アイスバーグさんに連れられてやってきたのは、先ほどの騒いで飲めるような場所ではなく、ゆっくりと腰を据えて酒を飲めるような場所だった。アイスバーグさんがこの街では有名人だからか奥の部屋に通される。適当に酒を頼んで、軽く世間話をして酒が運ばれてきて、これ以上誰かから接触されることのなくなった。すると予想通り、アイスバーグさんは言葉の奥に含みを持たせて聞いてきた。


「そういや、ガルムは何の仕事をしてるんだ?」

「海軍に所属しております」


 おれが正直に答えるとは思っていなかったのか、アイスバーグさんは軽く目を見開く。わかりやすく驚いてます、という顔をしていた。それからすこし目を細め、「海軍本部の大佐“猟犬”ガルム……お前のことか?」と聞いてきた。まさかおれのことを知っているとは思っていなかったが、しかしそれで合点がいった。
 アイスバーグさんの周りにはコーギーさんのような政府関係者がうろついているのだ。そんな中、部下の周りに海軍本部の大佐が現れた。しかも素性を明かしているわけではなさそうだ。もしかするとアプローチの仕方を変えてきたのではないか。──そんなふうに思っているのだろう。勘繰り過ぎだが警戒心を持つのは悪いことではないし、アイスバーグさんの考え自体には好意を持てる。そしてその件に関わって仕事をしているわけでもないし、嘘をつく必要はどこにもなかったおれは、一つうなずく。


「その通りです、自分は海軍本部大佐“猟犬”ガルムに相違ありません。ご存じだとは思いませんでした」

「……船を直したことがある。直接会ったことはねェがな」

「なるほど。盲点でした」


 さすが船大工、とでも言えばいいのか。おれの乗っていた船はガープさんが一度壊したので、その間別の船に乗っていたこともある。そのとき直したのがアイスバーグさんだったのだろう。誰の軍艦だ、なんて機密情報だからバラしたらまずいのだが普通に漏れているようだ。船大工が恨みを持っていたら何をされるかわかったものではない。本部に帰ったら下っ端まで情報管理の徹底をせねば。
 そんなことを考えていると、アイスバーグさんは思い切りため息をついた。腹の探り合いをするつもりが、正面切っての殴り合いに変わってしまったようなものなのだろう……彼の中では、の話だが。おれは何をしに来たわけでもないのだから、それらの心配は本来すべて無用なものなのだ。酒を手に持ったままふらふらと揺らしていただけのアイスバーグさんは、ゆっくりと顔を上げておれを見た。


「パウリーに何故近づいた?」

「別に近づいたわけではありません。どちらかというと、彼の方から、です」

「じゃああんな大金を渡した理由は?」

「ギャンブルはあくまでも暇潰しに行っていたものです。旅先で大金を抱える趣味はなく入用でもないのでもとより捨てるつもりでした」


 アイスバーグさんはおれの答えに難解なものを見るような険しい顔をしていた。尋問を受けているのはおれのはずなのに、それではいけない。問いかける側は常に優位であり続け、余裕を持っていなければならない。底が見えた相手に虐げられるような馬鹿はいないのだから。
 「一つ、忠告なのですが」。おれの言葉にアイスバーグさんは警戒心を強めた。今更、という感じがしてため息の一つでもつきたくなる。つかないし、つきたくなっただけだけれど。


「もし、自分の存在を怪しんでいるというのなら、こういった単独行動は避けるべきだと思います。ましてや本部の海兵だとわかっているのなら戦力差は明らかでしょう。この狭い空間に二人きりなど自殺行為です。あなたはご自分の価値をもう少しきちんと理解すべきかと」


 市長であり社長でもあるアイスバーグさんが死のうものならウォーターセブンの経済や治安は一気に悪化することだろう。そうすれば海軍や政府の介入する隙をこれでもかと与えることになる。それでおそらく政府の欲している何かは手に入るのではないだろうか。そんな強硬策に出る可能性を少しでも匂わせない方がいい。
 驚いた顔をしたままのアイスバーグさんに、「申し訳ございません。出過ぎた言葉をお許しください」と一応謝っておく。おれには関係のないことだし、首を突っ込む気もない。だがウォーターセブンが無用に荒れることなど避けねばならない。アイスバーグさんの首にはそれだけの価値があるのだ。


「……ふ、ははは! やめだ、やめ。馬鹿らしくなっちまった」


 目を見開いて驚いていたはずのアイスバーグさんは目を細めて、笑っている。さきほどまでおれのことを疑っていたとは思えないほど、随分とあっさり疑うことをやめてしまったようだ。「いいんですか?」と問えば、アイスバーグさんは口をつけていなかった酒を呷り、笑いながらおれを見る。


「ンマー……大体、近づくにしたって杜撰すぎるとは思ってたんだ。大金を簡単に差し出すってのはそれだけで十分怪しいしな。本気で近づく気ならあんな手は取らねェはずだろ?」


