無意識のゼロセンチ

明依を目で追う日々が続いている。きちんとアイロンがかけられた白い半袖シャツからのびる白い腕は手を伸ばしたら掴めそうな距離にいつもあるのに触れたら今の関係までも折れそうで掴むことが出来ない。

『真子購買行くのー?』
「あァ、行くけど」
『じゃあ私のも買ってきて!』
「しャーないなァ」
『ちくわパンといちごみるくね!』
明依が小銭を渡してくる時に触れた指先にもドキッとする。こんなに近い関係になれたのに近づけば近づくほど願っている関係からは遠ざかる。


オレは教室から出ると腰に鋭い痛みを感じた
「うぉッ……」
「こらハゲ!ハゲこら!」
「なんやイキナリ。痛いヤないか。」
案の定ひよ里が後ろから蹴り飛ばしてきた。
「明依の元気が無い。」
「は?」
「せやから、明依の元気がないゆーてンねん。」
「せやかて、なんでオレに?」
「アンタら最近仲えェやろ。なんかしらんか?」
「しるかアホ。」
「ウルサイわ、ハゲ。」

実はこのところオレも気になってはいて、授業の合間に2組の檜佐木のところへ行く姿もあんまり見かけないし、前はよく部活終わりに2人で帰っていたのに今は「マネージャーにはやることがやまほどあるんです!」とかなんとか笑って言って1人で残っている。その癖檜佐木はそんな明依を気にかける様子もなく部活が終わるとサッサとひとりで帰ってしまう。
喧嘩でもしたのかと思ったけれど、自体はもっと深刻そうだった。


「今日はこれで終わりにする。チンタラしてないでみんな早く帰れよー。」と顧問が足早に体育館を去っていった。その後を追うように部員の俺らは部室に着替えにいった。明依は後輩のマネージャーとジャグの片付けやビブスの整理をしていた。

オレらが着替えを終えて体育館の方へ歩いていくと後輩マネージャーが「おつかれさまです!」と声を掛けて部室へ着替えに向かうところだった。

檜佐木と何人かは体育館に寄らずにそのまま帰路についたらしい。明依はまだジャージのまま体育館にいた。
「明依、帰んねーの?」と羅武が聞くと「日誌終わってないの!私が終わるまでに出ないと鍵締めちゃうよー?」と言うもんだからパラパラと体育館で遊びながら残っていた部員も体育館を出て帰路についた。
オレも羅武と校門を出てしばらく歩いた時に体育館にタオルを忘れたことを思い出して「ほな、先帰っといてや。また明日なァ」と言って体育館に走って戻った。

体育館の電気は煌々と着いているのに明依の姿は見えない。着替えにでもいったのだろうか。会えると期待していた胸は少し落ち込む。
ステージの縁に丸まって置いてあったタオルをカバンに入れ帰ろうとした時、体育倉庫の扉が少し空いてて、中から明かりが漏れていることに気づいた。

扉を開けると中にいた明依は制服に着替え終わってはいたけれど、バスケットボールを一つ一つみがいていた。磨く手を止めてビックリした目でこっちを見てきた。
『真子帰ったんじゃなかったの?』
「忘れモンしたんや。」
『そうなんだね!』
「明依は帰らンのか?」
『これ終わったら帰るよ!』

視線を落とすと磨き終えたボールは3分の1ほどで一人でやっていたらまだまだ時間がかかりそうな量だった。
オレは黙って雑巾をつかんで腰を下ろしボールを磨き始めた。

『え、いいよ!帰りなよ!』
「手伝うたるから、早う終わらせて帰らん?」
『え、じゃあ、うん。よろしくね。』

何となく会話は続かず、黙って黙々とボールを磨く。
残りも少なくなってきた時、ボールをとろうとしたらボツボツとしたゴムの硬い感触ではなく小さくて柔らかい、少し冷たい感触が手に伝わった。
それが何だか理解するまでにたっぷり2秒はかかってお互い慌てて手を離した。

『わ、ごめん!!』
「いや、こっちがスマンかったわ。」
『…。』
「明依、何かあったンと違うか?」
『…。』
「言いたくなかったら言わンくてもえェで?」
『…。』
「でもひよ里がなァ、心配しとったで。」

『……ねえ、ひよ里にはいわないでね。』
「わかった。」
『……ひよ里、きっと怒って檜佐木君のことド突いちゃうから。』
「……。」
『檜佐木君、多分ほかに好きな子ができたんだと思う。』


それから明依はひどく悲しい顔で笑いながら最近連絡が減ったこと、友人が他校の女の子と二人きりでいる姿を見たこと、なんとなく自分がそのことに気づいたことに檜佐木も気づいたこと、なんだか気まずくて電車をずらして帰ってることをぽつりぽつりと話した。
オレはただ黙って聞くことしか出来なかった。明依が話し終わったころにすべてのボールが磨き終わった。

『あー、真子に言ってスッキリした!』
「あんまり無理すンなな?」
『うんっ!じゃあ、帰ろ?』
おう、といって歩き出した。

オレは肝心なことは何も言えずに饒舌になって駅までの道を歩いた。

無意識に触れた、明依の手の感触を思い出しながら。


無意識のゼロセンチ
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