「おはようございます。ワインを移動してきました。地下のワインセラーの右奥に入れてあります」


 外からの気分がいいとは言えない光で目が覚めて、誰もいなかったことに気が付いた。ミホークが顔を上げるとほぼ同時に扉が開き、そこに先日見知ったばかりのガルムが現れた。寝ぼけていたためか、言われたことを理解するまでに時間がかかったが、昨夜飲んでいたワインのことだとわかるなりミホークは頷いた。あれは美味かった。ガルムが扉を開け、持ち出してくれたことはミホークにとって僥倖であると言えるだろう。
 立ち上がろうとして、ずるりと身体から何かが滑り落ちた。とっさに手で掴めば、見慣れない、否、呆れるほど見慣れた白いコートだった。──その背面には“正義”の二文字が刻まれている。


「これはお前が?」

「はい。何も掛けずに眠られていたようでしたので」


 ミホークが差し出せばなんてことのないようにガルムはコートを受け取り、自分の鞄の中へとしまいこんでしまう。個人的な旅行にコートを持ち歩くことを真面目と称えるものなのか、“正義”の二文字を海賊の暖を取るために使用したことを不義理と詰るものなのか。どちらが正解なのかミホークには知る由もなかったが、礼を言うべき場面だということくらいはわかる。


「悪かったな」

「いえ、こちらが勝手にしたことですのでお気になさらず」


 そうやって頭を下げる姿は妙に様になっていて、ミホークは昨夜の話を思い出した。“我が君”と呼ばれる、頭のおかしい主に仕える“イヌ”。そうなるべく育てられたから、丁寧な態度が妙に様になるのだろう。ガルムはおそらく根本的には海兵ではなく、“イヌ”なのだ。確固たる『正義』を持ち合わせないと言ってもいいかもしれない。
 ミホークがコートを掛けられるほどに接近を許し、あまつさえ目を覚まさなかったということは、ガルムには敵意も害意も殺意もなかったということだ。七武海は七武海と割り切っている海兵も無論、いるだろうとは思う。だが元帥であるセンゴクであっても七武海を『海のクズ』と断言するほど、海兵と海賊の溝は深い。七武海は海賊の中でも罪深いと思われることもある。そんな相手に何も思わない──その時点でガルムは海軍において異端だろうと想像がついた。


「そういえば、シャワーをお借りしたいのですがよろしいでしょうか」

「構わん。好きに使うといい」


 場所はわかりきっているだろうと敢えて言うことはしなかったが、ミホークの考えていた通り、ガルムは礼を言うなり荷物を持って出て行った。ガルムが出て行くと、くあ、と欠伸が出た。

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 ミホークがウトウトしていると、ガルムはシャワーを浴び、部屋に戻って来た。服装に乱れた様子は一切なく、きっちりとした性格が出ているようだった。海軍ならでは、イヌならでは。どちらでも正しいのだろう。
 ガルムがミホークに向かって頭を下げる。下げられる覚えは、あるようなないような。考えている間にガルムが口を開いた。


「お世話になりました。このまま帰還致しますので、改めてご挨拶を」

「大した持て成しもしておらん、気にするな」


 短い邂逅であったが、剣戟も酒の席もミホークには有意義な時間だった。文句などあるわけもない。欲を言えばもう少しガルムと打ち合い、決着をつけたい気もしたが、この出会いをたった一度で終わらせてしまうのは惜しかった。ガルムが生きてさえいればまた何度でも楽しめるのだ。今殺してしまうようなことになっては勿体ない。
 せっかくの出会いに上機嫌であったミホークは、ガルムの出立を見送ることにした。海軍にとっての異端児であるガルムは、海賊が見送りに来ることなど気にも留めない様子で、ソファから立ち上がり後をついてきたミホークに何も言うことはなかった。

 船までの道すがら、話は“我が君”のことになった。正確に言えば、“我が君”の墓参りはしなくていいのか、という疑問を不意にミホークがぶつけただけなのだが、ガルムは意外でもなんでもない言葉を返した。


「我が君の墓標はありませんから」


 クーデターを起こされた王の墓標などなくて当然である。とは言え、仕えていた人間を前に向ける言葉ではないことはミホークにもわかっていた。気を使って「作っておくか?」と尋ねれば、ガルムは首を横に振った。


「お気遣いありがとうございます。ですが必要ありません。もうご遺体もありませんし、この島自体が墓標のようなものです」


 その言葉にミホークはつい笑ってしまった。王の墓標が島とは、なかなかの皮肉ではないか。クーデターが成功し殺されているのに島自体が墓標にされたこともそうだが、その王の墓標が海賊であるミホークの根城になっているのだ。海賊に踏みつけられる王など、あまりにも滑稽な末路である。そしてそんな陰惨な場所に居を構えるミホークもまた笑い者と言えよう。

 しばらく歩いていれば、船がある洞窟に出た。この島で船を停められる場所はミホークが普段停めている入り江だけだと思っていたが、うまく隠れるようにして船が停められている。入り江よりも人目につかないが、潮の満ち引きで流されるのではないかという印象を受けた。
 暗鬱な森を抜けても、洞窟を出ても、この島はじっとりとしていて日差しが少なく、薄暗かった。否が応でもこの国の歴史を、内乱やクーデターというものを思い出させる気候だった。ふとミホークは思う。そんな気候が陰惨な事件を引き起こしたのかもしれない、と。

 ゆっくりと船が動いていく。自分も一人用の船に乗っているが、ミホークの船は簡素な造りであるため、ガルムの乗る船は何だか物珍しかった。船に乗り込もうとしていたガルムを見ているうちに、ミホークの口は動いていた。


「またどこかで打ち合おう」

「……そうですね。機会があれば是非」


 ガルムが口の端を上げて笑ったのは、一瞬だけで、けれどその笑みに楽しそうな色を見つけたミホークもまた笑った。


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