ガルム大佐、と言えばそれなりに有名な海兵だった。「絶対的正義」を掲げ、海賊からだけではなく民衆や同じ海兵からも恐れられている大将赤犬の懐刀であり、海賊の捕縛率が非常に高い優秀な海兵だからだ。しかし海賊や民衆たちに有名なのではない。海軍の中で、一際有名なのである。

 ガルムはあまりに優秀すぎた。元々の基礎体力や戦闘技術の高さだけではなく頭の良さと優れた観察眼に分析力まで揃った超一級品と言えるガルムだったが、ガルムを表すときに必要な事柄はただ一つ、おそろしいほどのストイックさであった。
 不眠不休で働くことなど当たり前で、限界ギリギリまで働き続けてやっとほんのすこしの休息を取る。そしてそれを部下たちにも強いた。勿論、観察眼の優れているガルムは、自分と同じように部下たちが動けないことはわかっていた。だからこそ彼ら個人の限界を見極め、その上で行えるすべてを強要した。

 ひとたびガルムと遠征に出れば部下たちは見違えるほど使える海兵となって帰ってくる。それは上層部の誰もが理解していることだ。
 けれども、ガルムは辛いと感じることが稀で、当然のように部下たちの辛さをわかってやることはできない。そのため、心の弱いものからガルムの隊を辞めていき、ガルムの隊は常時人手不足に陥っている。しかも辞めた人間が「大佐のことは尊敬しているし、いい人なのはわかるが、あの隊には二度と配属されたくない」「地獄だった」「無理」などと口を揃えて言うものだから、ガルムの隊への入隊希望者はおらず、残った者たちも時折体調を崩しては減っていく一方だった。そこにガルムの隊の副隊長とも言える男が不調であるらしいという噂が入ってきてしまえば、休暇を与えないわけにはいかなくなったのである。

 海賊が増え続ける世の中において海軍はただでさえ慢性的な人手不足だ。苛烈なガルムについていけるだけの有能な人間を潰すわけにはいかなかった。

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 そうしてガルムの休暇を命じることになったつるは、呼び出したガルムの姿を見て思わず顔をしかめた。上官であるつるが帰還と同時に呼び出したからこそ急いできたのだろうが、ガルムの格好があまりにも酷かったからだ。
 まだらに錆色の染みが付いた白いコートと乾ききって髪に張り付いている血の塊からは、彼の仕事ぶりとサカズキを思い出させた。捕らえられた海賊たちにはさぞや根深いトラウマを植え付けたに違いない。──苛烈。その言葉がぴたりと似合う。


「申し訳ございません。一度着替えてから出直します」

「いいや、気にすることはないよ」


 格好とは反対に、「ありがとうございます」と頭を下げた姿はサカズキとは似ても似つかない。上官や年上だけでなく部下にさえ礼儀正しいガルムは鬼のような仕事ぶりと無愛想とも取れる無表情からは想像できぬほど周りに敵を作らない。それに引き替え若い頃のサカズキと言ったら自分の認めた人間以外には決して頭を下げようとしない問題児で上官には生意気だと嫌われ、同期にはやっかまれ、部下には恐れられた。
 似ているのは潔癖とも言える海賊への措置であり、それをもたらす性質でもあった。そうなったのがサカズキの下についていたから、という理由でないところが最もおそろしいところだ。つるはため息をつきながら、辞令の書かれた紙を差し出しガルムに告げた。


「働きすぎだよ、休みな」

「いえ、自分には不要です。きちんと休息も食事も取っていますし、疲労感もありません。人手も不足しており、自分が急に抜ければ部下たちも困ります」


 わかってはいたことだが、あまりにも予想通りの言葉が返ってきて辟易とする。人手が足りないのはガルムのせいもあるというのに、本人が全然疲れないせいで、彼らの苦痛がわからないのだろう。きっと誰も言わなければ一生そのままだ。しかも休めと上官であるつるに言われたところで、まるで休もうという素振りを見せない。おそらくつるに言われようがセンゴクに言われようが、ガルムは口先でどうにか誤魔化して絶対に休もうとしない。ワーカホリック、最早一種の病気だろう。
 いつもならば少しでも人手がほしいゆえに誤魔化されてやるところだが、今回ばかりはそうはいかない。すこし深いため息をつきながら、ガルムにとって絶対的な者の名前を呼んだ。

 ドアが開いて現れたのは、大将赤犬──サカズキだった。そのサカズキに向かってすかさず敬礼したガルムからは、先ほどまでとはあからさまに違う空気が漏れ出していてつるは笑ってしまいそうになった。
 ガルムと言えばまるでやっと飼い主に会えた犬のように嬉しそうなのである。尻尾があればサカズキに対しこれでもかと振っているであろう。口にすることはなかったが、的を射ていると思う。相変わらずガルムは無表情のままだったが、サカズキといるときばかりはわかりやすい。長年一緒にいる人間くらいにしかわからない些細な変化だったとしても、だ。


「ガルム、お前は一月休暇じゃ」

「は、──い?」


 サカズキの言葉で一分の隙もなかったガルムの無表情が崩れる。ぱちぱちとまばたきを繰り返していた。サカズキがその顔を見てため息をつくとガルムは完全に萎縮してしまった。顔の造作が綺麗なだけに影で能面だなんて呼んでいる連中が見たらさぞ驚くことだろう、と思ってつるは薄く笑った。


「情けない顔をするな。お前が休まんけえ下も休めんとちらほら潰れちょる。やけえちっと休め言うとるんじゃ」

「……そう、でしたか」

「ああ、あんたが休まないから部下たちも休めないのさ。だからあんたのとこは人が入れ替わり立ち替わりだろう?」


 サカズキの言葉に追い打ちをかけるように言葉を続ければ、全く予想していなかったのか、ガルムは驚き、そして落ち込んだ。やはり気付いていなかったのか、とため息をつきたい気分だったが、眉が八の字になってしまうほど久々に変わったガルムの表情に、つるは自分の孫でも見ている気になって意図せずフォローを入れてしまった。


「残念ながらあんたについて行けるやつばっかじゃないんだ。まあ、あんたのとこにいた連中はどこに行っても使える連中になってはいるけどね……」

「じゃが、使い潰されるんは困る。本日付けでお前の隊は丸ごと一月の休暇じゃ、これは決定で命令じゃけえ、ええな」


 つるのフォローなどなかったことにしてしまうようなサカズキの言葉に、ガルムは心の底から申し訳なさそうな顔をして頭を下げて命令と辞令の紙を受け入れた。普段全く表情のないガルムがそんな顔をしているとなると、つるは自分が悪いことをしているような気になってしまったのだが、フォローをしても休職は覆らない。
 ガルムが部屋から出ていったのち、サカズキが厳しい顔をしてぽつりと言った。強い気持ちのこもった声だった。


「使えんやつは、潰しゃあええんじゃ」

「サカズキ。それをあの子の前で言うんじゃないよ」


 つるがサカズキをたしなめるが、サカズキはふんと鼻を鳴らして出ていってしまった。最後までガルムの休暇に反対していたのはサカズキだ。似た性質を持ち、期待している部下の気持ちを理解できるからこそであったが、潰せばいいと言ってしまうところを見るとやはりサカズキの方が過激だ。これからガルムもああなってしまうのかと考えて、つるの頭は痛くなるばかりだった。


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