とある日の午後。滅多に食事の匂いなんてしないこの部屋は今、ココアパウダーとチョコレートの焼けた香ばしくて甘い香りで包まれている。
先程焼けたハート型のガトーショコラに真っ白な粉砂糖で化粧させて、生クリームをトッピングしようと準備をしていた。
「ねぇねぇ、藍ちゃん、ハート型だよ!ハート!」
「はいはい。ねぇ…僕は何すればいいの?」
「紅茶隊よろしくお願いしまーす」
相変わらず私のテンションを無視してクールに受け流す藍ちゃん。
だけど、たぶん…多分、それでも一緒にこうして作業してくれているってことは藍ちゃんも一緒に居たいって思ってくれてるんじゃないかと…思いたい。
藍ちゃんと1日ゆっくり過ごすことができるなんて滅多にないから、私の心は踊っていた。
「…何か楽しそうだね?」
「だって、藍ちゃんとオフが被るなんて奇跡!ミラクル!ワンダフル!」
愚問である。
どれだけ一緒のオフが私にとって特別なことか!!!
「…オフなのに名前といるだけでドッと疲れるのは何故だろうね。」
「褒め言葉として大事にとっておきまっす☆」
「全然褒めてないよ。ほら、できたなら早くこっち来て。」
ティーポットとカップのセットをもって藍ちゃんはリビングのソファに私を促した。
「藍ちゃんに淹れてもらう紅茶って格別!那月君のも美味しいけど、やっぱり藍ちゃんの美しい手で淹れてもらったのが一番!!!」
「…」
「あれ?藍ちゃん?おーい。」
ソファに並んで座り、ケーキと紅茶を一緒に味わう。
藍ちゃんの入れたダージリンは茶葉の香りが芳醇でとってもいい香り。愛しい人の手で淹れてもらえたとなれば格別だ。
紅茶を…いや、藍ちゃんを褒めると藍ちゃんは無言のまま…
フォークを咥えたままジトッとこちらをみてため息をついた藍ちゃんを不思議に思い、首をかしげる。
すると藍ちゃんは言いたくなさそうに口を開いた。
「…あのさ、調子乗せたくないんだけど、このケーキとっても美味しい。」
「…」
藍ちゃんが褒めた…私を、初めて。
今まで手料理を披露したことがなくって、ちょっと緊張しながら作ったケーキだった。だけど決して料理オンチではないと思っていたし、普通に食べてもらえるとは思っていたけど…
いつも褒めても褒め言葉はあまり使用しない藍ちゃんが「美味しい」と言って照れくさそうに眼を逸らしてまたケーキを口にするとふふっと笑った顔が私の視線を釘づけにした。
「ちょっと名前?…僕が黙るならまだしも、名前が黙らないでよ、気持ち悪い。」
「いや、あの…何か急に恥ずかしくなっちゃいまして…はい。」
「いつももっと恥ずかしいこと口に出してるのは名前でしょ?今さら照れないでよ…っていうか、作曲家なんだからケーキの腕より曲の腕上げてよね!」
「うわ!酷っ!いつもあんなに溢れんばかりの愛をこめてるのに!!今の私のトキメキ返して欲しいんですけど!!」
藍ちゃんの鬼畜!そんな藍ちゃんが大好きだけど…でも素直にときめいたのに仕事の話を出すなんて乙女心がわかってない。
藍ちゃんの腕にすがって袖を引っ張ると渋い顔で藍ちゃんがこちらを見た。
「実際にそこに存在しない無形物を返せって言われても無理だよ。」
「藍ちゃんの鬼畜!!!甲斐性ナシ!!」
「ある意味名前の方が僕より鬼畜だと思うけど…はぁ。僕、一応君の彼氏だから、名前が喜ぶことなんてすぐにわかるんだからね。」
袖をひっぱる手を解いて、手首をひっぱり私をすっぽり抱きしめた。訳がわからず戸惑っていると、顎を捕えられて藍ちゃんの唇が私の唇に触れた。
「あ、あああ藍ちゃ…」
「これでさっきよりトキメキ上回ったでしょ?」
私が喜ぶことは何でもお見通し。
藍ちゃんはニヤリと悪戯っぽく笑うと、またケーキに手を伸ばして嬉しそうにケーキを食べ始めていた。
「藍ちゃん大好き!」
「ちょっと!抱きつかないでよ、ケーキ食べられないー!」