 ごもっともだ。というか、そもそもそんなスパイみたいな役回りはおれには回ってこない。仕事として命じられれば勿論できる限りのことはやるつもりだが、諜報機関でそういうことを学んだ人間だっているし、海軍の出る幕ではないだろう。実際にCP9たちは社員としてもっと深部まで入り込んでいるのだ。ご愁傷様、という感じだろうか。諜報機関の連中について詳しく知っているわけではないが、ロブ・ルッチならうまくやるはずだ。状況を把握してはいるものの、政府の邪魔をするわけにもいかないのでアイスバーグさんに忠告をしてやることはできない。


「それで? 仕事人間らしい“猟犬”がなんでまたウォーターセブンに?」


 今度は探りを入れる、というより、ただの世間話のようだった。むしろおれが話したくないことなので、こちらの方が心をえぐってくるのだが、彼に悪気があるわけなどなく「……休暇を取らされまして」と正直に答えた。言い回しがしっくりこなかったのか、アイスバーグさんはしばし考えた後、納得したようにうなずいた。


「仕事のしすぎて無理やり休暇を取らされたのか。どれくらい取らされたんだ?」

「…………ひと月、です」

「ひと月!? ……体のいいクビ、じゃねェんだろう? お前一体、何したんだ」


 普通の仕事で一か月の暇を出された場合、それはクビだろう。それくらいひと月の休みというのはありえないものだった。海軍は普通の仕事よりも厳しく、まとめて休みを取るのが難しい職種だ。にもかかわらず、おれはひと月も休み、何かしたのだとバレても致し方のないことだった。
 おれが黙り込んでいると「あー、言いたくねェんなら無理に言わなくていいからな」とあきらかに気を遣わせてしまったようなセリフがアイスバーグさんから飛び出した。そのお気遣いをありがたくお受けして何も言わない、というのもありなのだが、聞いてもらった方がいいのではないかと思った。こういう上の立場の人間に話を聞くべきではないのか、と。上官たちに聞けばいいとも思うが、ただでさえ迷惑をかけているのにこれ以上の醜態は晒したくない。


「……誰にも言わないでいただきたいんですが、」

「え? ああ、わかった。ほかのやつには言わないと約束する」


 周りにCP9などの気配がしないかどうか、軽く確かめる。隠れているような気配もなければ、聞こえる位置に誰かが潜んでいるということもなさそうだった。ロブ・ルッチに至ってはわかりやすいので確実に近辺にはいないことがわかる。一つ息を吐いてから事情を話すことにした。


「実は、部下を潰してしまいまして」

「潰す……?」

「簡単に言いますと、自分が一度も休みを取ってこなかったため、部下たちに限界が来た、という……非常に情けない話でして。今回の休暇も自分の休暇というよりは、自分が休暇を取ることで部下たちにも休暇を取らせるというものなのです」


 アイスバーグさんはおれの話を聞いて、なんとも言えない顔をした。それから「ンマー……そりゃあまずいな」と苦笑い。上に立つものとして、何か思うこともあるのだろう。聞き役になってくれる相手というのは滅多にいないため、つい、愚痴を吐くように、ぽろっと言葉が漏れた。「正直、自分には上に立つということが向いていないのでは、と思います」。サカズキさんやモモンガさんの下についているときは何の問題もなかった。しかし大佐になり、隊を任されるようになり、人が続々と抜けて行った。おれはそれが悪いことだということにすら気が付かなかったのだ。


「向き不向きは誰にでもある。お前の言うとおり、上官向きの性格じゃあないのかもしれないな。だがな、お前には力がある。海軍で一番必要な上に立つための条件だろう? 持つものが変わる努力もしねェのは、ただの責任逃れだ」


 アイスバーグさんの言葉は、厳しくも正しい。おれは変わろうとしていないのだ。変われと言われても、困る。「違うか?」。優しく笑いながら問われた言葉に首を振りながら「いいえ、その通りかと」と答える。しかし、それがわかったところで簡単に変われるようなものではない。どうしたものか。結局のところ、堂々巡りにすぎないのだ。悩んでいると、アイスバーグさんは快活に笑った。


「時間はあるんだろ、悩みゃあいい」

「そう、ですね。頑張ってみます」

「ンマー……そんなふうに気負う必要はねェんだがなァ。あ、そうだ、遠くないんなら里帰りってのもいいかもな。初心に帰るってんじゃあないが、新たに見えてくるものもあるかもしれない」

「里帰りですか」


 故郷か。帰る用もなかったし、別に待っている人もいないから、帰ろうと思ったことは海軍に入って以来一度もなかった。そんなに遠くもないし、今どんなふうになっているかを見に行ってみてもいいかもしれない。誰も手入れしていないだろうから墓参りもした方がいいだろうし、存外時間も潰せるし、悪いことではない。ただ、故郷に向かう船などあるわけもないので、どうにか足を調達しなければならないことになるだろう。となれば、目の前にいる人に相談するのが一番か。


「あの、一人用の船は取り扱っておられますか?」

「売ってるが……まさか、一人で行くのか? グランドラインを一人で航海するのがどれほど危ねェことかは……いや、野暮だったな。明日、ガレーラの方に顔を出してくれ。どんなものにするか決めよう」

「お気遣い、ありがとうございます」


 ……アイスバーグさんはとてもいい人だ。政府の情報を漏洩することはできないが、できることならば死んでほしくはないな、と思った。


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