「そういえば名乗るのを忘れていました。海軍本部大佐、ガルムです。今後お会いすることはないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」 城に入る直前になって無表情の男──ガルムはそう名乗った。ミホークはそれにうなずき、けれど自ら名乗ることはしなかった。相手は海軍本部の大佐である。七武海の顔や名前などわかりきっているはずだ。ガルムはミホークの態度に気にしたふうもなく、城へと足を踏み入れた。何かを目的に帰ってきたわけでもなかったため、ミホークもなんの気なしにガルムの後ろを着いていく。 海軍本部の大佐の名前などミホークは誰一人として知りはしなかったし、無論、ガルムのことも知らなかった。興味がないのだから当然と言えば当然のことだが、あれほど力のある剣士ならば自分の耳に届いていてもいいだろうにとひとり首を傾げた。そもそも何故大佐などという階級に収まっているのか不思議でならない。初めから全力であったわけではないが、全力を織り交ぜたミホークと五日間も渡り合えるだけの力を持っていながら、どうして大佐なのか。ガルムという男の持つ力には相応しいものではない。 「剣士として、お前の名を聞いたことがないが」 「自分の名など広まるわけもありません」 「腕はあるだろう」 「それは自分では判断しかねますが、そもそも公務において剣を使う機会はそう多くありません。剣を腰から下げているのは敵方を牽制するためですから」 ガルムのその発言にミホークは足を止めた。よもやそこまでの腕を持ちながら、どうして剣を振るわないのか。あまりにも勿体ないではないか。 ミホークが足を止めたことに気が付いたらしいガルムも足を止め振り返る。ガルムはミホークの顔を見てその疑問を理解したようで求めていた答えを口にした。 「剣を抜くより殴った方が早いでしょう」 正確に言うのならば求めていた答えではなかったのかもしれない。能力者ならば余計に、と言葉を付け足したガルムに、ミホークはまた疑問を持った。剣士であるのならば剣に覇気を纏わせて切りつけた方が余程効果的であるはずだ。元の切れ味に覇気の力が加わり、しかも素手より距離を取れるのだからどう考えても剣を使ったほうがいいだろう。ミホークの使う夜相手に量産品だろうバヨネットで刃こぼれひとつしなかったガルムの覇気ならば何ら問題はないというのに。 話せば話すだけ謎の深まるガルムをじいと見ていたものの、ガルムはミホークがそれ以上の疑問を投げかけてこないので歩みを再開させた。ミホークもそれに従うように歩いているうちにふと気が付いた。ガルムの足は迷うことなく城の中を歩き回っている。これは知っている者の歩き方だった。 「この国の出身と言っていたな」 「ええ」 「城に出入りしていたのか」 「出入り、と言いますか、ずいぶん昔は住み込みで働いておりました」 今度は概ね納得の行く答えを得てミホークはうなずいた。これ以上疑問を増やされては堪らない。久しぶりに戻ってきた故郷が何もなくなっていて、当然元の家もなく、以前勤めていた城にでも来たかったのだろう。生憎城にはミホークが手を入れているため、ガルムが働いていた当時のままということはないだろうがそれでも思い出には浸れるはずだ。しかしガルムという男は、ミホークが後ろから観察している限り辺りを見渡すこともなければ感慨に浸ることもなく、ただどこかを目指して歩いているだけなのだ。 そういえば、とミホークはガルムの言葉を思い出した。ガルムは探しているものがある、というようなことを口にしていたのだ。それがなんなのかミホークには検討もつかないし興味もあまりないことだったが、剣士としての腕があるガルム自体には興味がある。ここまでのように暇つぶしがてら着いていくのは悪くないと思った。 しばらくしてガルムが足を止めたのは城の地下にある部屋の一つだった。鍵穴もないのだが、どうしてか鍵がかかっているようで開かぬ部屋である。ミホークも開けようとしたことはあったが開いたことは一度としてない。それどころかこの扉、厄介なことにドアノブを回すと中から針が飛び出てきて手のひらに傷を負うという面倒な作りになっている。剣で扉を切り捨ててもいいのだが、そこまで気になるわけもなく無理に開けようとも思わなかった。 「その部屋の扉は開かんぞ」 ミホークはそう言いながらも、もしかするとここが宝物庫か何かでガルムはそれを狙いに来たのかもしれない、となんとなく思った。城で働いていたのならば宝物庫の場所くらい知っていそうなものであるし、仮に知っていたのなら滅びた今どうなっているのか知りたくてということも考えられる。それではまるで海兵には似合わぬ思考だろうが、人間とは往々にしてそういうものである。 「いえ、開きますよ。開け方があるので」 「ほう」 もし中が宝物庫だとするならば開け方を知っているガルムは、ある程度の地位を持っていたのかもしれない。ただの宝物庫番だとしても信用されるだけのものはあったということだ。 ガルムがドアノブを握る。そのままだと手のひらに刺さるというのに、ガルムは躊躇いもなくドアノブを回しきり、手の甲に鋭い針が突き出てしまっていた。針の出るところはわかっているだろうに、そこを避けて回せばいいものをこいつは馬鹿ではなかろうか。しかしそのまま力を込めて押せば、あれほど開かなかった扉がなんの障害もなかったかのように開いた。 「……これは」 ミホークのわずかばかりの驚きは、扉が開いたことに対してではない。その扉の向こうにあまりにも異様な光景が広がっていたからだ。同じ人物の写真や肖像画が壁や天井に所狭しと敷き詰められ、置き場のなくなったものは膨大な量の本と一緒に端に詰まれていた。額縁に収められたその男は、にこりとも笑っていない。 ガルムは部屋の中身を知っていたのだろう。夥しい写真や肖像画には目もくれずその部屋に入っていき、すぐに目当てのものを探し出したらしい。その手には刀のようなものが握られていた。黒漆に銀の拵えは美しく、護拳がついているためサーベルに近いものだと推測できる。ガルムが先ほどまで使っていた量産品のものとは違い、誰かのために作られたものだと一目でわかるほどのものだった。反対側の手にはワインボトルが二つ。 「飲みますか?」 ミホークが見ていることに気が付いたガルムは、額縁の中とまったく変わらぬ無表情で首を傾げた。 |