明日も仕事があるというアイスバーグさんを送っていき、帰路についたのは十二時を過ぎた頃だった。別段疲れという疲れがあるわけではなかったが、服に酒の臭いが染みついているような気がして早く風呂に入りたかった。宿に着いて、受付の従業員に軽く挨拶をしてから部屋に上がる。……早く風呂に入りたいんだが、な。ドアを開いた途端、音もなく突っ込んできた男の刀を受け止めるべく、腰を落とし、指先でぴたりと受け止めてから電気をつける。見知った顔が二つ、そこにはあった。


「何かご用ですか?」


 おれに刀をふるってきたカクとそれを静観していたロブ・ルッチである。二日目にして部屋に侵入されるとは思ってもみなかった。ロブ・ルッチは仕事に忠実になったと聞いたし──とはいえ、さほど驚くことでもないし、むしろ納得できる範囲だった。おれが何か余計なことをしないかと思っての牽制、そしておれが似たような任務を受けていないかを確認に来たということなのだろう。……ジャブラにそそのかされて来てしまったが、おれの行いはすこしばかり軽率だったと言えよう。こんな面倒事を起こすことになるとは。おれが手を離すと、カクは刀をしまってため息をつく。ため息をつきたいのはおれの方だ。


「刀を抜きもせんか。つまらんなァ」

「ここで刃傷沙汰を起こしたら困るのはあなた方ではありませんか」


 生憎負けるつもりはない。が、倒してしまうのも面倒を引き起こしかねないことだということはわかっている。騒げば女将さんが来るだろうし、そのときおれはともかく真っ黒な服に身を包み変装風であってもカクやロブ・ルッチたちは顔を見られれば面倒なことになるはずなのだ。暇なのかもしれないが、船大工になりきるという任務ならそれに殉ずるべきではないか。……とまあ、部下でもないこいつらにおれの理念を押し付けるつもりはない。
 壁に寄り掛かったままのロブ・ルッチがおれ単体に目線を向ける。目があった。印象はさほど変わっていない。鋭いままのロブ・ルッチだった。


「ガルム、何をしに来た」

「休暇である、とカクさんにはお教えしたと思いますが」

「……仕事以外にすることのないお前がか?」

「ゆえにその休暇を持て余しているため、ウォーターセブンを勧められ参った次第です」


 本当にすることがなくて暇すぎてここまできたのだが、それがよかったのか悪かったのか、今となってはよくわからない。少なくともアイスバーグさんと話せたことはプラスになったと言えるが、こうしてロブ・ルッチと再会してしまったことは後々の遺恨となる恐れがあり、面倒事に間違いなかった。だからこそ断言しておく必要がある。


「ご安心を。船が用意でき次第すぐにこの島から出ていくつもりです。必要以上の関わりは持ちませんし、あなた方の素性を悟らせるような真似もいたしません」


 逆に言えば必要最低限は関わることになるんだが、まあ、ほんの数日のことだ。アイスバーグさんに与える影響はごくわずかだろう。ここにいたって面白いことはそんなにないし、アイスバーグさんに会わずとも早々に出て行くつもりだったのだし、これ以上どうこう言われても困る。仮に重要な拠点だというのなら、おれではなくジャブラの方に文句を言ってほしい。ジャブラがあんなことを言わなければ、どれにも興味があったわけではないのだから一択ではなく複数の中から適当に選んだことだろう。
 おれの断言にロブ・ルッチの眉間に皺が寄る。不機嫌な顔をされたところで、おれはロブ・ルッチの機嫌取りをするつもりなどない。今後の仕事に差しさわりが出るというのならまた別だが、これは子供が癇癪を起しているのと大して変わらないものだと判断したためだ。ロブ・ルッチという男は、存外わかりやすい人間である。
 そろそろお帰り願いたいものだな、と思っていたら、不意に電伝虫が鳴き始めた。なんとまあ、タイミングの悪い。出ろとばかりに視線をよこされて、ため息をつきたい気持ちを押さえながら電伝虫に近寄ってその電話を取った。


「はい、ガルムですが」

『おう、おれだ! 昼間出れなくて悪かったなァ、ガルム!』


 本当に間の悪い男だ。近くに立っていたロブ・ルッチの眉間のしわが大変なことになってしまっている。カクはぽかんとしていたかと思うと「ジャブラァ!?」と驚いて声を出していた。それに反応して電伝虫がぎょっとしたような顔をする。『な、なんでカクがそこに!? まさか化け猫も……!?』。二人とも声がでかい。少しため息をついてから声を発する。


「もう夜中なので、お二人とも声を落としていただけますか?」

「あ、すまん」

『そうか、悪ィな。こっちはいつも昼間だから、すっかり忘れてたぜ』

「なぜ野良犬がガルムと繋がっている?」


 まあ、そうなるよな。ロブ・ルッチの不機嫌さがどんどんと増していくし……確実にジャブラがおれに任務先をバラしたことはバレたんだろう。基本的にはおれに非はないので、ジャブラを庇うような真似はしない。『あァ? てめェには関係ねェだ狼牙』とジャブラは喧嘩越しだ。相変わらず仲は悪いらしい。別におれはどうだって構わないのだが、ここは借りてるとは言えおれの部屋だ。用件だけ済ませてさっさと出ていってほしい。
 ぎらりとロブ・ルッチに鋭い目を向けられる。睨まれるようなことをした覚えはない──と言いたいところだが、多少なりとも引っ掻き回しているという自覚はあったので自主的に口を開くことにした。


「ジャブラさんとはプライベートでのことですので、あなた方の任務への影響はないかと」

『そうだそうだ! てめェにゃ関係ねェんだよ!』

「ジャブラさん、声のトーンを落としてください」

『あ、悪い』


 この人は本当に学習能力ないな……このまましゃべっていても埒があかないし、おそらくまたでかい声を出すので「ジャブラさん、お話はまた明日にいたしましょう。何時頃なら大丈夫ですか?」と切り出した。電伝虫はジャブラの真似をして悩んだような顔をしたあと、『そうだな……朝の十時くらいか』と返答。それにうなずく。


「ならばそのように。それでは失礼いたします」

『おう! じゃあな!』


 だから声がでかいと何度言えばわかるんだ。言っても無駄だとわかっているからこそ、何も言わずに電話を切った。電伝虫からロブ・ルッチへと視線を向ける。これ以上にないほど怒っているようだった。それがおれとジャブラに向かっていることは明白だ。悪いのはおれじゃなくてジャブラだと思うんだがな……。ため息をつきながら一度目を閉じて、開く。そんなことをしている間に機嫌がよくなるようなことは、決してなかった。


「夜も遅いですし、話も済みました。そろそろ出ていってはいただけませんか」

「…………」

「そうじゃなァ。ルッチ、今日のところは退散しよう。それじゃあな、ガルム」

「はい、さようなら」


 窓から二人が去っていく。気配が消えたことを確認して、窓を閉めた。ロブ・ルッチは少しも変わっていないようだった。不機嫌になると黙り込むところや、相手が悪いと詰るような態度など、ひどく懐かしさを感じさせた。あの感情の起伏が激しいところを見るとつくつぐ暗殺者は似合わないのではないかと思ってしまう。


「まあ、だからなんだという話だが」


 クザンさんの部下ならともかくおれはサカズキさんの部下であり、もう二度と会うこともないのなら、気にする意味もないだろう。特に必要のない情報は脳内から追い出す。いい加減酒の臭いが煩わしい。風呂に入って、歯を磨いて、今日ばかりはさっさと寝てしまおう。


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