ガルム。どこかで聞いたことのあるような気がした名前だったが、どこで、とはっきり断言することも思い出すこともなかったので、スパンダムはすぐにその引っ掛かりを放棄した。そんなことよりもとにかく、ガルムという人物を部下にしたくて堪らなかった。父親の護衛を任されたり、本部で大佐を任される程度には腕も立つのであろうし、何より無表情なのに愛想があって仕事もしっかりできそうなのだ。その上、きちんと上司を敬うことのできるとくれば、パーフェクト。何も悪いところなんてない。


「それでは、そろそろ失礼させていただきますね」

「あん? まだ列車まで時間はあんだろ」

「モモンガ中将にご挨拶し、荷物を取りに行かねばなりませんので、これくらいの余裕は必要かと思いまして」

「あー、そうなりゃあそうだわなァ。仕方ねェ」


 立ち上がり恭しく頭を下げたガルムにスパンダムの所有欲はむくむくと起き上がった。先程言ったようにもう一度部下に誘ってみるものの、そのような予定はないと改めて断られてしまう。やんわりと、しかしはっきりとだ。なかなかの好条件だと思っているが、それでも誘いに乗らないところがスパンダムは気に入っていた。引っ張ってこれさえすれば、この男は裏切らない。そういう自信があった。


「それでは、失礼いたします」

「あ、そうだ。お前、帰りもエニエス・ロビー寄るだろ?」

「どうでしょう。まだなんとも言えませんが、」

「いいから寄れ。顔だけでもいいから見せに来い! これは命令だ!」

「かしこまりました。ではそのように」


 ガルムが頷いたことを確認してスパンダムは満足げに微笑んだ。人を籠絡するにはまず何よりも接触を増やさなければならない。何でもいい、印象を加えて加えて加えて、話はそれからだ。
 そのとき、ノックもなくドアが開かれた。スパンダムはCP9の実働部隊連中のこういうところがたまらなく許せなかった。上官の部屋に入るときは必ずノックをしろと言っているのに、なぜそれができないのか。現れたのはジャブラだった。呼び出した時間を既に三十分も過ぎている。ふざけているのにも程がある。怒鳴ってやろうかとスパンダムが思っていると、束ねた髪を揺らすように入ってきたジャブラが思い切り目を見開いた。


「な、なっ、」

「あ? なんだよ」

「なんでガルムがここにいんだ!? 長官まさかこいつを呼んだのか!?」

「はァ?」


 何を言われているかわからなくてスパンダムはジャブラのことを訝しげに見つめた。反応を見るにガルムとジャブラは知り合いなのだろうが、その反応が問題だった。これではまるでジャブラがガルムに怯えているようではないか。たかだか海軍本部の大佐程度に? 実力的にはジャブラの方が上だろう。そこまで屈強な海兵であるとは思えない。スパンダムが理解できないと言ったように見たためか、ジャブラはあからさまにほっとして緊張を緩めると思い切りガルムの背中を叩いた。


「馬鹿野郎! ふざけんじゃねーぞ、今度はおれかと思っただ狼牙ッ!」

「驚かせてしまったようで申し訳ございません。お久しぶりですね、ジャブラさん。お元気そうで何よりです」

「ああ、てめェもな。何年ぶりだ?」

「十三、いえ、十四年ぶりでしょうか。それにしても、今度はおれかと思ったという言葉が出るのでしたら、相当やんちゃされているようですね」


 ジャブラをまっすぐに見つめたまま、「教育係が必要になるのでしょうか」とガルムは言った。スパンダムにはまったくもって理解できない。教育係という言葉の持つ意味も、ジャブラが固まったように顔をひきつらせたわけも。たっぷりの間のあとジャブラはわかりやすく話題を挿げ替えた。ガルムも特に追及するようなことはせず、その会話に乗った。


「お前、なんでここにいるんだ? 化け猫ならいねェぞ」

「彼に会いに来たわけでもありませんのでご心配なく。ああでも、その呼び方も久しぶりに聞きましたね。懐かしいです。……ロブ・ルッチくんは息災ですか?」

「さァな、長期任務中だ。そうじゃなくても興味はねェがな!」


 ジャブラはそう言って高らかに笑う。ガルムもそこまでルッチに興味はないようで「そうですか。便りがないのはよい知らせと言いますし、それでいいのでしょう」と頷いた。
 そこまでの会話を聞いて、スパンダムの怒りはついに爆発した。自分だけがのけ者にされ、この場を理解できないということをひどく憎らしいものとして感じていたのである。自分は偉い。CP9の長官だ。なのにどうしてこの場でおれだけが状況を理解できていない! 自分たちから説明しないだなんてジャブラもガルムもなんて気の利かないやつだろうと憤慨した。


「おい! 何お前らだけで楽しそうに話してんだよ! おれにもわかるように説明しろ! そもそもなんでガルムのことをジャブラが知ってやがる!」

「ああ? 気付いてねェのかよ、長官」


 ジャブラから信じられないとでも言いたげな顔を向けられてスパンダムの機嫌は一気に降下する。自分の知らないことがあるというのは、我慢ならなかった。「もったいぶってんじゃねェ、早く言え!」。スパンダムが怒鳴るとジャブラは肩を竦めながらガルムを指差した。


「こいつは“猟犬”──“猟犬”ガルムだ」

「猟犬だァ……? どっかで聞いた気が……」

「あ? ここまで話してもわかんねェのかよ……赤犬の懐刀だ狼牙」

「あ、赤犬の懐刀ァ!?」


 今聞いたばかりの言葉を理解できず、スパンダムはガルムを見た。特筆して強そうには見えない男である。腰にぶら下げた武器は支給品ではないようだがこれと言って変わっているふうにも見えない。普通の海兵らしくないところと言えば一切動かない表情筋とは別に丁寧な口調や物腰、そして妙に整った顔立ちくらいなものだ。
 赤犬付きの書記官だと言われれば納得したかもしれない。しかし懐刀となればガルムは尋常でないほどの実力を持っているはずで、スパンダムにはとてもではないがそれが真実だとは思えなかった。しかも言われた本人が「懐刀だなんてとんでもない、恐れ多いことです」なんて言っているものだから余計その考えに拍車がかかる。


「し、知らねェぞおれは!」

「あん? そりゃあ長官の勉強不足だ狼牙。海賊の間じゃあさほど有名じゃあねェが、それは襲われた海賊は必ず拿捕され投獄されるから噂にゃ上がらねェって話で、海軍や政府じゃあ有名だぜ……特にここじゃな」


 ジャブラの何か含みを持ったような言い方が、どうしようもなく頭に来る。その心情のままにスパンダムが睨みを利かせたためか、ため息を一度ついたジャブラはスパンダムからガルムに視線を軽く向けた。ほんのすこしの間をあけて、ジャブラは口を開く。


「ガルムはあの化け猫の師匠だ」



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