ。どこからか、不思議な旋律が聴こえてくる。
洞窟に反響し、物悲しく響き渡るそれを、わたしはただ呆然と聴いていた。

綺麗なのに、どこか切ない…ううん、切ない、というよりは悲しみの方がしっくりくるかも。
そんな、少し冷たくて薄暗い音色。聴けば聴くほど、その悲しみに触れたくなる。その一方で、遠ざけるような響きも含んでいる。

「いったい誰が…」

モノズくんは、微動だにせず音色に聞き入っているようだった。
ふと、音色がじわりじわりとこちらへ向かってきていることに気づく。

ゆったりした音色は時折、奏者が音を弄ぶかのように激しさを垣間見せている。

『……!』

モノズくんが後退りした音で、我にかえった。警戒心を剥き出しに、低く唸っている。
音が近づくにつれて、だんだんとモノズくんが後退りをした意味が、なんとなく、わかってきた。

怖い。この音色は、怖い。
引きずり出し誘い込み襲いかかるような、そんな狂気が見え隠れている。はじめはそんなことなかったのに。いつのまに、こんなに激しく鋭い曲調になっていたのだろう。

「…!」

不意に、音色がピタリと止んだ。
洞窟に反響していた音までもが消え、再び水の滴る音だけが支配する世界が訪れた。

モノズくんは今やわたしの目の前まで後退りしていて、全身の体毛を逆立てていた。
何かを待ちうけるようなそれに、自然とわたしも警戒心がよみがえる。彼が威嚇しているの者の正体とは、一体…。


静寂はそう長く続かなかった。一人分の足音と、それから声がした。

「なんや、人間かいなぁ…ちーさい女の子やないの」

嫌みを通り越し、ぞっとするほどの猫なで声。背筋が粟立ち、いやな汗が頬を伝う。こつり、こつり、と革靴を鳴らしながら、笛の音の主は姿を現した。
腰帯に笛をスッと仕舞い、彼が顔を上げる。

恐ろしいほどに美しく整った顔立ち。
切れ長の目に絡めとられた瞬間を、わたしは決して忘れないだろう。
伏せ目がちだったそこに嵌め込まれた、暖かい感情など欠片もなく絶望に染まるリコリス色の瞳。色に反してそれは、凍えるような光をたたえていた。

「そんなに笛の音、良かったん?」

モノズくんの唸り声が大きくなった。
それを一瞥して、くつり、と綺麗に口だけを歪めて笑う男。その動作ですら絵になるほどだというのに、恐ろしく冷たい。

男がおくれ毛を指先で払いのけたのが引き金だった。モノズくんが牙を剥き、男へと飛び掛かったのだ。

『…逃げて……!』
「え、」
「なんや…邪魔やでガキ」

男が手をひとふりしただけで、モノズくんは殴り飛ばされ岩壁へと激突した。ぼてり、と力なく地面に倒れる。小さくうめいたモノズくんは、それっきり動かなくなってしまった。突然のことに手で口を覆うのは、無意識下での行動だった。悲鳴は出なかった。

「………!」
「アンタの手持ちはソレだけなん?よほどウチに遊んで欲しかったみたいやなあ」

モノズくんに見向きもせず、彼は再び顔に笑顔を貼り付けたままこちらを向く。目はちっとも笑ってない。モノズくんの方に駆け寄りたいのに、足は動いてくれない。いつの間にか、逃げられない距離まで男は近づいていた。

…狂ってる。

一歩、また一歩。後退りすればするほど、ゆっくりと男に追い詰めらていく。
気づけば、後ろにはもう岩壁しかなくて。背中の固い感触は、絶望の証だった。




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