血濡れの月夜


(WJ 954より)


ワノ国に入ってから、ホーキンス船長はグラッジドルフ号のクルーよりも、カイドウやら]・ドレークやら、一端の船員とは天と地程もあるような彼らとばかり関わるようになった
でもそれは仕方ないのかもしれない。力のある彼ら達と練り上げていった作戦に、私のような存在が入り込む隙間はないのだろう。分かっていた

夜更け。私達が駐在しているアジトは既に、蝋燭などの明かりは消され、月明かりが差し込む

───ズル…

「…えっ」
物音。しかも只者ではない。暗いであろう廊下の壁を這うような音。湿った何かを、引きずる音
嫌な予感がした。まさかカイドウ下にある我々に夜襲を掛けるような輩はいないにしても、夜中のこの状況は背筋が凍る
恐る恐る、自室の部屋を小さく開く




───ズル…ズ、ズシャ…

音が徐々に近づく。私の視界も徐々に暗闇に慣れ、ようやく音の主が

「ホーキンス、船長…!?」

慌てて彼の元へ向かう。優雅な雰囲気すら漂わせる服装も、今や無残なもので、血を吸い、斬られ、普段の様子を失っている
彼を支えようと手を伸ばしたとき

「来るな…ッ!!」
「っ!」

びしりと、固まってしまった。動けない
彼特有の覇気か、決して見せたことのないような表情か

「で、でも、船長」

ようやくしぼり出した声は無様に震えている
何があったんですか。続けて出した言葉は既に涙声だ


「…何でもない、放っておけ」
「船長…!」
「うるさい黙れッ!」

彼の怒声に、固まっていた私の身体が大きく震える
僅かに、はっとした表情を見せた船長は、ばつが悪そうに顔をそらした

「…あの、船長」
「…いやすまない、今のは…おれが」
「いいんです!私、手当の道具持ってきますね!」

お部屋に持っていきますから!
私は逃げた。逃げることしかできなかった
背中に彼の視線を感じた気がするけれど、振り返る余裕なんてない

私は、なにも、できない。できなかったのだ
暗い廊下をただひたすらに、自分を呪う言葉を繰り返しながら走った





=====




なんと不甲斐ない
暗闇に駆け、消えていく彼女の背を見ながら歯を食いしばった。鼻をすする音が、胸に突き刺さる
よりにもよって、誰よりも、何よりも大切にすべき人に、一時の感情に任せ非道くあたってしまった

…いや、あたったというより、この無様な姿を…彼女にだけは見られたくなかった
自分の事でもないのに、おれ以上に慌てふためき、すぐに涙するだろう。そんな姿は、見たくなかった。おれの愚かな姿を、見せたくなかった
幾ら自責を繰り返しても、ナーシャに放ってしまった言葉は、突き放してしまった事実は変わらない
ようやく自室に着き、ベッドに腰掛け、大きく嘆息する
ヤツに…トラファルガーに傷付けられた体は、大分自由が効くようになった
いや、おれ自身の事よりも、今はアイツを


────コンコン…


そう思った矢先、控えめに自室の扉が鳴る

「船長…?あの、入りますね」

恐る恐る扉の隙間から見せたナーシャの顔には、やはりまだ怯えの色が見える


……どうすれば、いい
どのように応えるのが、正解なのか
今はタロットカードを取り出す余裕なんてない

答えが、出せない

「…ッ」

嗚呼ナーシャ、見てくれるな。このおれを。
己の未熟さ故、愛する女さえ傷付けるような、哀れな男を。
顔を逸したが、彼女はじっと此方を見ているのがわかる

───カタン

ベッド脇のサイドテーブルに、救急箱が置かれる
そして

ナーシャは、おれの血に塗れた腕をとった

「…痛い、ですよね。私べつに、手当のプロじゃないから…」

おれの手当する彼女に、もう恐れの色は見えない


「船医さん起こしてきましょっか?私行ってきますよ!」

恐れどころか、彼女は、いつものように、愛おしく笑んだ
…ああ、お前は

きっと汚れてしまうだろうが、彼女を抱き締める腕を抑えられない
血に濡れた分の服はいずれ埋め合わせるとしよう

「えっ、あの、船長…?」
「いい…今はどうか、このままで」

どんな薬や治療より、今は

「側にいてくれ…どうか、おれの側に」
「…勿論です、船長!」

抱き締め返されるのは、少々傷に響く。が…
この程度、先程の詫びには事足りないだろう





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