17-01


早朝4時。

まだまだ寒いが、柊はもぞもぞとベッドから抜け出し、寝ぼけ眼で着替えを済ませる。
ジャージを着て出かける支度を済ませた彼女は、マンションの入口に置いてある自転車に乗って川原に向かった。きっと今日も、朝練のためにと笹川了平が待ち構えていることだろう。


春分が近いとはいえ、まだあたりは薄暗い。
だが、空には雲ひとつなく、ここ数日の中でもいっとう寒いことから、今日の日中に気温が上がることが予想された。最近は暖かな日も増えてきたので、ついつい油断をして薄着で来てしまったことを柊は後悔した。


(これが寒の戻りってやつでしょうか)


手袋やマフラーをして来ればよかったな、と思うが、もう後の祭りである。なんだかんだ結局いつも自転車を漕いでいるうちに身体も温まってくるので、今日もきっと大丈夫だろう。柊はそう考えて、自転車を漕ぐ脚に力を入れた。



住宅街を通り抜けて、並盛公園を走り抜ける。
大通りに出て河原に向かう道は、町内でも有数な桜並木らしい。もうすぐ蕾は花になりそうなほど膨らんでいるが、きっとこの寒さでは当分お預けだろう。



(去年は桜なんて見てなかったものね)



柊が並盛に来たのは丁度1年前のことだ。
昨年は温暖な気候だったということもあり、柊が並盛にやって来たころには桜も終わりごろだった。まして、こちらに来たばかりで気を張っていた彼女は、花に興味を持つ余裕もなかった。

だが、今はこうして春の息吹を感じられる程度には周囲も見えるようになってきた。



「今年はお花見でもしたいな」



ぽつり、と呟くも、柊はすぐに首を振った。
なにせ現在並盛中風紀委員会は決算時期の為おおわらわである。あの雲雀恭弥でさえ外に行く時間を減らしてデスクワークに時間を割いている状態だ。柊が書類を作成、雲雀がチェック、という二人三脚体勢はかれこれ一週間以上続いている。ここ数日、互いに決して口にすることはないが“どちらかが倒れたら死ぬ”、みたいな切迫感が応接室に漂っていた。

桜が咲く頃にはきっと仕事もピークを迎えているだろう。柊の「花見をしてみたい」という意見など速攻で却下されるに違いない。むしろそんなこと言っている場合じゃない。


…というか、柊美冬は風紀委員会所属ですらないのだが、この1年の間にすっかり彼女は風紀委員会の経理として馴染んでしまい、最近では自発的に足を運んで仕事を納める始末である。


「……なにやってるんだろなあ」


本来の任務はいつ達成できるのか。
……いやなんかもう無理な気がする。

そんなことを考えていれば、河原に辿り着くのはあっという間だった。
今日も今日とて笹川了平は登り始めた朝日の清廉な光を浴びながら準備運動を行っている。




「笹川君、おはようございます」
「おお、柊、今ちょうどアップが終わったところだ」
「ぴったりですね、じゃあ今日も行きましょうか」



挨拶もそこそこに笹川了平は駆け出し、柊は追走を始める。


それは、かれこれもうすぐ一年近く経つ、二人の習慣だった。





「今日は少し負荷をかけたいので、高台に行きましょうか」
「わかった」





柊の言葉にうなずくようにして、二人は河原から公道へ向かうT字路を右に走っていく。いつも大声でうるさいとクラス中から揶揄される笹川了平だが、ランニングやトレーニングの最中は驚くほど静かでストイックだということを知る者は案外少ない。最低限の言葉を交わしながら、二人は黙々と暁の光を浴びて街を走り抜けていく。



この1年。
柊はすっかり笹川了平に影響を受け、マネージャーとして笹川の後ろで走り続けている。笹川がボクシングに傾ける情熱が本物で、あまりにも真面目にトレーニングに取り組む姿勢は、柊の心を自発的に動かしはじめた。


最近では図書室で仕入れた知識をもとに練習メニューを開発、試行錯誤の日々が続いている。

筋力アップの方法があると聞けば問答無用で取り入れ、はたまた反射速度を上げるために必要なのが集中力と知れば、専用の器具まで作ってお試しする徹底ぶり。
そうしてメニューの効力を笹川本人に問いながら、実際に効果が認められたものは継続し、ないものは切り捨て、彼に合う独自の練習メニューを設定していく。


柊からすれば初めての経験。手探りながらも、非常に楽しい時間である。
なにより、連日のデスクワークで凝り固まった身体をほぐすことができる、柊にとっても貴重なメンテナンス時間となっていた。


「頂上で休憩しましょう」
「休憩はいらん!」
「駄目ですよ、運動と休憩はしっかり交互に挟まないと筋力低下の原因になるって笹川君も判ってるじゃないですか」
「む…」



高台へ向かう上り坂を最後に全力ダッシュで駆け抜け、二人は息を切らせて頂上に辿り着く。柊は自転車を止めると、見晴らし台に設けられたベンチに腰かけた。笹川も汗を拭いながら柊の隣に腰かければ、計らったかのように彼女は笹川にボトルを差し出した。



「はい、お水です」
「ありがとう」



吹き抜ける風は、朝日のぬくもりを含んで、少しだけあたたかくなってきた。
二人はそよそよと吹く風に揺られながら、朝日に包まれる並盛の町を見下ろした。


「壮観だな」
「……ですね」


高台から見えるのは、住宅街や道路、並盛中など、見慣れた風景だ。だが、夏は照り付ける太陽で陽炎のようにゆらめき、冬は時に雪が降ることで白く染まってしまうことを、柊美冬は知ってしまった。

日々、うつろいゆく四季にあわせ姿を変えていく街並みが、今ではとても愛おしい。


言葉もなく二人は町を見下ろしていたが、笹川は「よし、そろそろ戻るか」と声を上げた。


「まだ休憩時間は終わってません」
「いや、お前が風邪を引いたら困るからさっさと行くぞ」


笹川了平はそう言って立ち上がった。


「そんなにやわじゃないですよ。むしろこれは笹川君のためですよ。筋肉には適切な負荷と適切な休憩が必要です。確か先日読んだ本によると、その割合と言うのが決まっていましてね…」
「たわけが」



ぺらぺらと喋り出した柊に、笹川は呆れたような、なんとも言えない顔をして立ち上がる。柊は「まだ時間じゃないのに」と口を開くが、笹川はさっさと走り出してしまった。


「わたし、寒いのは慣れてるから大丈夫ですよー」
「いいから行くぞ」


のちに、これが盛大なフラグだったということを柊美冬は身をもって知ることになる。




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