15.
一日が、とてつもなく長く感じる。
アタシは文字通り、死んでいた。
「おーいnameさん、大丈夫ー?」
『ん―……、』
「どしたの急に?ついこの間までは、帰り際にガッツリ焼きそば間食してたくらいなのに。お昼食べなよ、そんなんじゃ午後の仕事手に付かないよ?」
『む〜ん……、』
隣の席で、空の紙パックを弄んでいる同期の子に心配されるも。
アタシは机に突っ伏したまま、生返事しか返せない。
「あー、さてはnameさんもしかして、今日はアレの日ですか〜?」
『んー……アレって…?』
「生理なんですかーって。そんなあからさまに気力なくして。」
『っ!!』
だが途端耳に入った一言に、アタシはぐわんっと勢いよく顔を振り上げ強調する。
―「生理だろう?せ、い、り。」―
『せっ…!生理じゃ、ないから!!』
「……そ、そう?ならいいですけど…、」
『はぁ〜……。』
そうして再び、今度は片腕を枕にして机上に沈む。
アタシは完全に、海の藻屑と化していた。
(終わったんだな、イタチとの恋人ごっこも……。)
アタシは馬鹿だ。大馬鹿だ。
滅多にワガママなんて言わないイタチが、せっかくその一つをアタシに託してくれたというのに。
そんな思考の中、チッチッチッと規則的な音をたてる左腕に、アタシの視線が引き寄せられる。
―「nameも立派な社会人だし、こういったものも後々必要になるだろう?」―
それは慌ただしい起床時間、朝食よりも化粧よりも。
まず何よりも優先して腕に付けるのが、一つの日課になっていた。
(わからないよ、イタチ……。)
アタシは依然突っ伏したまま、その腕時計に右手を当て。
そうして確認するように、何度も指を滑らせた。
(アタシ馬鹿だから、わかんないよ……イタチが本当はどうしたいのか。アタシとどう向き合おうとしてくれてるのか……。)
大切にされてるのは、わかってる。
イタチがアタシを裏切らないってことも、わかってるんだ。
それなのに、こんなに胸が不安でヤキモキするのは……彼の本心が、どこにあるのかわからないから。
―『アタシは暴力に集中してるイタチより、誰にでも良くしてあげられるようなイタチがいい。』―
―――アタシが笑えと言えば、笑うイタチ。
―『やめて、イタチっ!!!』―
―――アタシが嫌だと言えば、それをしないイタチ。
以前はむしろ、アタシがイタチに命令される立場だったのに。
―「お前がそうなった原因は何だと聞いてるんだ。」―
―「あまりうろちょろするな。オレが守れる範囲にいろ。」―
―「次また危ないことをしたら、承知しない。」―
それが、一体いつからだろう。
いつの間に、アタシたちはこんな関係になってしまったんだろう。
―「だからもう、おしまいにしよう。nameがそれを望むなら。」―
何だかアタシがイタチの人格を、如何様にでも操作できる気がして。
「あちゃ〜、nameさんこの粗利計算ぜーんぶ間違ってるよ?こりゃイチからやり直しだね……。」
しかも大した能力もカリスマ性もない、アタシみたいな凡人が、だ。
「何かお悩みなら、いつでも相談乗りますからねー?」
『……うん、そうだね。でも大丈夫、ごめん……。』
でもやっぱりこんなこと、赤の他人になんて話せっこない。
それでも普段なら、唯一の相談役であるイタチに頼ることで、何だって解決することができたんだ。
(後先考えもしないで……ほんとに馬鹿だな、アタシ……。)
そんな彼との間に一度問題を引き起こしてしまった以上。
尚更アタシがこの悩みを、誰に打ち明けられるわけもなかった。
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そんな憂鬱が、早くも三日目に突入する。
「おはようname。」
『……お、おはようイタチ…、』
マンション一階の、正面玄関。
アタシのぎこちない挨拶にも、その顔をふわりと緩ませて笑うだけのイタチ。
―――彼はこの三日間、“外の世界”で会ういつもの顔を。
監視役としての顔を、忠実に再現していた。
「今日は……」
『ん、なに…?』
「随分としっかりしたものを身に着けているな。」
『!え、あぁ、そうかな……?』
「化粧もいつもよりマメなようだし。」
『えーっと……そうだ、今日ちょっと帰り遅くなりそうなの。だからごめん、イタチは先に帰ってて?』
「やっぱり何かあるのか。何の用事だ、職場の付き合いか何かか?」
『いやー、まぁそこは、ね……。』
そうイタチから鋭く突っ込まれるも、アタシは何とか曖昧に回避しては身をよじった。
(……でもやっぱり、窮屈なんだよなぁ…。)
だが実際、彼の観察眼は正しい。
何故なら今のアタシを構成するものは全て、例の伯父さんによって見繕ってもらったものばかりだ。
(あいたたた、ウエストきっつ……!)
