普段ミホークが過ごしている部屋できちんとした手当てを終え、ミホークとガルムはあの一室にあったワインを開けていた。この国の特産物というわけではないようで、ガルムは「いいワインだったと思います」と曖昧な言葉を口にした。はっきりと言い切れないのはラベルが擦り切れてしまっているからだろう。
 口に含めば、芳醇な香りに深い味わいが広がった。単純に言えば美味い。飲んだときの一瞬の反応でわかったのか、ガルムは「気に入ったようですので、あとでワインをすべて出しておきます」とにこりともせずにワインボトルごと呷った。喉がワインを嚥下するのを確認したミホークが躊躇いもなく疑問を口にした。


「あの部屋の絵は、お前か」


 異様と形容するに相応しい部屋を埋め尽くしていた写真や絵の人物は、ミホークの目が正しいのであれば、どれもこれもガルムだった。すべて同じ無表情で構成されたそれらは、真正面からのものだったり、明らかに盗撮されたものだったりと様々なもので溢れかえっていた。どう見たって異常な光景にガルムはすこしも動揺しなかった。あらかじめ知っていたからだろうと検討はつくものの、それにしても冷静すぎるように思える。もっと言うのなら、それに対しなんの感情も抱いていないように見えたのだ。


「そうですね」


 聞かれたことにしか答えないのは、話したくないからなのか聞かれていないからなのか。剣を打ち合ったことしかないミホークにはわからない。だが打ち合った感覚として、ガルムは下らぬ虚飾や腹芸を好むタイプではないと感じていた。ならば疑ってかかることはせず、とりあえず聞くだけ聞いてみるのがいいだろう。


「何故あんなふうにあの部屋にお前の写真や絵がある」

「我が君の趣味です」

「ここの最後の王か」

「最後の王ですと、正しい表現とは言い切れません。最後に王座を取ったのは我が君ではありませんので。ですが王制において施政を行なう者を王と定義するのであれば、我が君を最後の王と称するのも過言ではないかと」


 些細な会話でしかなかったはずの質問から、新たな疑問を産んでしまった。わざと分かりにくく話しているのではないかと思うほどガルムの話はまどろっこしい。それに連なった情報も出す気がないのか、こちらが聞かなければ話す気はなさそうだった。まるで推理ゲームでもしているようで、ミホークはつい笑ってしまう。こんなふうに他人の言葉から何かを読み取ろうとするのは幾年ぶりか。
 隠しているそぶりが見えないことから、おそらくガルムは何があったのか、どういう意味かと問えば、答えを口にするだろう。それでは詰まらない。ミホークにとってこの国の終わりになど興味はなかったが、頭を使って何かを解くのもたまにはいいだろうと思えた。ならば、ミホークのすることはひとつだ。
 解答を提示される前に『“施政を行なった”最後の王』という言葉が持つ意味を考えてみるのも面白いだろう。もちろん『最後に玉座を取ったのは我が君ではない』という前提条件を忘れることなく、ひとつずつゆっくりと考えていく。幸い、考えている間ほどのワインはここにあった。

 単に『最後の王』ではなく『“施政を行なった”最後の王』。わざわざ条件をつけるということは“施政を行なった”ことに意味があるということだ。王が施政を辞めたということは、王制が滅びたのだろう。王以外の何者かが施政を行なったからこその、その言葉。今までの王制を覆される出来事といえば、そう。


「クーデターか」

「ええ」


 クーデターならば『施政を行なった最後の王』という言葉の条件を満たすだろう。クーデターを起こされ、のちに王以外の者が国の施政を行った。そこまではいい。しかし、である。そうすると前提である『ガルムの主は正確に言えば最後の王でない』という条件から、討ち滅ぼした何者かが玉座を取ったということになる。
 革命を指揮した人間が王座につくこと自体は珍しいことではなく、寧ろ全うであると言えるだろう。国という形を取る以上、基本は王制だ。だが、『施政を行なった最後の王』はガルムの主である。すなわち、正真正銘『最後の王』となったその王は施政を行なってはいないということになる。クーデターで玉座を奪った何者かは、施政を行う前に処分され、王制は廃され、国は民間の手に渡った──ということになるのだろうか。

 そこまで思考を進めて、ミホークは不意に考えを改めた。もしかすると、スタートが間違っていたのかもしれない。
 ミホークの考えの入り口はこうだ。『ガルムの主である王が、王として最後に施政を行なった者なのであれば、その後に施政を行った者は王ではない者である』。ゆえに、そのあとに民間人かそれに類する者による支配や施政が行なわれたと判断した。
 だが、言い換えればこうなる。『ガルムの主である王は、施政を行うことができた最後の王であり、その先に王座を取ることができた王は施政を行うに至らなかった』。ゆえに王制は滅び、施政は行われず、この国は滅びた。

 その考え方ならば、しっくり来た。それはそうだ。ガルムの言葉だけに囚われ過ぎて、純然たる事実を忘れていたのだ。この国はおそらく内乱でとっくに滅びているということを。

