2.
『ねぇ、サソリっ……やくそくして………』
―――いつだったか、初めてあいつと指切りしたことがある。
そいつはわざわざ雨の中、ぐしょ濡れになりながらオレの元までやって来た。
そうして泣き張らした目から滞りなく流れ出る水分は、もはや雨粒なのか何なのかわからないほど。
『あんたはアタシの恋にはならないって……誓って………!』
“おねがい”……そう最後に消え入る声が耳に届けば。
オレはその震える小指に、自身を絡めるしかなかったんだ―――…
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『まーたサボったんだ?こんなとこで。』
屋上でたそがれていれば、不意に背後から聞こえた。
……誰か、なんて聞く必要もないほど、耳に馴染んだ声。
『よいしょっ、と。』
「………何だよ。」
そいつは平然とオレの横に並べば、フェンスに体重を預けるように肘をつく。
『結局あの後、一回も授業に顔出さなかったのね。先生カンカンだったわよ?』
「知るか。どうせ授業なんざ出なくても支障ねぇよ、オレの頭にはな。」
『うわぁ……さっすが天才サソリ様は言うことが違うわよねぇ。』
そう茶化すように、人差し指をオレに指し向けケラケラ笑うそいつ。
目障りなその細い指を捻り上げれば、あっさりギブアップしやがった。
『あははっ、何拗ねてるのよ……許してやってよ。飛段も反省してるからさ、ね?』
そうして次には、もう子供をあやすような口振り。
つい今しがた、ガキみたいにヘラヘラしてた奴がよく言う。
だが見れば確かに、風を受けた横顔がやけに大人に見えた。
『いっつもそうだよね。サソリが“アレ”言われた後に不機嫌になるの……そうしてふらっとどっか行っちゃうの。』
……全くいつからだ、お前がそんな落ち着いた声色を出すようになったのは。
『……もう、まただんまり?あ、そういえばさ。』
さきほどから、一方的に会話を持ちかける幼馴染みが。
―――そこでオレの“核心”に触れた。
『サソリ、いっつも“ソレ”はめてるんだね。』
ビクリッ……思わず震えた肩に、奴は気づいただろうか。
オレが常に右の小指にはめているのは、シンプルで使い古したようなリング。
だが、もはや光沢さえ失ったソレを見てなお、奴の表情は穏やかそのもので。
……オレのささやかな期待は、見事なまでに打ち砕かれる。
―――何故わからない?何故伝わらない?
『大切な人からの贈り物?』
肝心なのは指輪なんかじゃない。
―『ねぇ、サソリっ……約束して………』―
お前に絡めた指だから、何者にも汚されたくない。
―『あんたはアタシの恋にはならないって……誓って………!』―
「……別に。ただオレは昔から、指輪は右の小指にはめると決めてるんだよ。」
そんなことも露知らず、オレが適当な当て付けをすれば。
『ふぅん』とだけ納得して、再び正面に向き直ったname。
『じゃあサソリに素敵な奥さんができたら、そのリングはいらなくなっちゃうね。』
「は?」
『…え?』
そうやってお互いに、疑問符を浮かべて顔を見合わせている光景は。
はたから見れば、どれほど滑稽に映るだろう。
『え…だってサソリ、基本的にはその指にしか指輪、はめたくないんでしょ?だったら結婚指輪が来たら、必然的にそのリングはお払い箱じゃないの?』
「……何を言い出すかと思えば……馬鹿かテメーは。そんなガラクタをはめてやるほど、オレの指は安くねぇよ。」
『うっわ、サイテー。未来の奥さんが泣いてるよ。』
「関係ねぇよ、顔も知らねぇ未来の女がいくら泣こうが喚こうが。」
吐き捨てるようにそう言えば、オレの空いた左手が自然とリングに力を込める。
「オレは死ぬまでこのリングを外さねぇ……。」
ジッ……そうしてオレが意味ありげに見つめても、お前はこれっぽっちもなびかない。
ただ物珍しげにオレを見つめ返す安易な瞳に、オレの胸は焼けるように悲鳴をあげるだけ。
(……今オレが“好きだ”なんて伝えたら、こいつはどんな反応をするだろうな……。)
だがそんなオレを抑圧するのはあの日の、nameの弱りきった声。
おもむろに差し出された小指を絡め合ったあの日。
―『ねぇ、サソリっ……やくそくして……』―
……笑えるだろ?その男女の契りに似た行為が、オレにとっての死刑宣告だったなんて。
―『あんたはアタシの恋にはならないって……誓って………!』―
正直、何故そのような経緯になったのかは聞いていない。
ただ何となく分かる、そのしゃくりあげるような喘ぎ声を聞けば……大方、好きな奴にでもフラれたんだろう。
―――そう。オレの知らないところで勝手に告って、勝手にフラれて。
そんな馬鹿としか言いようがない幼馴染みを、オレはその日受け入れた。
その雨に濡れた体を引き寄せちまうほど、オレはお前に酔っているのに……
『でもサソリなら、きっといい人見つかるよね。』
どうしてお前はオレを見ない………?
映らない虚像だが、そんなお前だからこそオレは、
『だって、サソリのたくさんのいいところ。アタシはよく知ってるから。』
……あの日から、すべてを諦めたんだ。
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