お偉いさんの接待を任されるときは、これがアタシのデフォとなるわけだが。
また先月も買ってもらったブランドのバッグに某メーカーのスーツは、汚しちゃいけないみたいで使いづらい。
近頃は滅多に履かない10センチ強のハイヒールも、履かないわけにはいかなくて。
……アタシという人の値段は、まるでそれらの合計値きっかりの価値しかないみたいだ。
(大体中身が伴ってないのに、外見だけこうデキる女って風に装うの嫌なんだよなぁ……とも言えるわけないし…。)
「name。」
『……え、あぁ!うんごめん、今乗る!』
そうして転げるように、慌てて助手席に飛び乗ったアタシ。
だが車が発進すれば、イタチは真っ先にそれを聞いてくる。
「確かオレの連絡先なら、随分前に教えたはずだが……確認するか?」
『え、あ、大丈夫。ちゃんと入ってるよ……?』
「そうか、なら何かあったらすぐに連絡してくれ。」
『え…いやいや大丈夫!帰りの時間がいつになるか分かんないし、イタチに連絡とってまで来てもらうのも悪いと思って、』
「いいからそうしてくれ。さほど遠い場所でもないんだろう?」
『いやいやいや、ホントにいいから!アタシなら電車使って帰れるし、ね…?』
「わかった。じゃあオレもその時分には迎えに行って電車で帰る。」
『いやいやいやいや!それじゃあ意味ない意味ない!い、イタチだって仕事があるでしょ?アタシみたいな庶民のくだらない事情に、イタチが振り回される必要ないって、』
プルルル、プルルル、
『あ!ごめん、ちょっと電話、』
なかなか終点の見えない会話を遮り、アタシはブランドの慣れないバックからそれを探り出した。
こんな朝早くから誰だろう……と、アタシがその着信画面を見れば。
『…………。』
……ポチッ、
一応、念のため。アタシはその通話ボタンを押してみる。
『……イタ〜チ…?め、目の前にいるなら電話じゃなくって直接話してよ…。』
「あぁわかってる。着信履歴、一番上にしといたからな。」
『え……?』
通話口と真正面からの声が被った。
だが目の前の彼は、それだけ済めばポチッと通話を終了させる。
プーップーッ…と、耳に当てた携帯が、無機質な音をたて始めた中。
次にはイタチがスマホ片手に、もう片方をアタシのほうまで伸ばしてきた。
『!!や、…っ!!』
そんな彼を前にして、一瞬にして気が張り詰めり。
アタシはグッと、背もたれに身を縮込ませれば固まった。
だがそんなことなどお構いなしで、イタチはアタシの頭をくしゃりと撫でる。
「……な?絶対だぞ、name。」
―「これでずっと一緒にいられるな、name……。」―
『……!』
何故かいつかの光景が蘇り、鮮明に今と重なる。
『……こ、子供じゃないん、だから…。』
「ふふっ、そうだな。一回言えばわかるよな。」
『い、いや!だからって連絡するとは、』
ププー!
だがそこで、後続車からクラクションを鳴らされてしまい。
今一度ぽんぽんっとアタシの頭を撫でたイタチは、そのままアタシの職場へと車を走らせた。
結局は同じ穴のむじな、「name。さっきから随分面白い顔をしてるみたいだが、」
『だ……!!だってロマンだからねイタチ!!“アーン”が男のロマンなら、これは女のロ・マ・ン!!』
「は…?」
(あ〜もう、気持ちは不安でいっぱいなのに……あ、頭ポンポンなんて反則すぎるぅ……!!)
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