16-01


それは、懐かしい春の記憶だ。
うららかな日差しが降り注ぐCEDEFの中庭にて。
修練を終えたバジルが美冬によばれて赴くと、そこには美冬が息抜きに作ったというガトーショコラが用意されていた。

まだ少し熱が残っている、円形のガトーショコラ。さくりとナイフを入れれば、ほんのりと蒸気とカカオの香ばしい匂いが立ち上り、修練でへとへとになったバジルの食欲を増幅させた。


『ねえ、バジル』
『はい、なんれふか?』


美冬の前には一切れのガトーショコラ。
対するバジルの前には、残りのガトーショコラ全て。

さっそく頬一杯にもごもごと詰め込んだ彼は、美冬の問いかけに、なんとか答えた。美冬にとっては日常茶飯事の光景。別段呆れる様子もなく、美冬は淡々とつづける。


『外って、どんなかんじ?』
『へ?』
『…私、あんまり外にでたことがないから』


美冬はバジルに倣うことはせず、自分の口の大きさに見合ったサイズにケーキを切り分け、一口分を口に運ぶ。


『うーん…拙者は親方様についていくだけなのですが、楽しいことも、危ないことも同じくらいあるような気がします』
『ふうん』



成長するにしたがって、バジルは家光の仕事に同行することが増えてきた。それは彼が自分の身はある程度自分で守れるようになったから。そしてバジルは、家光の傍で”CEDEF代表の仕事”を見ることで、CEDEFを取り巻く危険の多さを肌で感じ始めていた。勿論楽しいことはたくさんあるけれど、CEDEFはやはりマフィアの一端だ。
血生臭い現場も随分と多く、先日も襲撃されたフロント企業に足を運んだが、生存者はおらず、辺りは血の海と化していた。



『美冬は、外に行きたいんですか?』



出来れば、この幼馴染にはあんな凄惨な現場は見て欲しくない、と思う。
だが、そんなバジルの問いに、美冬はふるりと首を振る。


『別に、行きたいわけじゃないです。ほら、仕事山積みですし。さっき見たでしょ、机。』
『……見ました』


そういえば確かに、バジルは修練場に赴く前に、美冬がうず高く積まれた書類に押し潰されそうになっているのを、見た。あの量を彼女はたった一晩で捌ききってしまうあたり、さすがCEDEFの経理担当と言うべきところだが、それが毎日続くのだ。彼女は決して外に出ている場合ではない。



『まあでも、外に出たら会いたい人がいるんですよね』



いつも淡白で表情の薄い彼女が、その眦をうっすらと綻ばせる。


(誰なんだろう)


彼女の心を溶かす、彼の知らぬ、何者かがいる。

その時、バジルの胸は、ずきりと痛んだ――――そう記憶している。
















「夢…」


ピチチチチ…

遠くで鳥のさえずりが聞こえる。
ぼんやりと瞼を開けて時計を見れば、朝の6時だった。
いつもより少し早い、起床時間。


「よし、丁度いいですね」


これから身支度を整えて花屋に行けば、丁度良い時間になるだろう。
今日のバジルは、いつもより少し、忙しい。



それにしても随分懐かしい記憶だ、とバジルは思う。
たしかあの直後、バジルは口の中に詰め込みすぎたガトーショコラに喉を詰まらせ、美冬が大慌てで水を持ってくる…なんて大惨事になった。

その後、食べる時はいっせいに食べない、自分の口の容量にあったサイズに切り分けて食べる、など散々怒られた。


身支度をしながら、バジルは美冬のことを思い出してはクスリと笑う。




「美冬、元気でしょうか」




彼女がいなくなって、そろそろ一年が経とうとしている。

鏡の前の自分は、どこか覇気がないように見えるのは、気のせいだろうか。




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