上陸したエニエス・ロビーは、爛々と太陽に照らされている。そこまで柔ではないが気分的にはめまいでもしそうだった。久しぶりに訪れたエニエス・ロビーにこれと言った感慨は湧かない。十年以上も前の話だからだろうか? 長官が変わったという話も聞いた気がするし、給仕の人間は案外入れ代わりが激しい、となれば知っている人間もいなさそうだ。別段会いたい人間がいたわけでもないし、会ったところで十年も経っていればわからない可能性もあるのだけれど、なんとなくそう思った。
 モモンガさんの三歩後ろを歩き、エニエス・ロビーの廊下を進む。気温があまり高くないせいか、あの太陽が張りぼてのように見えてきた頃、長官室へとたどり着く。モモンガさんとおれを案内していた男が扉を開けてくれる。モモンガさんのあとに続いて長官室に足を踏み入れた。席に座っていた男が立ち上がる。やはり見知らぬ男だった。顔に妙なものをつけている。……ギプスか? 何がどうなってああなったんだ。


「依頼されていた資料を持ってきた」

「ああ、すみませんね」


 なんとなく白々しい会話を聞きつつ、抱えていた資料を長官と思われる男のもとへ持っていく。差し出して一言、「ご査収願います」と軽く頭を下げれば、男はわずかに目を見開いてすぐに嫌味な感じの目つきに戻った。受け取った資料をぺらぺらとめくり確認すると、にっこりと笑顔を作った。


「たしかに。わざわざすみませんねェ、モモンガ中将」

「機密書類ゆえ当然のことだ。扱いには気を付けろ」

「勿論ですとも。……ところで、こっちは誰です? 見ない顔ですが」


 男がちらりとおれに視線を向ける。モモンガさんが今回別件で列車に乗るまで同行させているだけだと教えれば、笑顔を崩さずに「なら列車の時間までこちらで暇を潰してはいかがですか」なんて男が言った。友好的な関係には見えないのに、どうしてそんなことを? モモンガさんもそう感じたのか、すこしばかり顔をしかめた。しかし直ぐ様表情を引き締め、モモンガさんは頷いた。


「私は先に戻るが……お前はそうさせてもらえ」

「はい。かしこまりました」


 何を考えているか探ってこいという意味だと受け取って、提案を了承する。モモンガさんは出ていく前に軽くおれの手に触れた。手の甲で八の字──十年前に使っていた“船で待つ”という合図である。つまり直接報告の厳守。案外覚えているものだ。
 さてやってやろうではないか……と意気込んだまではよかったのだが、あれ、これってもしかして仕事か? もしそうならまずいのではないか。しかし今はきっと緊急事態だ。おそらく問題ない。……モモンガさんも別に誰かに伝えたりしないだろうし、大丈夫だ、多分。
 自分に言い聞かせながらモモンガさんを見送って振り返れば、男がじっとおれを見ていた。薄紫の髪がふわふわと揺れており、ギブスのようなものをしている顔も含めどこかで見たことがあるような気がする。けれど何と似ているのかまではわからず、とりあえず挨拶だけでもしておくことにした。


「申し遅れました、ガルムと申します。このようなお気遣いありがとうございます」

「いやいや、ところで階級は?」

「僭越ながら大佐を務めさせていただいております」

「──なんだ、大佐かよ。じゃあ敬語はいらねェな」


 そう言って座り、椅子にふんぞり返った男に一瞬目が点になるものの、すぐに「無論必要ありません」と頷いた。先程までの嫌みな雰囲気はなく、ただただ偉そうというか、勝ち気というか、そういった印象に変わる。……驚いた。正直すぎるのかプライドが高いのか知らないが、ぽろっと口から出していいものではない。これじゃあただの馬鹿じゃあないか。これが素なのか? それともおれに自分を危険のない木偶だと思わせたいのか? ……そこらへんを見定める必要性もあるかもしれない。短い時間だがそれでも判断材料を集めてみよう。


「おれは、スパンダムだ。見りゃあわかると思うがCP9の長官をやってる」


 スパンダム。聞いたことのある名だった。たしか八年ほど前はCP5で主官をしていたはずだ。ひどい怪我を負ったという話を聞いた。しかし、それ以外でその言葉に、引っ掛かりを感じた。髪質、権力が好きそうな瞳、スパンダム──スパンダイン。その言葉が思い浮かんで頭の中でようやく合点がいった。
 だが理解するまでが遅すぎる。元長官を何故思い出さなかったのか。コンマ一秒でも早く理解していれば結果が変わることもあるのだ、改めておのれの中の情報整理をしっかりとせねばなるまい。内心でのみ自分にため息をついて、まっすぐにスパンダム長官のことを見る。


