14-05


山本が父親に見送られて外に出ると、柊が夜闇に浮かぶ寒月を見上げていた。まるで雪玉のような、寒々しい色をした月明かりに照らされた彼女は、何やら物憂げで、内心ドキリとする。


「あー、悪ぃ、待たせて」
「あ、いえ、こちらこそお手数をおかけいたします」


並んだ二人はどちらからともなく一歩を踏み出し、しんと静まり返る住宅街の中をぽつぽつと会話しながら歩いていく。


「今日、ありがとうございました。親父も喜んでたみたいで…。」
「私も楽しかったです。すっかりごちそうになってしまいました」
「いーっていーって!」


闊達な笑みを浮かべた山本に、柊はほんのりと口許を緩める。
山本の心はそんな小さな出来事で小躍りする一方、柊は山本の様子など意に介さず、ぶつぶつとお決まりの考察を喋り始めた。


「ネタの新鮮さもさることながら、特筆すべきはたまごの絶妙な甘さ…。さすが一般家庭では全く作ることが出来ないプロの技を感じます…。これが寿司屋。これが大将の技。」
「なんかそこまで言われたら親父も寿司屋冥利につきるな!」


山本より頭一つ下の彼女は、考え込むようにして唸っている。それは山本の周囲にいる年頃の少女たちの様子とは明らかに違って、ややもすれば面倒くさい。だが、一度意識してしまえば、どんな表情だって可愛らしく見えてしまうのだ。恋心ってすごいな、と山本はしみじみ思いながら呻る柊の頭頂部を見下ろしていた。



柔らかそうな髪、そっけなさそうな口元、そして山本の視界からよく見える、耳の端に至るまで。柊美冬という少女を象るかたちを目に焼き付けようと、山本は適度に相槌を打ちながら彼女を盗み見る。


己の気持ちに気が付いたからと言って、おいそれと彼女の傍に行くのは案外難しい。なにせ二人は学年も違えば、部活も違う。先日も、クリスマスイベントに誘ってはみたものの、あっさり断られてしまった。接点らしい接点は、作ろうと思ってもなかなか作れないのが現状である。


二人きりでゆっくり喋る。
こんなチャンス、滅多にない。


すると、彼女はコートのポケットをがさごそと漁り出して、「あれ?」と首を傾げた。

「ん?どうしました?」
「片方…右の手袋が無くて。」
「え!マジすか。うちに忘れてきたのかな」
「どこかに落としたのかもしれませんね…。もしお店にあったら、お手数ですが冬休み明けに渡してもらっても良いですか?」
「そりゃいいけど…寒くね?」



全然大丈夫です、と慌てて手を振る柊だが、その指先は白くなっていた。


「…」
「?」


山本と柊の間に流れたのは、なんとも不自然な間。
そして山本は、大胆にも柊の右手をとり、両手で包み込んだ。


「うわー冷てっ」
「!?」


ひやりとした指の冷たさにへらりと笑えば、目の前の柊は驚いたのか固まっている。山本は己の手のひらから熱が失われていくのを感じつつも、彼女に笑いかけた。


「この前言ってたもんな、冷え性だっけ?大変だよな」
「冷え性以前に外気温がこれだけ低いと、肌の表面も比例して冷たくなってしまうのはしょうがないです。ですがご心配なく。慣れているので問題ありません」
「そこ、慣れちゃダメじゃね?」


もっともらしい言葉を述べつつ、掌から指先へ、じわじわと熱をもみ込むようにして手を握る。芯から冷え切った指をぐにぐにともみほぐせば、ほんの少しだけ山本の熱が彼女の指に灯ったような気がした。


「よっし、じゃあ今日は俺が先輩の右の手袋な」


そう言って山本は柊の手を握ったまま、ダウンのポケットにつっこんだ。
ダウンのポケットは二人の掌でぱんぱんに膨らんだが、山本は全く気にすることなく彼女を引っ張るようにして歩き出した。


「これ…歩きづらいからいいです」
「このまま風邪ひかせたら俺が親父に殺されますから」


手が冷たいからといって風邪をひくとは限らないが、山本は譲らない。
利用できるものは利用しようと、父親の存在も匂わせると、案の定柊の口はもにょもにょと勢いを失った。


