12-05


走り回るのもひと段落したころ、ロマーリオが時計を見て「そろそろ行くぞ」とディーノに声をかける。2時間後にイタリアに向けてフライトを控えている二人は、美冬の部屋から飛行場へ直行するとのことだった。

車を用意してくる、と部屋の外へ出て行ったロマーリオを見送った二人は、手持ち無沙汰なまま玄関で待ちぼうけることになった。ディーノがふと携帯に視線を落としていた時だった。

ちょんちょん、と彼のコートの裾が引っ張られる。


「…?」


振り向けば、なんとも言えない顔をした美冬がそこにいた。
何かを言いたそうな表情であると察知したディーノは、携帯をポケットにしまい込むと美冬の目線に屈んで微笑んでみせる。昔から、彼女は何かを言いたいときに、なかなか言い出せない癖のようなものがあった。


「どうした?」
「……地面に座らせてごめんなさい。ロマーリオさんも、腰痛そうでした。」
「ん?あー気にすんなって大丈夫だ」


曲がりなりにもマフィアのボスを床に座らせたことを後悔しているらしい。ディーノは思わず破顔すると、先程とは打って変わって、優しい手つきでその髪を梳いた。なんならロマーリオが腰を痛めていたのは数日前のぎっくり腰が由来なので、美冬のせいではない。


「…でも、ホント元気そうでよかったぜ」


さらりさらりと髪を梳けば、彼女はくすぐったそうに目を伏せた。
伏せた睫が、彼女の目元に影を落とす。

――あれ?俺の妹こんなに睫長かったっけ?

ディーノがはたと思ったのも束の間、ディーノの言葉に美冬はぱちりとまばたきをした。


「大丈夫です。今は、お友達もいるから」
「それ本当に大丈夫なお友達かよ…」
「だ、大丈夫なお友達です!」


髪を梳く指を頬に移動させ、ぐにぐにと頬をマッサージするように包むと、彼女の耳の端がすうっと赤らむ。彼女が指すのは同級生やら所属する委員会の人間ことだと察するが、家光から見せて貰ったレポートを読む限り、お世辞にも友達、とは言いづらい関係性な気がする。
だが、彼女はどうやら気に入っているらしく、語気は強い。


「私、もう子供じゃないんですよ?」
「俺にとってはいつまでも妹分だよ、お前は」


心配だっつーの、と言いながら、ディーノはご挨拶にとその瞼に口づける。

それは彼と彼女の儀礼のようなものだった。
幼い頃こそ嫌がっていた美冬だが、気が付けばすんなりと受け入れるようになっていた。それは、「またね」の挨拶。


それは、いつもどおりだった。



しかし、今日は何かが違った。

唇を離していつも通りに彼女を見下ろす。

美冬の睫が戦慄いて、開いた瞳が、ディーノを捉える。

呼応するかのように、ディーノの心臓は、彼にも聞こえるほどにどくりと脈打った。





それは、いつもどおりの、挨拶の、はずだった。















「お?挨拶は終わったか?こっちは準備できたぜボス」

ディーノの頭が一瞬の空白に包み込まれるも、その静寂はすぐに破られた。戻ってきたロマーリオは「また来るわ」とひらりと美冬に手を振った。ディーノも気を取り直して「次はご飯も一緒に食べような!」と厚かましく美冬に言い聞かせたのち、彼女に背を向ける。
ばたん、と部屋の扉を閉めた二人は、マンションを出た後、出口につけていた車に即座に乗り込んだ。

「どうしたボス。最後の最後にやらかしたか?」

ここがイタリアのCEDEF邸だったら、騒々しく涙ながらの別れの挨拶をする場面だが、今日は妙におとなしい。ロマーリオはエンジンをかけながら問うが、反応はない。

ディーノが静かな時はたいていやりすぎて美冬に怒られるか無視を決め込まれた時と相場は決まっていた。……が、運転席のバックミラーに映るディーノの顔が、少し赤いことに気が付いたロマーリオはぴゅう、と口笛を吹く。


「どうしたボス。顔赤いぞ。」
「べっ!別に、そんなんじゃねーよ!」


どこのツンデレの科白だ、というド定番の文句を吐き出したディーノに、ロマーリオはため息をついてくぎを刺す。

「やめとけやめとけ。CEDEFの箱入り娘なんて、藪をつつくようなもんだ。何が出てくるか解ったもんじゃない。」
「だから、そんなんじゃねーから!」

はぁ、と物憂げにディーノはため息をつき、そして窓の外をおとなしく眺めている。
何があったのかはロマーリオにはわからないが、何かしら思うことがあるのだろう。いつも陽気なキャバッローネのボスは、何も言わずに考え込んでいた。





あんまり茶化してやるのも可哀想か、とロマーリオは「お嬢は随分元気になったよなぁ」と笑いながらディーノに声をかける。
話題が逸れて安心したディーノは「…確かにな」と返事をする。
少なくとも、人をおちょくったり、家の中で走り回るなんて、以前の彼女では考えられなかった。いつもじっとして、こちらの反応を伺っていた彼女とは雲泥の差である。

それはディーノがいつの日にか願った、飛んで跳ねて明るく笑う少女の姿に近しいものがあった。数年かけて篭絡できなかった少女が、いとも簡単に元気になった姿にディーノははぁぁとため息を吐く。


「俺は美冬に笑顔をつくってやれなかったのに、こっちに来たらアレだもんなぁ。」
「ま、そう落ち込むなって。ボスにだって今から出来ることはあるぜ?……例えばテーブルとソファくらいプレゼントしてやったらいいんじゃないか?あのままってのも生活感なさすぎだろ」
「…たしかにそうだよなぁ」
「何より、ずっと床に座るのは俺の腰がヤバい」


なんたって、彼女も自省していた程度にフローリングは腰にクる。次にあの部屋を訪れた時は、ディーノも願わくば柔らかなソファに座りながら美味しい美冬の紅茶を飲みたい。


「よっし!イタリア帰ったら家具屋回るか!!」


気をとり直したディーノは、さっそく懐から携帯電話を取り出し、お抱えの家具ブランド4社に国際電話をかけて、「14歳の女の子に見合う最高級家具を見繕って見積もりを出すように」と指示を出す。
ロマーリオはやりすぎだろ、と思うが決して止めはしない。

今も昔も変わらず、キャバッローネの跳ね馬ディーノは、妹分のことを大事に大事に想っているのである。


「ボス、家具セットにはドレッサーもつけてやったらいい」
「なんでだ?」
「年頃なんだ、デートの前は化粧くらいするだろうよ」
「はぁぁぁぁぁ!?デートだぁぁぁぁぁ!?10年早いっての!!!!」


絶対つけてたまるか、とディーノは鼻息荒く雄叫びを上げ、黒塗りの高級車は、俄に賑わいを取り戻していった。



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