16-06
それは彼女に受け継がれる”星”のさだめだ。
バジルは、それを代わりに背負うことはできない。
だから、せめて、傍で守って、支えたい。
その為には、美冬を守る力を身につける必要があったし、美冬を傷つけない強い心を得なければいけない。
迷っている場合ではない。早急に、強くならねばならない。
じりじりとした焦燥が、胸のうちを駆け巡っていた。
*
翌朝、修練場にて。
「脇が甘い!」「ぐっ!」
ラル・ミルチがバジルを吹っ飛ばし、畳の上にバジルが投げ出される。
だが、そのまま身体を捻ったバジルは右手をついて体勢を立て直し、低い位置からラル・ミルチの眉間めがけて容赦なく足の甲で蹴り上げようと襲い掛かった。
ラル・ミルチはするりと前かがみになることでいなし、そのままバジルの膝下へ潜り込み強烈な打撃を与えた。
「が…っ!!」
今度こそ修練場の壁にたたきつけられたバジルは、「いてて」と言いながら打ち付けた背中を摩る。
「何度も言わせるな。攻撃時にノーガードじゃ反撃されて終わりだ。出直してこい」
「ぐ…もう一回お願いします!」
帰りかけたラル・ミルチに食い下がるバジルに、「しつこいぞ」とラルがそっけなく返事をした時だった。修練場の入り口から「そう言わずに付き合ってあげたら?」とオレガノが声をかけてきた。
「オレガノ。おはようございます」
「おはよう。調子は良さそうね。」
「はい」
代表秘書の存在に気が付いたバジルは、ぱたぱたと埃を払うと彼女の元へ足を運ぶ。
表情には一切の曇りもなく、蒼の瞳は澄み渡っていた。そこにあるのは、決意、その一点のみ。
「ごめんね、バジル」
「え?」
「……あんなことになるなんて、思わなくて」
オレガノはバジルに頭を下げた。
昨日、バジルに己の気持ちに気づくよう促したのはオレガノ自身である。だが、バジルにあんな任務が課せられる羽目になるとはオレガノも想定外だった。
彼女はただ、バジルが美冬への気持ちに気が付いて、彼女の運命を知ったうえで彼女を支えてくれればいい、そんな軽い気持ちだった。だが現実は違った。こんなことになるなら、バジルに気持ちを促すような真似は絶対にしなかった。
行き場のない恋心なんて、辛いだけだから。
「オレガノ、気にしないでください。引き受けたのは拙者の責任です。」
バジルは穏やかな口調で答えた。
「昔、美冬と約束したんです。美冬がピンチの時は拙者が守ります、と。だから拙者は、約束を果たすだけです」
「…そう」
その為には、もっともっと強くならなければ、とバジルは笑い、畳に戻っていく。
結局、引っ張られるようにして組手を再開させられたラル・ミルチと意気揚々と彼女に挑むバジルを見届け、オレガノは代表執務室へと戻ることにした。
昨日、沢田家光から全てを知らされたバジルには、特別な任務が課せられた。
ひとつは、「来るべき日まで、何があっても美冬を守り通すこと」。
そしてふたつめは、「彼女に己の想いを伝えないこと」。
美冬を取り巻く運命は苛烈だった。
今まで彼女が生きて来られたのは、ひとえに家光の尽力と度重なった奇跡による結果だ。だが、この先そうも言ってられない日が、きっとやってくる。来るべき日まで、迫りくる危険から彼女を守るのが、バジルの役目だ。
そして、彼女が己の運命を知った時、バジルの想いは必ず彼女を蝕む。だから決して、伝えてはいけない、と沢田家光は言う。
ひとつめの任務については、事前にオレガノも知らされていた。
だが、ふたつめの任務については、オレガノも寝耳に水だった。
彼女とて、美冬が辿るであろう運命の悲惨さは知っていた。だからこそ、幼馴染で美冬をよく知る彼が、傍に居て彼女を支えてくれればいいな、なんて思っていた。
けれど沢田家光はそれを是としなかった。
(……理屈は判るけど、酷すぎる)
己の上司は任務の成功率を上げるために手段を選ばない、そういう人だ。
だが、愛弟子の恋心さえも駒として扱うその姿勢は、オレガノにとっては理解し難いものである。全てはボンゴレのため、というのであれば、ボンゴレに勤める人間の心も救うべきはずなのに。
「親方様、親バカも大概にした方がよろしいのでは」
代表執務室へ戻ったオレガノは、存分に嫌味を込めて上司に進言する。
「ああ、やっぱり怒ったなお前」
「当たり前ですよ!バジルのこと、美冬のこと、なんだと思ってるんですか!」
「まーなぁ。でもあれがあいつ等のお互いのためさ」
ふかふかの背もたれにぐっと背を預けながら、沢田家光は宙を見た。
「俺は、残念ながら一度”星”が燃え尽きるところを見ちまったからなあ」
「……ですが」
せめて美冬には倖せになって欲しいのさ、と沢田家光は虚ろな笑みを浮かべた。
オレガノはそれ以上何も言えず、沢田家光もまた、言及はしなかった。
デスクには一輪のミモザの花。
春を告げ、ふわりふわりと明るいひかりのようなその花は、「初恋」を意味するという。