「もしかすると、スパンダム長官はスパンダイン元長官の息子さんではありませんか?」

「あ? なんだ、親父のことを知ってんのか?」

「ええ、以前護衛させていただきました」


 予想していた通りだ。もしスパンダイン元長官と同じ性格をしているというのなら、少々残念な人ということになる。自信家なのも、自意識過剰なのも、妙にプライドが高かろうとも構わないが、欲に目がくらんで仕事をしくじるのだけはやめてほしい。少なくともスパンダイン元長官は性格がいいとは言えなかったが、くしくもある程度は有能だった。コネも含めCP9の長官に上り詰めるだけの能力は持ち合わせていたように思う。失敗を他人になすりつけるのもとてもお上手だった。
 さて彼はどうだろうか? 自分は偉いのだというやや尊大な考え方。権力もおそらく好きだろう、となれば父親譲りの性格ということか? ……誰かそれなりの人間がついていないと余計なことをしそうな人だ。
 おれがそんなことを考えているなんてまるで気づきもしないであろうスパンダム長官は、どこか納得したような表情を浮かべていた。


「だからか」

「何がでしょう?」

「海兵らしくねェから気になったんだよ、お前」

「……海兵らしくないでしょうか?」


 若かった十年前ならいざ知らず、海軍生活に慣れきったこの年で海兵らしくないと言われてしまうおれはどうなんだろうか。見た目は優男だと言われることもあるが筋肉も背丈も海兵の標準以上にはついているし、格好もスーツにマントを羽織って海軍将校らしいと個人的には思う。だが、おれの考えとは裏腹にスパンダム長官は頷いた。


「海兵なんて礼儀もちゃんとできてねェやつばっかりだからなァ、若いやつァ特にだ。お前、ご査収くださいつったろ。普通の海兵からは出てこねェってーの、んな言葉。こなれてんだな、お前」

「なるほど、そういうことでしたか。御見それ致しました。さすが長官でいらっしゃいますね」


 言えば「だっはっは! だろ!?」なんてスパンダム長官は笑い声をあげる。愉快そうで何よりだ。だがこれはお世辞であってお世辞ではない。些細な違和感を見逃さずに情報を繋げることができる、よく回る頭を持つ人間であることは間違いない。ただ、その考えをうまく使えるかどうかは別、と言ったところか。考える頭はあるのにそれを使う感情が稚拙となれば、多少は厄介だが、こうしてお世辞で気をよくしてくれるのなら後ろで糸を引くには簡単そうな人間でいい。暴走しないように首輪をつけておく方がいいだろう。それが首輪と気付かれぬような首輪を。


「ガルムっつったな、お前」

「はい」

「珈琲入れてくれ」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 まさかだった。別におれは構わないが、なかなかぶっ飛んでいる。海軍から使わされた中将の部下に普通、珈琲入れさせるか? ていうか給仕さんに頼んだ方がいいんじゃないの、それ。珈琲くらいならおれだって入れられるが、好みとかあるんじゃないのか。
 頭の中で色々と悩みながら給湯室をお借りしてパパッと入れさせてもらった。そして持って戻れば、ぐっと口の中に煽る。それを見て、あ、やっぱりこの人アホなんだなと思った。おれが従うふりしてさっくり殺そうとしているかもしれないとは一切考えないみたいだ。偉いんだから多少そういうことには気を遣ってほしい。ただでさえ敵が多そうな性格してるんだからそれくらいは気を付けてくれよ。一気に珈琲を飲み切ったスパンダム長官は驚いたようにおれのことを見上げていた。


「……熱くねェ……!?」

「……申し訳ございません。好みをお伺いするのを忘れましたので、勝手にスパンダイン元長官と同じように入れさせていただきました」

「いや、おれは猫舌だからこれでいいんだが……うめェし」

「そうですか。それはよかったです」


 あまりの衝撃で何も考えられなかったため、普通にスパンダイン元長官と同じ入れ方をしてしまったからしくじったかと思った。普通は適度に冷めた珈琲なんて飲みたくないものだ。スパンダム長官はコーヒーカップを置いてから、ビシッとおれを指差した。お坊ちゃん育ちだからか行動が子供っぽい。自信満々の笑みでスパンダム長官は言った。


「海軍やめてうちに来ねェか。秘書だ、秘書」

「……身に余るお誘い、恐縮です。申し訳ございませんが、今のところ職を辞するつもりはございませんので」

「んだよ、いいじゃねェか! 高給だぞ!?」


 おれが職を選ぶときに見るのは給料じゃあなく仕事内容である。どうせ金なんてそんなに使う予定もないんだし、生きるのに必要な分があればいいだけだ。というか、海軍も命を張っている分かなりの高給である。誘い方が間違っている気がするが、それを指摘してやろうとは思えなかった。
 その後もスパンダム長官があまりにもむきになっているので、海軍を辞めるようなことがあったらお願いする旨を伝えれば「絶対だぞ!? 絶対だからな!」と執拗に迫られたので頷いておいた。


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