32.
―「nameのスカート姿が見たい。」―
そう頑なに意見を曲げようとしない相手は、本当にアタシの知っているイタチ兄さんなのか。
『……アタシってば、何でイタチ兄さんにチョイスされた姿で町にくり出してるんだろう………。』
「久しぶりに会ったんだ。たまのワガママくらい、聞いてもらわないとな。」
上機嫌なイタチ兄さんの隣を歩くアタシは、早くもドッと疲れをもよおした。
ていうかこのスカート……何か必要以上にヒラヒラしてるんですけど!
布地だって薄いし、何か透けてるし!
「やっぱり似合うな、スカート。」
そう言えば、イタチ兄さんはごくごく自然にスカートの生地を手に取った。
少しめくれたスカートのせいで、太ももに触れる空気がこそばゆい……ていうか悪気はないんだろうけど、ちょっとどうなのこの行動!
『……イタチ兄さん、手。』
「…ん?どうした、繋ぎたいのか?」
『ち・が・うっ!スカートの手、放してってば!』
「ん……あぁ、そうか。すまないな。」
ふぁさり、
その手がなめらかな調子で離れてスカートは無事落ち着いたが……うん。早くも道行く人の視線がイタい。
『あの、イタチ兄さん……よく町にいるよね、その…公共の場でイチャついてる若いカップルって。あれって周りはすご〜く目のやり場に困ると思わない?』
「どうした急に。前髪かかってるぞ。」
だが特に自覚した調子もなく、さらっとアタシの前髪をかき分けてくるイタチ兄さん。
……駄目だ、もっとストレートに言わないと………。
『それであの…今まさにそういう人たちを見るような視線をひしひしと感じてるんですけど……。』
「そうか。あと少し下がってないか?」
アタシがその言葉の指す意味を理解するより先に、背後から覗き込むようになる視線。
そうして何食わぬ顔で、彼はアタシの胸元の衣服を内側のブラジャーごと引き上げる。
『…………。』
「ほら。ネックレスも、曲がってる。」
依然アタシの首周りをうろつく腕が、ネックレスの角度を微調整した。
……はじめこそは戸惑って口出しすら出来なかったが。
そのあまりのマイペースぶりに、アタシの他人行儀さが次第に崩壊し始める。
『……ちょっとイタチ兄さん、さすがにこれ以上は空気読んでくれません?』
「やっぱり少し歩きずらそうだな。疲れたらいつでも言ってくれ。それで、イチャついた若いカップルに見られるとそんなに駄目なのか?」
『だからぁ、何でわかんないのよこの刺さるような視線がっ!アタシたち、きっとマナーのない人たちだと思われてるのよ、イタチ兄さんのせいで!!』
「オレのせいか。nameは怒ってもあまり恐くないな。」
『って余計なお世話っ!!まったく何なの!?再会してまだ1時間も経ってないのに何このスキンシップの多さは!?』
「どうもオレは、年下を見てると放っておけないタイプらしい。」
『淡々と自己分析しないっ!!』
彼の言い分をズバッと切り捨て、アタシの説教は続く。
『そもそも玄関先で即効ナンパってどうなの!?そりゃあイタチ兄さんって、昔からモテるだろうとは思ってたけど、なんというか……意外と女たらし、みたいだし…。』
「…?そうなのか?」
『いやそうでしょ……もうすぐ奥さん候補とかの話が来るんなら、あんまりそういうの、よくないと思うけど。世間の目だってあるだろうし、』
「ん……あぁ、そうだったな。」
『そうだったなって……まぁ何はともあれ、イタチ兄さんの興した事業、成功したんだってね。おめでとう……若社長なんて、ちょっとカッコいいよね。これからはもっと忙しくなるんだろうけど、そしたらアタシの方からも顔出すようにするからさ、』
「そのことなんだが、name。」
事業の概要なんて、アタシにはさっぱりわからないが。
それでも漠然とした感想を述べれば、当の本人はいつもの変わらない調子でコロリと一言。
「オレならまだ学生だぞ。」
……え………、
アタシが思わず歩みを止めれば、イタチ兄さんも合わせて立ち止まる。
「都会の大学に進学してる。しかもまだ2年生だ。なかなか興味深いよ、講義の内容は。標準理論の枠外における現象論が、ある一定の法則に従ってモデルを展開していく過程なんかが特に。」
『はぁ……え、じゃあ事業は……』
「足、疲れないか?」
脈絡のない話で、再びアタシの言葉を遮るイタチ兄さん。
これっぽっちも疲れた様子のない彼が、アタシを見て涼しげに笑った。
「少し休みながら、話そうか。」
『…………。』
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「暑くないか?」
『……そりゃあ暑くないって言ったら嘘になるけど………でも何で公園?』
「積もる話もあるからな。」
あまり都心部に近くはないこの町にしては、わりと大きな憩いの場所。
さすがに夏の炎天下の下、人は限りなくまばらだ。
おそらく噴水に群がる鳩の方が、数は何倍も多いと思う。
「桃の天然水、こんなのでよかったか?」
『あ…ありがとう……。』
その手からペットボトルを受けとれば、イタチ兄さんもベンチに腰かける。
「それにしても、見ないうちにnameは素敵な女性になったな。」
『……あのねぇ、別に周りに人がいないから言ってもいいってことじゃないんだからね?』
「関係ないさ。ただオレは、思ったこと感じたことはすぐ口で言わないと後悔する……それをよく知ってるってだけだ。」
『そりゃあそうだろうけど……だからってお世辞にしてまで言わなくても、』
「お世辞か……nameは人の本心を読むのが下手だな。」
『…………はい?』
散々一方的な会話を押し進めるイタチ兄さん。
プライドの高いアタシは、もちろんその物言いにカチンとくる。
「逆に何故お世辞だと思う?」
『……そりゃあ…アタシなんかには“綺麗な”とか“可愛い”とか、そんな上等な言葉は明らかに不釣り合いだからよ。』
「実は、自分がそう思い込んでいるだけ……とは思わないのか?」
『そんなことない。だって女の子らしい愛嬌は皆無だし、そのくせ強がりで生意気。今だって年上のイタチ兄さんにすら敬語も使えない。顔だってさほど美人でもないし、滅多に笑わない、興味のないこと他人には酷くぶっきらぼう………アタシは自分が可愛くない性格してるって、誰よりもよくわかってる。』
「お前は、そうやって自分の中の“女”を過小評価しているが。案外それに惹かれている奴は多いと思うぞ。」
“女”―――不覚にもその言葉にイラッときてしまった。別にイタチ兄さんは悪くないのに。
―「お前の………女のさがだ。」―
―「お前の中にある“女”が、いつオレに降りかかるとも限らねぇからだ。」―
―「いくらそうやって突っぱねて誤魔化そうったってね、わかるよ。だって君はいい女だ。」―
―「オレは姉さんのこと、ちゃんと“女”として接したいんだ。」―
今までも何度か言われてきたその言葉。
だがその言葉が絡んできたときほど、ろくなことはない。
『そんな冗談、聞いてて気持ちよくも何ともない……もうやめようよ、こんな話、』
「いや、してもらう。というのも実は、一つお前に頼みがあってな。」
そう前置きこそするが、その端正な顔は夏の空に浮かぶ雲をも通り越して、真っ青な空を仰いでいた。
「許してやってくれないか、サスケのこと。」
公園の水辺に群がっていた鳩が、一斉に彼の見つめる先へと飛び立っていった。
許すも、許さないもこのとき、アタシはまだ彼のことを何も知らない。
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