「でもほら、万が一敵襲を受けた場合、このままでは逃げるにしても戦うにしても難しいかと思うので、」
「襲撃って、風紀委員会に染まりすぎじゃないんすか?」
「え」


常日頃行動を共にするうちに、考え方まで似てきてるのだろうか、と山本は苦笑いする。対して柊は、ぽかんと口を開けた。おそらく、思ってもみなかった、といったところだろう。



「風紀委員会って言えばさ…」



手を解く気はさらさらない。
ならば、と山本は別の話題を出して、彼女の気を手から会話に向けることにする。
風紀委員会と言えば、年末には雲雀恭弥と沢田綱吉が同じ病室になった…なんてことがあった。あの時もツナは散々な目に合っていたな、と思いながら、山本は当時のエピソードを彼女に語って聞かせていた。



「…でなー、その時のツナの反応が面白いのなんのって……って、先輩?」
「…え?」



山本に手を取られ、引っ張られるままに後ろをついてくる彼女の、どこか上の空な態度。気になって顔を覗き込めば、柊は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。



「ん?腹痛い?」
「いえ、大丈夫です」
「……そ?」
「大したことではないのかもしれませんが、」



そう前置きした柊の睫が、ふるり、と震えた。



「先程の話…自分では意識していないんですけれど、やっぱり影響って受けるのかな、と思いました。たとえあんな風紀委員会でも…。」
「そりゃそうだろなぁ。俺も毎日野球部の監督から投球フォームについて言われ続けてたら、自然と背筋を意識するようになったぜ?」
「……はあ」
「だから先輩もきっと、あれだけこき使われてるうちに、雲雀に毒されちまったんだな。可哀想になー」



言葉尻では憐れみつつ、にやにやと笑ってやれば、柊はいかにも嫌そうに顔を引き攣らせた。あんな風紀委員会、と辛辣に言うあたり、彼女の風紀委員会への印象は随分と悪いことが伺える。


そして山本は、浮かべた笑みの裏で、何か肚の中に澱むものを感じていた。





「あ、そうだ休み明け、手袋持っていくの…図書室でいいっすか?」
「もし見つけたら、で大丈夫ですよ」
「いや、なんとなくある気がするんで……あ、どうせなら美冬先輩がお勧めの本教えてください」
「ええ?山本君本読むんですか?…いや、まあ良い心がけですよね、うんうん」


他愛無い話と、笑顔の裏側で。
じわりと己の心に黒い染みが広がっていく。


(なんだ?)



柊美冬は、真っ直ぐな瞳で山本を射貫く少女。
仕事は出来る(らしい)し、怪我の手当てをさせたら一級品。
触れた手は冷たいけれど、初詣の願い事を真面目に考える程度に根は真面目で、お寿司が好きな、そんなひと。

けれど、彼女は無意識のうちに雲雀恭弥の影響を受けている。

彼女のことを何も知らない自分と、彼女の思考にさえ影を落とす雲雀。
ご飯を一緒に食べて、手を握るだけで浮かれている己と雲雀では、随分と差があるように思えた。



(なんか、やだな)



己の手は暑いのに、肚の底は冷えていく。
山本はダウンの中で握っている彼女の指に、己の熱を擦り付けるようにして指を絡めた。冷たかった指先が、山本から与えられた熱を含んでようやく人肌らしい温度を持ち始めていく。


自分は何を彼女に与えられるのか。

唐突に思ったのは、「せめて、彼女に触れて己の熱で満たしたい」という欲望。

自分でもえらく滑稽に思えて、ついつい乾いた笑いが口から飛び出す。



「……ははっ。なんだそりゃ」
「どうしました?」
「んー?いや、なんだろな。よくわかんねー」
「……山本君が自分でわからないなら、私には一生判らないですね…」
「だよなぁ。なんでもねーよ、きっと」



きっと気のせいだ、と思った。

自分は柊美冬の傍にいられればそれで万々歳なのだ。



だが、なんでもないと一笑に伏したそのその想いが、後々に山本を縛り付けていくことになるだなんて。

山本武は思い至ることもなく、夜闇へまた一歩、踏み出した。




prev next top
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -