当時、任務以上のことをしでかすルッチに手を焼いた上層部が、海軍との話し合いの末に呼び出したのがガルムという男だった。若干十代の海兵を連れてきた青雉に失笑が集まったことはよく覚えている。あんな男に何ができるのか。ガルムの容姿がとても整っていたこともあり、若い燕ではないかと笑われていた。ルッチもおれも鼻で笑ったうちの一人だった。しかし当の本人たち──青雉もガルムも何を気にしたふうでもなく飄々としていた。青雉に背を押され前に出たガルムは、深々と頭を下げて顔をあげる。緊張している素振りなどまるでないその姿が少尉であるとはとても思えなかった。


「この度、ロブ・ルッチさんの教育係を仰せつかったガルムと申します。短い間になるでしょうが、どうぞよろしくお願いいたします」


 ──どちらがロブ・ルッチさんでいらっしゃいますか?
 聞いたガルムに「海軍は資料も用意してねェのか?」なんて軽口。煽り。嘲笑。そういったものにこれといった反応を見せることもなく無表情を貫くガルムは、軽口を叩いた男の方を向き、綺麗に頭を下げてみせた。


「申し訳ございません、急なお話だったもので」

「ていうかさ、そもそも資料も何も情報すらまともに回ってきてないんだけど。おれたちは依頼されて来てんだから資料用意すんのはそっちじゃねェのか?」


 海軍中将の中でもトップレベルの実力を誇る青雉がそう言ってため息をつけば、誰もが言葉を濁して黙るしかなくなった。それもこれもまっとうな意見だったからだろう。依頼しておきながら資料を用意していない不手際は海軍側ではなく、むしろ政府側にある。政府の連中が萎縮する様を見て、おれは笑う。どっちもどっちじゃあねェか、阿呆くせェ。


「それで? ロブ・ルッチってのはどこのどいつなわけ?」


 青雉の言葉にルッチが一歩前に出た。無遠慮な視線をガルムと青雉に向け、はっきりと教えてもらうことなどないという旨を口にした。それに対してガルムも上からの命令だから言うことを聞くべきだという意味の言葉をオブラートに包んで言った。けれどルッチは「少なくともお前に教えられることなど何もない」と蔑んだ視線を向け、「弱いやつにはな」と言葉を付け加えた。おれがもしルッチだったら同じように断っただろう。自分より権力もなくば戦闘力もない男の下につくことは屈辱か、はたまた不快なだけだ。


「あらら、面白い冗談言うじゃない」


 青雉はルッチの言葉を聞くなりへらへらと笑って見せる。ガルムの方がルッチよりも強いと言いたいらしい。おれほどでないにしろ、ガキであろうともルッチは強い。そんじょそこらの海兵、ましてや少尉なんてレベルの人間にやられるようなやつではない。青雉の態度が不快だったのか、ルッチは眉間にきつい皺を寄せた。
 気にしたふうでもなく、青雉は「それじゃあこうしよう」だなんて言って提案をしてみせる。実力を見るための、床に相手の膝をつかせれば勝ちという簡単な決闘だ。ルッチが勝てばガルムはお役御免、青雉は任命責任を取る。ガルムが勝てばルッチは素直にガルムの教育を受けねばならない。ルッチはにたりと笑ってそれを了承した。


「ガルム、わかってるとは思うけど殺すなよ。だけど再起不能にしなきゃあ好きにやっていい」

「クザン中将、ご心配なさらずとも大丈夫です。これから教える相手を壊すつもりはございません」


 そういう会話をしている二人を周りが鼻で笑う。床に相手の膝をつかせれば勝ちというルールは向こう側にしてみれば失敗だ。おそらくルッチは膝をつかせぬままぼろぼろにいたぶるだろう。
 おれはこのときはじめてガルムという男を哀れに思った。実力の伴わないことをさせられて、死にたくなるようなトラウマを植え付けられることになるはずだ。殺されなきゃあいいがな。思いながらも鼻で笑う。この世は実力がすべてだ。死にたくなけりゃあ強くなるしかない。ガルムという海兵は、運が悪かったのだ。

 ルッチとガルムが前に出る。ガルムは腰にある武器を抜くこともせず、ただ棒立ちしている。戦闘経験がないのだろうか、そんなふうに思ってしまうほど見事な棒立ちだった。ただ立ってるだけ。青雉はそんなガルムに声をかけるわけでもなく、中央に立った二人に合図を送った。
 バッと青雉の左手が上がった瞬間、ルッチが動いた。一瞬でケリをつけるつもりはないだろうが、下手したら一発で死ぬ可能性もある。可哀想に。おれはそう思いながら笑ってガルムを見ていた。ドォンッ、と凄まじい音が鳴り響き、砂煙が舞う。あーあー……部屋を壊しやがって。こりゃあ死んだな。


「CP9はこうした芸当も行うのですか」


 煙が晴れたとき、ガルムは生きていた。それどころか傷一つなく、ルッチの拳を腕で受け止めて平然としていたのだ。反対側の手をルッチの肩に乗せたかと思うとガルムはそのままゆっくりと力を加えていく。ルッチが抵抗しようと足を振り上げようとした瞬間、片足では上からの力に対抗しきれなかったようで、かくん、とルッチの膝が床についた。
 ……とても静かな終わりに、誰も言葉を発せなかった。怪我一つ、傷一つなく、勝負はあっけなくついてしまった。膝をついたルッチが茫然としている。青雉もここまでの力量差はないと考えていたのか、すこしばかり驚いているようだった。この中でガルムだけが依然平然としたまま、ルッチから手を離し、


「暗殺者ならば当然ですね。正面からやり合うのは仕事ではありませんから」


 そんな屈辱的な言葉をするりと言ってのけたのだ。ぶるぶるとルッチは怒りに震えているようだった。実力を測りそこない負けてしまった己も許せないのだろうが、ガルムの発した言葉が一番気に入らなかったのだろう。おれだって屈辱的に感じる。暗殺者は正々堂々戦ったら弱くて当然だと言われて、頭に来ないはずがなかった。
 ルッチは大きく口を開けて、おそらく何か文句を言おうとしていた。もう一度だとか、なんだとか。けれどじっとりとした責めるような視線を向けられて、ルッチは押し黙る。たとえ本気を出していなかったとしても、負けは負けだとわかっているのだ。そして言い訳じみた文句をつけることがどれだけ情けなく恥ずかしいことかも、理解していた。


「まずは礼儀からですかね──多少手荒な真似をしても構わないのでしょうか」


 ガルムはルッチから視線を外して役人たちや青雉に確認を取る。青雉は「いいんじゃあねェの?」なんてのんきな返事をした。役人たちも驚きからようやく解放されたかのように何度も首を縦に振っていた。そのまま役人たちのもとへ歩み寄ると、二、三言葉を交わし、それが終わるとくるりと振り返った。


「それでは行きましょうか、ロブ・ルッチくん」


 膝をついたままのルッチにガルムは視線を投げかける。言うほど年の離れていないガルムから言われたことが気に食わなかったのか、ルッチはほんの少し顔を歪めただけでそれ以上の行動を示すようなことはなかった。ガキじゃあるまいし返事くらいすればいいものを、と考えたものの、ルッチはまだガキであることを思い出した。こうしているとただのガキにしか見えないわけだ。


「返事を」

「……」

「なるほど。これは大変そうですね」


 言葉とは裏腹に無表情なガルムに、大変だなんて感情があるようには思えない。無視し続けるルッチに対し、ガルムは腰元から手錠を取り出して素早くルッチの腕に嵌めた。途端にルッチか顔を尋常じゃないくらいにしかめ、ガルムの腕を弾こうと手を振るったが簡単に捕まれてしまう。──海楼石か! 驚いている間にもう一方を自分の腕に嵌め、二人の距離はグッと近くなった。ガルムはそのまま床に腰を下ろし、にこりともせずに言った。


「返事をするまであなたをここから一歩たりとも動かしません。根比べですよ、ロブ・ルッチくん」



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