罪魁は誰‐01 

「あだっ!?」

でこぼこの地面に突如放り出され、意識を取り戻すと同時に、顔面からべしゃりと着地した。泥のような感じはしなかたので、それだけが不幸中の幸いと言えた。

「あいたたた…」

幸い、ひどく痛むところなどはなく、かすり傷程度で済んだ。良かった良かった。
こんな心配するようなことが起きなかったらもっと良かったとか、思っちゃいけないけど思ってしまう。立ち上がって制服についた細かい砂粒をはらう。

辺りを見渡した。薄暗くて岩だらけ、が第一印象。備考、特になし。口の中が異様に乾いている。

「…マンホールの底って、こんなんだったんだ!」

こんなんだったんだ!こんなんだったんだ…こんなんだっ………

わざとらしく明るめに発した言葉は、虚しくエコーしてどこかへ消えていった。思ったよりも大きな声が出て、自分の声なのに自分で驚いた。
わたし、何やってるんだろう。現実逃避もそこそこに、ため息をついた。

わかってる。わかってるんだ。マンホールの底にこんな洞窟なんかないって、ちゃんと、わかってるんだ。わかりたくない自分がいるだけ。認めてしまうと何かを失ってしまうような気がするから、そうするのが怖いだけ。立ち上がって早々に、その場に座り込みたくなった。身体中から力が抜けて、無性に泣きたい気分だ。どうしてこんなことに。
怖い、と思ってしまったとたんにひとりぼっちが身に染みた。

「…あ、」

どこかに出口らしきものはないかとキョロキョロしていると、ふと、視界に見馴れた青が入ってきた。
泥まみれの自転車が無惨な状態をさらしている。わたしより酷い。

状況はともかく、まだ自分の知っているものがあることに安心して、自転車へと駆け寄った。

自転車が見えるようになったのは、暗闇に目が慣れてきたからかもしれない。
見た目がひどく汚れている割には、キーはささったままだしライトも点いている。オートライトなのだ。乗るにも不自由なさそうだ。
寝ているそれを起こして軽くサドルの土を払う。うん、さすが我が相棒。高校に入って2年間連れ添っただけのことはあって、わたしと同じくらい丈夫だ。

ぴちゃっ。


「……お、水?」


心にわずかながら余裕が生まれたことにより、自分の周囲にまで気を配れるようになった、のかな。
始めよりも随分と視界がいいというのもあるかもしれない。
何だっけ、明るい所から暗い所に入るとだんだんモノが見えるように、とかいうやつ。…ああそうそう。暗順応、だ。ちなみに夜目は人並み以上に利く方らしい。目立つほどの特技ではないけれど、ひそかなわたしの自慢だったりする。ってそれは今どうでもいいのだ。もっと肝心な考えるべきことは、たくさんある。

水、きれいかな。もし水がきれいなら、自転車のサドルとハンドル、あとは手。
それくらいは洗いたい。できれば顔も。

薄暗く不気味な洞窟を、水音を頼りに進む。光源が見当たらないのにほんのり明るいのは、わたしの知らない少し離れた場所に、出口でもあるということだろうか。

時折カサコソとかがらがらとか聞こえるけど、きっと気のせい。そう自分に言い聞かせて、自転車のタイヤのカラカラという僅かな音に、耳を集中させた。

狭くごつごつした道を、自転車を押しながら歩いていけば、急に開けた場所に出た。

「……わ」

こんなにきれいな湖、生まれて初めて見た。
呆然としたわたしをハッとさせるかのように、再び雫が音を立てた。我に返って、相棒を水辺に寄せて、しゃがみこむ。波は穏やかで底の方まで透き通っている。
それこそ魚たちが悠々と泳いでいるのがはっきりと見えるくらいに。魚影は比較的大きいけれど、飛び出してくる気配はない。大人しい質なのだろうか。

それに安心して、そっと手を浸す。ひんやりしていてとても気持ちいい。
これくらいきれいなら大丈夫、と判断して、顔を洗った。

「タオル、タオル…」

ショルダーバッグからタオルを取りだそうと、後ろを向いた。
突如、ガタン!と大きな音が響いて、ビクッと肩が跳ねた。あまりに驚いて、うまく声が出ない。
近くで待機していた相棒が倒れる音だと気づくのに、大した時間はかからなかった。足場が悪かったかなあ。顔を拭き、タオルは首にかけ、急いで音のする方向へ。

「………」

駆け寄ろうとして、やめた。逆に、身体が勝手に2、3歩後退る。自転車はバランスを崩して勝手に倒れたわけではなかった。倒された、らしい。
自分のものではない、何かの軽い足音がして、確信した。自転車の横に、何かいる。
小型犬くらいの大きさの、四つ足の青い、何か。青色という時点で普通の生物ではないことが嫌でもわかってしまって、また涙が溢れそうになった。

顔は黒くてふさふさしたもので覆われていて、目が見えない。コウモリのように退化してしまっているのだろうか。頭にアホ毛みたいなツノみたいな突起物がある。

その生き物がこちらに気づいたらしく、首をひねって顔を向けた。
自分の顔の表情筋がひきつっていくのが、よくわかる。

かぱっとソイツの口が開かれる。ズラリと並ぶ、小さいながらも鋭そうな牙。

「…おいしく、ないよ?」

しかし、あろうことかソイツはこちらへと照準を合わせたのであった。

「ひいッ?!」

喉から絞り出すような乾いた悲鳴が漏れた。さらに後退りたいところだが、背後は水。
背水の陣ってこのことだよね…ってそんなこと言ってる場合じゃない!

何あの奇っ怪な生き物!どう見てもモンスターでしょ怪獣でしょ!


追い詰めるようにゆっくりじりじり歩み寄ってくるように見えるソイツ。
いっそ一思いにやってほしい。わざとなのかもともとなのか、ゆっくりと歩み寄ってくるその生き物は、迷いなく自分の元へと向かっている。

もはや自分の心臓の音しか耳に入らない。

「…た、食べない、で…!」

わたしとしては恐怖が原因で、ほぼ無意識に口走った言葉だった。
けれど、よつあしくん(たった今命名)は反応した。

首を、縦に振ったのだ。

「…え、え!?わたしのこと、襲わない?」

まぐれかもしれないと思いつつも再び話しかければ、またもや首が縦に揺れる。
いやちょっと待て。ただ単に声に反応した反射的な動きかもしれないぞ。油断ならぬ。恐怖に押しつぶされそうになりながらも、いやに冷静な頭がしつこく警告を促す。それに従っておいて損はないはず。

「わたしを食べたいと、思う?」

すると今度は首が横に振られた。ヒトの言葉がわかるらしいこの不思議な生き物。
鋭そうな牙もあるし、怖い印象ではあったのだが、言語が理解してもらえるというそれだけで親近感が沸いてくる。
襲わない、という答えをもらったことによる安心感もある。
よくよく見ると可愛いかも…なんて思ってしまうほどだ。
そのふさふさした黒い毛とか。せわしなく動く、ぴょこっと飛び出た尻尾とか。けっこう愛らしいという部類に入るかもしれない。

「そ、その自転車、わたしのなんだ。ちょっと近づいてもいいかな?」

よつあしくんはうなずいて、少しだけ自転車から離れた。その場にちょこんと腰を下ろし、わたしの様子を伺っている。




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