 良くも悪くも“施政を行なった”という言葉に引っ張られ過ぎてしまったのだろう。当然のようにそのあとも施政は行われたと判断してしまったのは軽率だった。あるいは『施政を行なった最後の王』による施政が行なわれなくなったらどうなるかをミホークは軽んじていた。あの一室の、ガルムに対する異常行動の印象が強すぎた。まともな人間であるとは思えなかったし、まともな王であるとも思わなかった。
 だが王は王だ。悪政もまた政である。王制を敷いていた国が王を無くしてまともに回るわけもなし、クーデターにおける犠牲が王ひとりであるとも思えない。クーデターが行なわれた時点で政を行える中枢はとっくに崩れ──そこで、いや、とミホークは首を横に振った。

 それにしては城の状態があまりにも綺麗すぎる。王制を覆すようなクーデターが起きたにしては、城を破壊したような跡は残っていないのだ。のちに内乱を引き起こすほどのクーデターで、城内へ侵入した形跡がないのは不自然ではないだろうか。ガルムの主は王座を追われているというのに、調度品に関しても強奪や破壊が行なわれたようには見えない。クーデターを起こすほどの感情の痕跡さえ、この城にはなかった。王制への恨みが存在していなかったと第三者のミホークに感じさせるほどに。

 それでも『最後に王座を取ったのは我が君ではない』『クーデターはあった』と断言している以上、確実にガルムの主はクーデターを起こされ、誰かが王座を取ったことは間違いない。とすると、考えられるのは……。


「もしや……同じ王族によるクーデターか?」

「はい。我が君の兄にあたる方による謀反、と言えばわかりやすいでしょうか」


 ガルムの返答でミホークには大体の疑問が解けてしまった。クーデターは圧政や悪政に反発した民によるものではなく、王兄による王位の簒奪が目的で他の権力者たちにも手を回していたのだろう。そうなれば、城が綺麗な理由も納得できる。根回しされた政権交代で流れる血など、たかが知れているというもの。
 そうして一度は目的を達したため、王兄は『王座を取った』が何者かにより殺されたか、あるいは処分されたがゆえに『最後の王』となり、王を失った国は指針の決定権をさまよわせ、空白の王位を得るために内乱へと発展し、もろとも崩壊した。だからこそガルムの主は『施政を行なった最後の王』になり得た。これならばおおよそ筋が通るだろう。

 そこまで行けば、納得できれば、途端にミホークの興味はクーデターから逸れた。別段、ミホークはこの国が滅びた経緯には興味がないのだ。
 反対に、ガルムがどういう立場にいた人間なのかは気になった。ただの好奇心と言ってしまえばそれまでだが、この国ではガルムのような剣士を育てる環境があったのかもしれないのだから、剣士として気になるというものだ。
 ガルムは王の次に狙われるであろう“お気に入り”でありながら、国が滅ぶほどのクーデターを生き残った。自分と対等に渡り合える可能性のある剣士なのだから、生き残れて当然という考え方もできるが、クーデターや内乱は剣士としての腕だけでは測れないものもある。であるのなら、気にならぬ方がおかしいというものである。


「それでお前は、どういう立場だったのだ?」


 剣の腕を考えれば、王の護衛だろうか。あれほど執着されていたのなら、一兵士から顔を好かれて引き抜かれたと考えることもできる。
 だが逆に疑問も湧いてくる。護衛であるのならばクーデターの折り、主を逃がす程度のことはできたのではないだろうか。事実として、ミホークは世界最強の剣士である。そのミホークと渡り合えるだけの力をもってすれば、王位の簒奪など暴力で解決に持ち込めそうなものだが……。そんな考えは、ガルムの言葉の衝撃で綺麗に吹き飛ばされてしまった。


「『イヌ』ですね」

「……気のせいか? 今、イヌと聞こえたのだが」

「ええ、その通りです。政府の狗と言いますでしょう。ああいったものと同じです。この国では役職という表現が一番近いと思われます。いうなれば王位継承権を持つすべての王族一人一人に存在する、その方のためだけに尽くす側近です。それらを総称して『イヌ』と呼びます」


 あるいは、どうでもよくなるほどのインパクトだったとも言える。『イヌ』。善人とは到底言えないミホークであっても、なんとも人権を無視した役職名だと呆れてしまった。
 ともあれ、これでガルムの強さのタネは割れたと言ってもいい。要するに、精鋭になるべく育てられたから強い、である。なんとも面白みのない答えだったが、もう少しだけ突っ込んで聞いてみることにした。


「『イヌ』とはそんなに強いものなのか」

「いえ、王位継承争いにより蹴落とし合いがありましたので、そこで自然と弱い者が淘汰されるだけで、無論、弱い者もおりましたよ」


 さながら蠱毒か。好敵手とも言える相手に出会えたことにミホークは感謝するものの、やはり滅びて当然の国だったようだとため息をついた。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -